思い惑う

休憩を挟んで、話し合いは再開した。

互いに落ち着きはしたが、ザクバラ国の主張は変わらず、当分の間は討伐のみに力を尽くすという。


リィドウォルから聞いた話が事実ならば、ザクバラ国が、決して国境地帯から退かないと頑なである理由が通る。

だが簡単に信じられる話でもない。

かと言って、それを今深く掘り下げることも出来ず、結局カウティス達は討伐の件は受け入れることとなった。

ネイクーン側は予定通り堤防の建造を続け、ザクバラ側の建造が再開すれば、協力することも決まった。




話し合いは終了し、ザクバラ国代表団はイサイ村を出る。

堤防建造がいつ再開出来るか分からないので、三回目の話し合いは未定のままだ。


「それでは」

前回同様、代表のカウティスとリィドウォルが挨拶を交わす。

上辺だけの挨拶を終え、立礼するリィドウォルを、カウティスは思わず呼び止める。

「伯父上」

“伯父”と呼ばれ、リィドウォルがピクリと動きを止めた。

「本当に、このままで良いのですか? 過去のことは、私には正直分かりません。……分かりませんが…………ですが、これではザクバラの民は……」


カウティスはどう言えば良いのか分からなかった。

だが、このまま別れれば、ザクバラ国の国境地帯では、これからも魔獣との戦いが続く。

多くの命が失われるだろう。

奪われた物を取り返す為に、別の物を取り零しているようなものだ。

敵国だからと見て見ぬ振りは、カウティスにはどうしても出来なかった。



リィドウォルは呆気にとられた。

言葉を探し、苦しそうに顔を歪めたまま、彼の瞳を正面から見つめるカウティスが、とても信じられない。

彼は暫く固まったように動かなかった。


不意に、昨日のように、リィドウォルの表情がほんの僅かに柔らかくなった。

「……カウティスよ、そなた、ザクバラに来ぬか」

「…………何を、言って?」

カウティスは、突然投げ掛けられた言葉の意味が良く分からず、眉根を寄せる。

「そなたなら、きっとザクバラの民にも添える。水の精霊と共に我が国に来て、我が国の民を共に救ってくれぬか」

ジリ、とリィドウォルが半歩カウティスに寄った。

反射的に、カウティスも半歩下がる。


リィドウォルの漆黒の瞳は、カウティスの青空色の瞳を捉えて離さない。

その目の奥に、紅い光が滲んだ。

「水の精霊とそなたは、浄化の力を持っているのだろう」

カウティスが小さく息を呑んだ。


瞬間、パンッ と乾いた音がして、二人の間に小さな衝撃波が起こった。

カウティスは一歩下がって踏み止まったが、リィドウォルは数歩分、後ろに弾かれた。

護衛騎士のイルウェンが、彼を支えると同時に抜剣して切っ先をカウティスに向けた。

一拍遅れて、ラードと周りの兵士達が剣を構える。

「待て!」

カウティスが止めると同時に、リィドウォルもイルウェンの片刃剣を下ろさせる。

「……申し訳ありません。偶発的に私の目魔眼が発動してしまったようです。どうかお許しを」

彼は急いで居住まいを正して謝罪する。


マルクに渡されて携帯していた防護符が、リィドウォルの魔眼に反応したらしい。

偶発的ということは、彼が感情的に魔眼を発動させたということなのだろうか。

「戯れ言でした。……お忘れを、王子」

リィドウォルとイルウェンは、再び立礼すると、もうカウティスと目を合わせることなく村を出て行った。




「どう思う?」

カウティスがラードとマルクに聞く。

リィドウォルに聞いた過去の話のことだ。

イサイ村を出る前に、三人で話していた。


「歴史が国によって違うというのは、良くある事だと思います。魔術史なんかは、かなり国によって違いますし……」

マルクが栗毛の眉を下げる。

「マルクの言うことも分かりますが、ザクバラ国の主張を鵜呑みには出来ませんよ、王子」

ラードは腕を組んで難しい顔をしている。

カウティスは奥歯を噛む。

「……父上は、ザクバラの主張を知っておられるのだろうか」

「これだけ長い間揉めてますから、ご存知ないはずはないでしょう……」


以前、エルノートが見せてくれた、禁書庫の国史を思い出した。

王のみが見ることの出来る、王家と王国の歴史。

