略奪者

土の季節、後期月一日。


日の出の鐘が鳴る前、薄く明るくなっていく空の下、王城の離宮の小さな庭園に出た皇女フェリシアは、見慣れたその風景に溜め息をついた。

内庭園の花々に比べて、離宮の花は小振りで、控え目な香りの物ばかりだ。

しかも一人で見る花々の、何と味気ないことか。


しかし、それも今日で終わりだ。

フルブレスカ魔法皇国からの迎えが、今日王城にやって来る。

ようやく、皇女に相応しい暮らしに戻るのだ。

心残りはセイジェ王子との事だが、彼はフェリシアが離宮に幽閉されてから、一度も顔を見せてくれようとしなかった。

彼も、好意を持ってくれていると思っていたのに、やるせない気持ちになる。


何度目かの溜め息をついて振り返れば、離宮へ戻る方に、男性が立っているのが見えた。

セイジェ王子が別れを惜しみに来てくれたのではと、一瞬胸を弾ませたが、そこに立っていたのは王太子エルノートだった。


息を呑んで横を見たが、一緒にいたはずの侍女はいない。

エルノートの侍従に連れられていくのが視界の端に映り、彼女は背筋に冷たいものが流れた。


今、ここにいるのは自分一人。

そして、命を奪おうとした相手が、目の前にいる。

まさか、ネイクーン王国を去ろうという最後の日に、復讐するために待っていたのだろうか。


純白の詰襟に、濃青のマントを着けたエルノートが、ゆっくりと歩いてフェリシアに近付く。

金髪に近い銅色の髪が、少し伸びて柔らかく風で揺れる。

体格の良い長身の彼が前に立つと、フェリシアは一歩引いて胸の前で手を握った。


エルノートは薄青の瞳で、フェリシアを見つめると、口を開く。

「貴女の良い伴侶になることが叶わなかった。…………許せ」

フェリシアは目を見開いた。

彼の言葉は、夫であった時のものそのままだった。

正式に離縁が認められ、既に夫婦ではない。

今では、皇女のフェリシアの方が立場は上だ。

しかし、彼女は何も言葉が出なかった。



十一年前、まだ10歳のフェリシアと、16歳の成人を迎えたばかりのエルノートが顔を合わせた。

フルブレスカ魔法皇国の皇帝である、フェリシアの父が決めた婚約だった。

初めて見るエルノートは、無骨な兄の皇子とは違い、金髪に近い銅色の髪と、笑うと美しく輝く薄青の瞳が印象的で、フェリシアは胸を震わせた。

彼は、フェリシアの前に跪いて言った。


『貴方の良い伴侶となれるよう、精進致します』


あの時、確かに自分だけの王子様を手に入れた気がした。

エルノートは、あの日の約束を覚えていたのだ。


「……今更だわ……」

フェリシアは真っ赤な唇を震わせる。

「お別れです。……ご息災で」

エルノートは、上の立場の者に対する型通りの作法で立礼すると、踵を返す。

恨み言一つ言わず去って行く、その後ろ姿に、フェリシアは声を震わせる。

「今更よ……」


二人はこの日、ここで永遠に別れた。





西部国境地帯のイサイ村では、午前の一の鐘にザクバラ国の代表団が到着した。

参加者は両国共に、前回と同じだ。

昨日の討伐に関する謝礼と報告があった後、二回目の話し合いが始まる。


ザクバラ国は、堤防建造を一時中断する。

魔獣の出現が頻発化し、建造を進めていくことが困難だからだ。

施工技術の共有の為、ザクバラ国の数人の職人や作業員、魔術士は、ネイクーン側の建造現場に当分の間受け入れることにした。

残りの作業員や職人達を中央へ帰し、討伐隊のみ拠点に駐在し、魔獣討伐を続けるという。


カウティスは眉根を寄せる。

堤防建造を一旦止めるならば、魔獣の討伐を積極的に行わない方が良いのではないだろうか。

昨日肌で感じたザクバラ国領の空気は、かなり淀んでいた。

討伐で血が流れれば、更に出現頻度が上がるだろう。

悪循環でしかない。


大陸南端の“魔の森”と呼ばれる土地は、魔獣が現れる、人間の住まない不毛の土地だ。

だが、そのような場所であっても、そこから人間の住む場所まで魔獣が溢れ出てくるようなことはないという。

余計な争いで、血が流れることがないからではないのだろうか。



「……いっその事、ある程度の期間、国境地帯を封鎖してみてはどうでしょう。討伐で血が流れるよりは、魔獣の出現が減らないでしょうか」

カウティスの提案に、ザクバラ国代表団の空気が尖った。

「……カウティス王子、我等がこの地を手放すことは有り得ません」

昨日の討伐にも参加していた兵士長が言った。

その目に敵意が混じる。

カウティスは、できるだけ穏やかに続ける。

「手放せと言ったのではありません。ただ、一旦後退して、精霊の魔力が落ち着くのを待つのも手かと……」

「精霊の魔力が落ち着くとは、一体いつですか?」

リィドウォルの後ろに立つ、護衛騎士のイルウェンが、鋭い目付きでカウティスを睨む。

