縁談 (後編)
翌朝、日の出の鐘が鳴る前に、セイジェは庭園の管理棟にいた。
管理棟の側で、セイジェは庭師のセブと話している。
庭園散策のついでに来たので、襟元の緩いシャツに上掛けを羽織り、髪も結っていない姿だ。
「他に摘めるものはあるか?」
「そうですなぁ、もう二、三日すれば、サースニアが咲くと思いますが」
セブが白い蕾を付けた、背の高い植物を指す。
精神を安らげ、入眠を穏やかにする香りの花だ。
管理棟には花の苗を育てる場所がある。
更にその横には、ハーブ園もあって、料理に使う為に厨房から人が来たり、侍女や侍従が主人の部屋の消臭や香り付けに使う為に、摘みに来たりもする。
今、セイジェはそこでセブと、安眠に効果のある花やハーブについて聞いていた。
「いっそ、生花でなくドライフラワーを使われてみてはどうでしょうな。オイルを垂らせば、色々組み合わせも出来ますわい」
セブの提案に、セイジェは喉の奥で唸る。
あまり香りが強く主張する物は、兄の部屋に置くには良くない気がする。
「最近は、庭園だけでなくハーブ園まで散策しているのか?」
突然、声を掛けられて、セイジェは跳び上がりそうな程に驚いて振り返った。
ハーブ園の入口近くに、エルノートが立っていた。
早朝だというのに、青い詰襟の首元をきっちりと締めて白いマントを垂らし、身支度は完璧だ。
彼の後ろでは、侍従が申し訳なさそうな様子でセイジェを見ている。
「……おはようございます、兄上。珍しいですね、このような場所へ」
セイジェが柔らかく微笑めば、エルノートも微笑みを返した。
「私の部屋の寝台近くに、何故か最近花が飾られるので不思議に思っていたが。そなたが侍従に指示していたのだな」
セイジェが見れば、侍従は小さくなっている。
どうやら、問い詰められて黙っていられなかったようだ。
「激務続きの兄上に、少しでも安らいで頂こうと思いまして」
セイジェは濃い蜂蜜色の目を細める。
「それで、安眠効果のある花ばかりを飾らせていたのか?」
近付くエルノートに、セブが挨拶をしてから、管理棟の中へ下がった。
それを見届けてから、エルノートが隣に立って口を開く。
「……いつから知っていた?」
「何のことでしょう。兄上のお好みの花ではありませんでしたか?」
セイジェは少し困ったように眉を下げ、笑顔のままでハーブ園を眺めている。
エルノートは小さく息を吐いて、力なく笑った。
「そなたはカウティスと違って、嘘をつくのが上手いな」
揺れる白い花の上を、蜂が留まっては飛び、また留まる。
「……父上やマレリィ様は、気付いておられるのだろうか」
一段低くなった声で、エルノートが呟いた。
セイジェは答えずに、兄の横顔を見た。
少し伸びた金髪に近い銅色の髪は、セイジェのそれと同じように軽く揺れる。
いつもは強い光の薄青の瞳が、僅かに揺らいで見えた。
「不甲斐ない王太子だ」
独り言のように言って、エルノートは踵を返す。
思わず声を掛けようと口を開いたセイジェが、何とか思い止まった。
何と声を掛けられるだろう。
知っているけれど、気にするなと?
もう苦しまないで欲しいと?