あれには真実が記されているのだろうか。


「それよりも、王子と水の精霊様の浄化の力について口にした事の方が、気になります」

ラードが苦い顔をする。

カウティスも、リィドウォルの別れ際の言葉は気になった。

そして、あの情を含んだ表情も。


遠くの街で、昼の鐘が鳴るのが聞こえる。

「……今考えても埒が明かないな。まずは、拠点に帰ろう」

一つ溜め息をついて、カウティスが立ち上がった。





王城には、フルブレスカ魔法皇国からの使者が、皇女フェリシアを迎えにやって来ていた。

フルブレスカ魔法皇国の紋章である、赤い竜と月と太陽のシンボルが掲げられている馬車が並ぶ。


王が使者と形式的な挨拶を交わしている間に、フェリシアは早々に馬車に乗せられた。

王太子エルノートとセイジェ王子には参席させず、王と側妃マレリィ、宰相セシウムのみで見送る。

非常に冷ややかで静かな別れの場だった。



使者の数人が馬車から離れたままで、列に加わろうとしない事に気付いた近衛騎士が、声を掛けた。

彼は使者を見て顔色を変え、セシウムの元へ急ぐ。


「陛下、皇国の使者が、謁見を求めております」

セシウムが、僅かばかり上擦った声で報告に来た。

「どういう事だ?」

建物の正面入口で、王とマレリィが顔を見合わせた。

使者との謁見は先程終わり、今フェリシアを乗せた馬車が出発しようとしている。

「別件の使者がおられて……」

セシウムが視線を向けた方を見れば、馬車の列から離れて、三人の使者がこちらを見ている。


二人は先程謁見した使者と同じ、青紫色の長衣を着ている。

もう一人はとても大柄で、同じ様な色合いの長いローブを着て、フードを深く被っている。

三人は、王がこちらを向いている事に気付き、歩いて近寄ると立礼した。

「先触れもなく、謁見を求める非礼をお許し下さい。実は、この者が登城する事を突然希望しましたので……」

使者の一人が、大柄な使者をチラリと見て言う。

王が訝しげに、大柄な使者を見遣った。

背の高い王よりも、頭一つ分高く、肩幅も広い。


大柄な使者は一歩前に進み出る。

ローブの間から白い手袋をした両手を出し、フードの端をつまむと、王の前でフードを剥いだ。





セルフィーネは上空から、カウティス達が帰って来るのを見ていた。

予定よりも遅かったが、皆が無事に拠点に入るのを見て安堵する。

三度馬を驚かさないよう、ゆっくり近付こうとした時、王の呼ぶ声が聞こえた。

王城で、水盆に王が呼び掛けている。


セルフィーネは、カウティスの胸に姿を現し、声を掛けた。

「王が呼んでいる。王城へ戻る」

「父上が? 分かった。帰りを待っている」

短いやり取りだが、カウティスがセルフィーネを掌で包むように、服の上から小瓶にそっと手を添えてくれる事が嬉しい。

カウティスの胸に手を当て、微笑んで、彼女は姿を消した。


ネイクーンの空を東へ駆け、王城へ戻る。

王城の正門を出て城下へと続く道を、フルブレスカ魔法皇国の馬車の列が走るのが見えた。

既にネイクーン王国籍から外れたフェリシアには、何の興味もない。

セルフィーネは馬車の列を一瞥して、王が呼んだ水盆に降りた。



謁見の間に運ばれた美しいガラスの水盆に、小さな水柱が立つ。

周囲の光が集まるように、淡い光を帯びた水の精霊の人形ひとがたが姿を現した。

サラサラと流れる水色の長い髪を揺らし、セルフィーネは顔を上げる。

そして、目の前に立っている者を見て、ギクリと動きを止めた。


水盆の前に立つのは、王ではなかった。


成人男性よりも、頭一つ分は優に背が高い。

身体は筋肉質で大きく、腕の先には人間よりも大きな手があり、その指には第二関節から厚く長い爪が付いていた。

白茶色の長い髪は、重く揺れる。

のっぺりと白い肌には、所々に硬質な鱗が浮き、光を弾いて鈍く輝いた。

そして、セルフィーネを射るように見つめるその瞳は、魔獣と同じ、血を流し込んだような深紅。



「これはまた、酷く作り変えられたものだ」

重厚な声が謁見の間に響いた。


セルフィーネの前に立っていたのは、竜人だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る