魔獣討伐完了
昨日の襲撃現場に再び現れたクマのような魔獣は、カウティスが見たこともない巨大なものだった。
吼声に気付いた一班が合流し、混戦の中、何とかとどめを刺すことに成功する。
討伐に度々参加したことのある兵士達も、こんなに巨大なクマ型は見たことがないと言い、その異様さに驚きを隠せなかった。
両国共に軽症者は多く出たものの、重症者や死者は出なかったのは幸いだった。
負傷者の手当をし、カウティス達は早々に自国へ戻る準備をする。
あくまでも非常事態による、討伐協力の為の越境だ。
目的を終えれば長居は無用だ。
「カウティス王子。今日は誠にありがとうございました。おかげで更なる犠牲を出さずに済みました」
リィドウォルが丁寧に立礼する。
カウティスから見ても、ザクバラ兵士達には疲労が溜まっており、カウティス達の協力がなければ被害は拡大していたかもしれない。
「一先ず皆、休息を取った方が良さそうですね」
カウティスは、思わずそんな一言を添える。
「今日中には中央から、追加人員が到着する予定です。そうすれば休ませてやれるでしょう」
リィドウォルは、後方に控えている兵士達を見遣った。
カウティス達は、橋まで戻って来た。
「明日、話し合いの席でお会いしましょう」
リィドウォルが言った。
堤防建造がままならない状況になってしまったので、これからの予定も随分変わるだろう。
挨拶を終えて、橋を渡る。
橋の中央を越すと、カウティスの呼吸は途端に楽になった。
カウティスには見えないが、ネイクーン側に戻って来て、
「戻って来る時の方が、空気の違いが顕著な気がします」
横でラードが言った。
特別に護りがなくてもそう感じる程には、両国の空気も雰囲気も違うのだろう。
カウティスは、ふと思った。
それならば、ザクバラ国の人間は堤防建造の為に橋を渡る度、この違いを感じているのではないだろうか。
それは一体どんな気持ちだろうか。
同じ様に争い、同じ様に復興を目指しているのに、相手国側だけは魔獣も出ず、肌で感じる程に空気も違う。
明らかに護られている
カウティスはそっと振り返る。
対岸でネイクーンの討伐隊を見送る、ザクバラ兵士達の顔を見た。
彼等の表情に僅かな妬みを感じた気がして、カウティスの背筋が冷えた。
そして、リィドウォルの目も又、再びセルフィーネの魔力を纏ったカウティスを見ている。
彼の目に、少し前に見た優しげな色はもうなかった。
午後の一の鐘が鳴る前には、カウティス達は拠点に帰り着いた。
拠点に入った途端、セルフィーネがまた馬を驚かせたが、二度目だったので皆それ程騒がなかった。
ただ、カウティスに興味あり気な視線や、ニヤニヤした笑顔が集まる。
セルフィーネは、カウティスの胸のガラス小瓶から離れようとしなかった。
少しではあるが、魔獣の返り血も服にこびり付いているというのに、離れない。
「セルフィーネ、どうした?」
カウティスが聞いても、答えずに首を振るだけだった。
マルクに聞いてみれば、随分と不安そうにしていたという。
「こうして無事に戻った。怪我もないし、大丈夫だ」
安心させようとそう言ってみても、彼女の不安気な表情は晴れなかった。
自分がいないことがそれ程辛かったのかと、カウティスは頬が緩みそうになったが、彼女の不安気に揺れる瞳を見て、喜ぶのは不謹慎だと戒めた。
いつまでも不安気に瞳を揺らしたままのセルフィーネを見て、カウティスは暫く考えていたが、隣の部屋で着替えていたラードに声を掛けた。
「暫く横になる。半刻したら起こしてくれ」
「王子、食事は?」
「起きてからでいい」
カウティスは寝台に向かうと、血の付いた上着を脱ぎ、薄いシャツの下からガラスの小瓶を取り出す。
銀の細い鎖を首から外すと、小瓶を寝台側の机に置いた。
セルフィーネは、黙ったままで離れようとしない自分を、カウティスがとうとう呆れて肌身から離したのだと思い、俯いた。
「セルフィーネ、おいで」
優しい声音でそう言われて、セルフィーネが目を瞬いて顔を上げると、カウティスが寝台に座って腕を広げている。
「…………小瓶から離れたら、
やっと口を開いたセルフィーネに、カウティスは安堵する。
「見えなくても、いるだろう?」
紫水晶の瞳を見開いたままのセルフィーネに、カウティスは微笑む。
