竜人の忠告

竜人は、深紅の瞳で水の精霊を見据えた。

その圧倒的な存在感にセルフィーネは萎縮する。


セルフィーネの表情がなくなり、長く細い髪も、ドレスの美しい襞も、時が遅くなったように僅かに揺れるだけだ。

紫水晶の瞳から光が消え、薄く桃色を帯びていた白い肌は、その生気を失う。

何も映さない瞳が、ただ真っ直ぐに前を向く。

まるで、硬質なガラスの人形のようだった。



その変わり様に、王座の王とマレリィ、そして呼び出されたエルノートとセイジェは驚きを隠せない。

「セルフィーネ……」

魂のないガラス人形のような姿に、思わずセイジェが彼女の名を口にした。


「“セルフィーネ”? 名付けまでされたか」

竜人が口を開いた。

言葉を発しても、その顔は作り物のように無表情で、なんの感情も見えなかった。

「確認に来てみれば、まさかこれ程まで作り変えられていたとは。円卓様が見たら何と思われるか」


“円卓様”とは、フルブレスカ魔法皇国の、竜人族の始祖七人の名称である。

フルブレスカ魔法皇国は、始祖七人円卓様と呼ばれる竜人七人と人間が共に興した国だ。

不死とも言われる竜人族は、始祖の七人が千年以上も前から生きており、皇国の王宮最奥に住んでいるという。

皇国で姿を見せている竜人族の数は多くないが、皆始祖七人円卓様の子孫だ。

今ここに立っている竜人も、そうに違いなかった。



「使者殿……と、お呼びして良いのか……」

王が躊躇いながら声を出す。


竜人族は人間の上位種とされる。

ネイクーン王国は勿論、フルブレスカ魔法皇国以外の国に竜人はおらず、王も他の者達も、皇国に留学中に竜人族を見たことがあるだけだ。

「正式な使者として訪れた訳ではないので、畏まらなくとも良い。私の名はハドシュだ」

竜人が王を見て名乗った。

竜人と接する機会など皇国でしかなかった官吏達は、彼をどう扱えばよいか分からず、王と竜人を遠巻きに眺めている。

連絡を受け、遅れて謁見の間に入ってきた魔術師長ミルガンと騎士団長バルシャークが、宰相セシウムの後ろに控えた。


「……ハドシュ殿、水の精霊の確認とは、一体どういうことだろうか」

「近年、貴国と同じ様に、水の精霊を授けて欲しいと願い出ている国がある」

ハドシュの言葉に、王はエスクト領主と話したことを思い出した。

願い出ている国とは、フルデルデ王国とザクバラ国なのだろう。

「だが、そこに書かれてある水の精霊というものが、円卓様が貴国に貸し与えた水の精霊と同様のものとは思えなかった。フェリシア皇女の手紙からも、水の精霊が変化していると推測される。そこで、私が確認に来た」

ハドシュは重厚な声で話す。

あまり抑揚のない話し方で、表情もなく、感情を窺うことが難しい。


水の精霊の変化。

それはネイクーン王族の誰もが感じていることだ。

少なくとも、カウティスとセルフィーネが出会った十六年近く前とは、格段の差がある。

彼女は感情豊かになったし、何より自ら人間に関わるようになった。

より近しい存在に変化したと言っていい。

だが、それは竜人がわざわざ確認に出てこなければならないような、重大なことなのだろうか。


「お待ちを。ハドシュ殿、今、水の精霊を『貸し与えた』と言われたか?」

エルノートが薄青の瞳を細めて言った。

「確かに。水の精霊は、円卓様が貴国に貸し与えているもので間違いない」

ハドシュの返答に、この場にいる人間は誰もが驚き、ざわめいた。

水の精霊はネイクーン王国のもののはずだ。

「水の精霊が皇国の竜人族より与えられたのは確かだが、あるじは我が国の王族のはずだ」

王が強く眉根を寄せて反論する。



「……長い年月を経て、ネイクーン王族の認識自体が変化しているようだな」

ハドシュが初めて目を眇めて、表情らしきものを作った。

「水の精霊よ。お前のあるじと契約内容を述べろ」

ハドシュが水の精霊に向かって命じた。


セルフィーネは何処も見ていない瞳のまま、真っ直ぐに前を向いて口を開く。

緊張感の漂う謁見の間に、セルフィーネの感情の籠もらない涼しい声が響く。

「私の契約のあるじは、フルブレスカ魔法皇国 竜人族始祖七人、第三首ヤシュトラ。契約により、ネイクーン王国に在る間はネイクーン王族を仮のあるじとし、王国の水源を守り保つ。水源を枯らすこと、定められた国境より外へ出ることは禁じられている」