「何の目処も立たないのに、後退することなど出来ません」

ザクバラ側の代表団から漂う不穏な気配に、ネイクーン王国側に困惑と不満の表情が浮かぶ。


不味いな、とカウティスが思った時、リィドウォルが机の上を、軽く握った拳で二度叩いた。

その音に、皆の視線が彼に集まる。

「少し、休憩を挟みましょう」

リィドウォルは軽く笑んで言った。




「ザクバラは何故、あれ程この地にこだわるのだろう」

カウティスが呟く。

自国が大事だと言うなら、問題ばかりの土地を何故手放さないのだろう。

起こる問題以上の利が、この地にあるのだろうか。


話し合いの行われている建物から離れ、村の端まで歩いて、木立の間から見えるベリウム川を眺めた。

陽光にキラキラと輝く水面は、今日も穏やかだ。

「この一帯は、昔からザクバラのものだったと主張し続けていますからね。……ベリウム川から得られる利益を、捨てられないんでしょうか」

ラードが溜め息交じりに言った。


「歴史的な背景があるのだ」

護衛騎士を連れたリィドウォルが、カウティス達の方へ近付いて来た。

黒いケープと、後ろで高く結った黒髪が揺れる。

近くに他に人がいないからか、上辺を繕うつもりはないらしく、腕を組んでカウティスの側に立つ。

「同じ場所の歴史でも、語られる国によってその内容は大きく違う」

リィドウォルは、ベリウム川を挟んだ対岸を見つめる。

ネイクーン王国我が国とは歴史認識が違うと?」

カウティスはリィドウォルを窺い見る。


「……そなたは、この地の歴史をどう学んだ? おそらく、ベリウム川の利権をザクバラ国が主張して、土地を略奪し、争い続けているというような内容だろう」

リィドウォルの言う通りだ。

カウティスが子供の頃から学んできた国史では、隣国ザクバラ国との関係をそう教わる。

カウティスの沈黙を肯定と受け取り、リィドウォルは一度頷く。

「だが実際は、遠い昔、まだネイクーン王国に水の精霊がもたらされる前、そなた達が西部国境と呼ぶこの一帯は、間違いなく我がザクバラ国のものだったのだ」




水の精霊がネイクーン王国に落とされる前、この世界は今よりもっと人間が少なかった。

大陸の土地の多くは、誰のものでも、何処のものでもない土地だった。


当時のネイクーン王国は、フォグマ山を有する小国で、国領の東にベリウム川を有するザクバラ国の方が、ずっと大きな国だった。

どこにも所有されていない土地が間にあったので、両国は実質、隣接もしていなかった。

その頃から、ネイクーンは火の精霊の影響に悩まされており、ザクバラ国も又、度々起こるベリウム川の氾濫が人々を苦しめていた。


ある時、度重なるベリウム川の氾濫から、ザクバラ国で疫病が流行る。

汚染された土地と、荒れる濁流に、やむなくザクバラ国の人々はベリウム川一帯を離れた。

国王はオルセールス神聖王国に助けを乞い、聖人がザクバラ国を訪れて、人々を癒やした。


一年半以上経って、いざベリウム川一帯に戻ろうとした時、ザクバラ国の民は愕然とする。

彼等がその地を離れていた、たった二年弱の間に、フルブレスカ魔法皇国により、ベリウム川を国境とし、川の南東側はネイクーン王国の国領と定められていたのだ。

火の精霊の影響を減らすため、水の精霊がネイクーンにもたらされ、その頃からベリウム川の氾濫は減る。




「自国の民を守る為に一時退避したというのに、戻った時には、土地を奪われていたのだ。当時のネイクーン国王は、ザクバラ領土をネイクーン領土に含めて線引し、皇国に嘆願書を送った」

リィドウォルは無表情にカウティスを見る。

「ネイクーン王国が、我が国から領土を掠め取ったのだ。略奪者は、ネイクーン王国の方だ」


カウティスもラードも、驚愕した。

そんな歴史は知らない。

「……それが本当に正しいかは分からないでしょう。ザクバラ国の歴史は、ザクバラ国に都合良く改竄されているのかもしれない」

ラードが絞り出すように言った。

「それは、ネイクーン王国でも、そうかもしれないということだろう」

淡々と答えるリィドウォルに、ラードが言葉を詰まらせる。


「まさか、そんなことは……」

カウティスも絞り出せたのは、そんな言葉だけだった。

頭がついていかない。

ネイクーン王国の方が略奪者?

なまじ信じられた話ではない。



「歴史はそのように、人間が都合よく変えていくもの。後の世に生きているそなたを責められるものでもない。ましてや、そなたはザクバラ我が国の血を引く者だ。……だが」

リィドウォルの漆黒の瞳に、不穏な影が降りる。


奪われた者達ザクバラ国民は、今尚それを取り戻す事を悲願に戦っているのだ。ネイクーンを前にして、再びこの地から撤退する選択は、決してしない」


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