何をどう言っても、兄の心を慰められるとは思えない。
セイジェは、庭園に消える兄の後ろ姿を、ただ見つめていた。
昨日に続き、今朝も大食堂には王と側妃マレリィ、三人の王子が揃って朝食を摂っていた。
カウティスは今日、西部に戻る。
「慰問ですか?」
カウティスが王に聞く。
王は口に入れていた物を飲み下して、頷く。
「そうだ。フルデルデ王国のメイマナ王女は、慈善活動に尽力されている方でな。我が国の西部への慰問を希望されているそうだ」
フルデルデ王国は、ネイクーン王国の南部エスクト地方に国境を置く隣国だ。
険しい山岳はなく、酪農地帯が多い。
ザクバラ国とは対照的に、どちらかといえば、おおらかで開放的な国風だ。
母系制を重んじる国で、代々女王が国を治めている。
フルデルデ国女王は慈善活動に積極的で、即位する前から国を越えての食料支援などを行っていた。
ネイクーン王国も、フォグマ山が噴火してからの数年間、様々な支援を受けた。
そのこともあり、現在は国境地帯の砂漠化に対応する支援を、ネイクーン王国がしている形だ。
メイマナ王女は、現女王の三女で、カウティスの二つ上だ。
現女王の精神を受け継ぐように、積極的に慈善活動をしている。
「慰問は有り難いことですが、国境地帯はまだ、受け入れ難いと思います。西部でも、ベリウム川から離れた辺りなら大丈夫かと」
ベリウム川沿いは、対岸に頻繁に魔獣が出現している。
他国の慰問など、受けられる状況ではない。
「では、その辺りで受け入れる方向で調整だな」
「フルデルデ王国とザクバラ国が、水の精霊を授かると言っていた件はどうでしたか?」
王の言葉に続き、エルノートが聞いた。
王が眉根を寄せる。
「嘆願書を送ったのは事実だそうだ」
使者は、フルデルデ王国とザクバラ国の連名で、両国に水の精霊を授けて欲しいと、フルブレスカ魔法皇国に嘆願書を送ったことは認めた。
だが、皇国から正式発表がされていないので、詳しい内容は話せないようだった。
「あの様子では、内々に知らされているのではないか。恐らく水の精霊を授けられるのだろう」
話を振られた使者から、喜びが滲み出ていた。
自国に水の精霊を授けられるのを、心待ちにしているのだろう。
カウティスは、食事を終えながら考える。
それではセルフィーネのように、切り離された水の精霊が、隣国に落とされるということなのだろうか。
ザクバラ国に新たな水の精霊が誕生すれば、ネイクーン王国の恩恵を羨む気持ちも薄れるかもしれない。
…………それにしても、使者の用件は縁談ではなかったではないか。
ラードめ、驚かせたなと、カウティスは密かに唇を歪めた。
使者に関しての話も終わり、エルノートが食事を終え、先に席を立つ非礼を詫びて大広間を出て行く。
カウティスもその後に続いて出て行った。
王が食後のお茶に手を伸ばして、小さく溜め息をついた。
「実は、フルデルデ王国の使者は、縁談も持って来ていたのだ」
マレリィとセイジェが、驚いて王を見る。
「縁談? 誰にです?」
「エルノートにだ」
フルデルデ王国の使者は、やはりエルノートとフェリシア皇女との離縁を知らなかった。
結婚して二年経っても嫡子に恵まれていない王太子に、メイマナ王女を側妃にと推すつもりでやって来たのだった。
離縁を知って、青くなって大汗を掻いた使者は、離縁したばかりの王太子に、側妃をと願うわけにもいかず、慰問の件だけを要請して縁談は取り下げたらしい。
「それは……間が悪かったですね」
セイジェが苦い顔をする。
国家間の婚姻は、上手くいけば多くの利を得る。
こちらから、王女を側妃に欲しいと言うのは難しいが、向こうから側妃にと推してきたのなら、前向きに検討するべき話だっただろう。
縁がなかったのだなと思いつつ、セイジェが食事を終えた時だった。
「身上書は、お受け取りにならなかったのですか?」
突然、マレリィが王に尋ねた。
王はカップを持ったまま、目を瞬く。
「向こうが取り下げたのだ。持ち帰ったぞ」
「使者殿は王城にまだ滞在を?」
珍しく畳み掛けるように聞くマレリィに、王が圧倒されてカップを置いた。
「いや。城下に滞在して、慰問の件の返答を待つと……」
縁談の件が気まずかったのか、使者は王城に滞在することを辞退した。
「では、城下にいるのですね」
マレリィは王に確認すると、すぐに侍女に指示を出す。
「使者殿に、もう一度登城するよう伝えなさい。私が会います」
「マレリィ、一体どうするつもりだ」
さすがに王が訝しんで、眉根を寄せた。
マレリィは真剣な表情で、漆黒の瞳を王に向けると言った。
「メイマナ王女を、エルノート王太子の正妃候補に致します」
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