「抱き締めたいんだ」
セルフィーネは胸がキュッと締め付けられたようだった。
机の上のガラス小瓶からそっと足を踏み出し、カウティスの胸に添う。
カウティスはセルフィーネの姿が小瓶から消えると、見えない彼女を抱き締めた。
「そなたはいつも、俺を護ってくれているのだな。ありがとう、セルフィーネ」
「カウティス……」
あのまま二人で横になって、暫くすると彼は眠ってしまった。
寝台の上でカウティスの寝息を聞きながら、セルフィーネはその愛おしい頬をなぞる。
魔術素質のないカウティスが、見えない自分をも抱きしめようとしてくれる事が嬉しかった。
カウティスが好きだ。
彼を守りたい。
苦しい事も、悲しい事もなく、笑っていて欲しい。
ただ、彼に幸せであって欲しい。
そんな想いが、彼女の心に溢れていく。
ふと、胸の奥で仄かな光が揺れている事に気付いた。
セルフィーネがそれに集中しようとすると、すぐに消えて分からなくなってしまった。
今の温かいものは、何だったのだろうか。
王城にも、西部での討伐協力が問題なく終了したことが報告された。
側妃マレリィは、自室の隣に設えてある執務室で安堵の息を吐いた。
細身の身体に、群青のドレスを纏った胸を押さえる。
カウティスが辺境警備に就いていた頃から、何度も心配して安堵することを繰り返してきた。
しかも、今回はザクバラ国での討伐だった。
カウティスに何か良くないことが起こりはしないかと、心配で昨夜から眠れなかった。
ザクバラ国は、マレリィにとっては生まれ育った祖国で、懐かしい思い出もある。
しかし、ネイクーン王国に根付いた今となっては、自ら古い過去に囚われたままの閉鎖的な国に思える。
その利己的な在り方を変えることが出来れば、両国は互いにもっと成長し合えるのではないかと思い続けていた。
だが、祖国が恐ろしいと思う気持ちが彼女を竦ませ、大きく動くことが出来ないままだ。
侍女が、王の来室を告げた。
マレリィは立ち上がって王を迎え入れる。
「マレリィ。ザクバラでの討伐が成功したと、もう知らせは聞いたか」
緋色のマントを揺らし、部屋に入って来た王がマレリィを気遣う。
「はい、陛下。皆無事に戻ったと聞いて、安堵したところです」
マレリィは王の顔を見て微笑んだ。
昨夜からの緊張が解け、そのまま二人でソファーに座り、少し話をしていた。
区切りの付いたところで、王が戻ろうと立ち上がる。
その視線が、壁際の棚に分けられた書類に止まった。
「候補は絞られたか?」
王がマレリィに向き直る。
「はい。……いえ、陛下、やはり少しお待ちになった方が良いのではないでしょうか」
マレリィも立ち上がり、視線を棚に向けた。
そこに分けられているのは、エルノートの正妃候補の身上書だ。
国内の高位貴族が、我が娘をと送ってきたものが殆どだ。
大きな肖像画が添えられた物もある。
王太子の正妃を選ぶのは、基本的には王妃の役割だ。
エレイシア王妃が亡くなっている今は、側妃のマレリィに任されていた。
「何故だ? 良い候補がおらぬのか?」
王が首を傾げた。
フルブレスカ魔法皇国から使者が戻った時点で、フェリシア皇女との離縁は成立している。
王としては、一刻も早く次の正妃を選びたかった。
「いいえ、そうではありません」
マレリィは暫く逡巡したが、王の目をしっかりと見つめる。
「エルノート王太子は今回のことで、深く傷付いていらっしゃいます。次の妃を選ぶのは、時期を見て、慎重に進めた方が良いと思うのです」
マレリィの言葉に、王が銅色の眉を動かした。
「時期を見てとは、いつのことだ。傷付いたからこそ、心根の優しい者を側に置いてやった方が良かろう。エルノートも了承しているはずだが」
確かにエルノートは、正妃を選ぶのは王とマレリィに任せるとしている。
「ですが……」
言葉を濁すマレリィを見て、王は眉を寄せて首を振る。
「ようやく明日、皇女が王城を出て行くのだ。早く忘れさせてやりたい」
明日、フルブレスカ魔法皇国から、フェリシア皇女の迎えがやって来ることになっている。
前代未聞の事件を起こした皇女を、早く国内から出し、心機一転したい王の気持も分かる。
マレリィは小さく息を吐いた。
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