言い終わると、彼女は口を閉じた。


水の精霊の声が聞こえる王族とミルガンは、愕然とする。

セルフィーネの口から、ネイクーン王族は『仮のあるじ』だと、はっきり聞こえた。


「聞いての通りだ。精霊は嘘をつけない。契約当初より、内容は変わっていない。……近年のネイクーン王国では、水の精霊に水源を保つこと以外にも役割を与えているとか」

ハドシュは王族の顔を、血の色の瞳で見渡す。

「ネイクーン王族は早々に認識を改めた方が良いだろう。そうでなければ、円卓様は水の精霊を放っておくまい」



謁見の間にいる誰もが、混乱して声が出なかった。

ハドシュは改めてセルフィーネを正面から見据える。

〘 水の精霊よ。お前の役割は何だ 〙

彼は不思議な響きの竜人語言葉で、水の精霊に話し掛ける。


セルフィーネは精霊として答える。

« ネイクーン王国の水源を守り保つこと »


〘 そうだ。役割以外の余計なことはするな。これは私からの忠告だ。消滅したくなければ、これ以上は 〙





西部国境のザクバラ国側拠点に、リィドウォル達代表団が帰還したのは、午後の一の鐘が鳴った後だった。


リィドウォルは寝起きしている部屋に入ると、手近にある椅子に乱暴に腰掛けた。

護衛騎士のイルウェンが彼のケープを外す。

「リィドウォル様、少しお休みを」

疲れの滲んだ彼の顔を見て、イルウェンが言った。

「……休む間があれば休む」

この後は、中央からの増員の到着を待って、職人と作業員達を中央へ帰さなければならない。

これ以上、戦う術のない者の犠牲を出したくない。


『伯父上……本当に、このままで良いのですか?』


不意に、覗き込まれた青空色の瞳を思い出した。

「……何故あの者は、歪んでおらぬのだ」

「……あの者とは?」

「カウティスだ」

イルウェンが苦い顔で目を細める。


カウティスが今まで生きてきた環境は、決して楽なものでもなかったはずだ。

ザクバラ国の血を引くことに、負い目を感じているのも見て取れたし、リィドウォルに嫌悪感を持っていたようにも感じた。

「それなのに、何故私の目を覗く……」

祖国の誰もが恐れ、正面から覗こうとしないこの目魔眼を、真っ向から見て問い掛けた。

ザクバラ国はそのままで良いのかと。


水の精霊まで従えた、偽善的で青臭い王子。

水の精霊を奪い取る為に必要なら、カウティスを懐柔することも、束縛することも考えた。

だが、どうしてだろう。

あの王子を手元に置いてみたくなる。

ザクバラ国の、自分の手元に置いてもなお、歪まずに生きていけるのか。

もし、歪まずに真っ直ぐであれたなら、我が国は……。


「腹立たしい……」

自嘲気味に笑って、リィドウォルは立ち上がり、イルウェンを引き連れて部屋を出て行った。





深夜、セルフィーネはそっとカウティスの眠る寝台へ近付く。

机の上の魔術ランプが、最小の明かりを灯したままだ。


その愛おしい横顔を撫でようと手を伸ばすと、彼は目を開けた。

声を掛けなければ、魔術素質のないカウティスには、セルフィーネが側にいることが分からない。

それなのにカウティスは、目を開けてすぐ、魔術ランプの横に置いてある水差しを確認して言った。

「セルフィーネ、いるんだろう?」

セルフィーネが近付けば分かるように、ランプを消さずにいたのだと気付き、セルフィーネは声を震わせる。

「…………いる。どうして……」

「そなたは、俺の所に帰って来ると思っていたから」


夕方に王城から通信があり、明日、急ぎ帰城するようにとのことだった。

魔術士の通信では、詳しいことは分からない。

しかし、一日あれば戻れるとはいえ、何事かなければ帰城命令が早急に下ることはない。

セルフィーネが王城に呼ばれたことといい、彼女が戻って来ない内に帰城命令が下ったことと

いい、水の精霊セルフィーネに関することで何かあったのだろうと思った。


寝台に身を起こし、カウティスは窓際を見る。

そこには、ガラスの小瓶が青白い月光を浴びている。

「姿を見せてくれないのか?」

カウティスの問いかけに、セルフィーネは小さく答える。

「……昨日のように、抱き締めて欲しい」

カウティスは目を瞬いてから、両腕を広げた。

「おいで」

セルフィーネはそっとカウティスの胸に添う。

カウティスは一拍置いてから、見えないセルフィーネを抱き締めた。


ハドシュは『余計なことはするな』と言った。

『変わるな』とも。


水源を保つこと以外を“余計なこと”とするならば、カウティスの側にいて彼を守る事も“余計なこと”になるのだろうか。

それならば、忠告を聞くことなど出来ない。

カウティスの側を離れることは、もはや消滅するのと同じ様なものだ。



「セルフィーネ……何があった?」

カウティスが低く優しく問い掛ける。

彼女は答えず、彼の鼓動をただ聞いていた。



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