因縁の始まり

遠駆け

土の季節前期月、最終週。

魔力干渉から数日経った。


西部国境地帯の堤防建造は、予定通り進んでいる。

対岸のザクバラ国側でも着工し、両国の職人と魔術士の協力で、特に大きな躓きもないようだった。

カウティスは時々現場を見に行くが、他の町や村の修繕にも力を入れていた。

人が戻れる環境になれば、自ずと西部に活気が戻り、作業に加わる人も増えるはずだ。




昼食を素早く終え、カウティスは立ち上がる。

ラードは作業員達の詰所の方に行っている。

「マルク、少し出てくる」

一緒に食事をしていたマルクは、まだ食べ終えていない。

彼は急いで口の中の物を飲み下し、尋ねる。

「どちらへ?」

「神殿の修繕具合を見に行く。ついでに遠駆けしてくる」

カウティスは壁に掛けてあった濃紺のマントを取り、羽織って流水紋のマント留めを付ける。

「王子、お供は誰が?」

マルクが栗色の目を丸くして立ち上がる。

ラードが付いて行くなら詰所には行っていないはずだ。


「セルフィーネがいる。セルフィーネ、行こう」

カウティスが、机に置いてある水差しに向かって手を伸ばす。

食事の時は、胸にいるとカウティスが食べ辛いだろうと、セルフィーネはいつもガラスの小瓶から離れていた。

水差しの側に留まっていた水の精霊の魔力が、流れるように動いて、カウティスの胸に収まる。

そして、彼の左胸に小さなセルフィーネが姿を現した。


「あっ、待って下さい。王子!」

マルクが止めるのを聞き流して、カウティスは愛用の長剣を手にすると、さっさと部屋を出た。

その足で厩舎に行って、誰かに止められる前に拠点を駆け出た。



拠点を出て街道を南へ進む。

「カウティス、神殿を過ぎたのでは?」

神殿のある町に行くには、さっきの分かれ道を曲がるはずだ。

「帰りに寄る」

あっさり言うカウティスに、セルフィーネが笑った。

「どちらが“ついで”なのだ?」




カウティスが馬を止めたのは、国境地帯の端だった。

少し小高い丘になっている場所から見下ろせば、ベリウム川は緩やかに西へ折れ、ザクバラ国へと流れ込む。

丘を降りれば、国境を示す壁がある。

ネイクーン王国は三国と隣合わせだが、国境に壁を作っているのは、この西部のザクバラ国との国境だけだ。

それだけ、ザクバラ国との確執が窺えるというものだ。


「綺麗だろう? 西部辺境警備にいた頃に見つけたんだ」

丘から下を臨む景色に、目を細めてカウティスが言った。

ベリウム川は陽光に眩しく輝き、壁のこちら側もあちら側も、風で波打つ緑が美しい。

「綺麗だ。でも、一人で来て良かったのか?」

セルフィーネの言葉に、カウティスが笑う。

「息抜きだ。……それに、セルフィーネと二人で話したかった。拠点あそこだと、誰に聞かれているかも分からない」

カウティスが鼻の上にシワを寄せる。

簡易の建物は壁が薄いし、人の出入りも多い。

カウティスは立場上一人の空間を与えられているが、それでもすぐ隣にラードが控える部屋があるので、完全に一人になることはあまり無い。 

魔術素質がないものには、セルフィーネと会話するカウティスが、独り言を言っているようにも聞こえるだろう。


「二人で話したいこと……?」

セルフィーネが、カウティスの左胸から見上げる。

カウティスは首から細い銀の鎖を引いて、ガラスの小瓶を服の中から出すと、持ち上げて目線を合わせた。

「セルフィーネ。魔力干渉の時に、……俺はそなたを傷付けなかっただろうか?」

彼女に触れたいという強い欲求で、魔力彼女に干渉し過ぎたのではないかと、あの日からずっと心配していた。


セルフィーネは目を瞬いて、頭を振る。

何度も振るので、髪がフワリと広がった。

「傷付いてなどいない。私は、カウティスが干渉してくれて嬉しかった。とても……嬉しかった」

小さなセルフィーネが頬を染めるので、カウティスはようやく安堵した。


あの時、セルフィーネに触れていると思ったら、止められなかった。

自分がどれ程彼女を欲していたのか、改めて思い知らされた。

傷付けたくないと思っているくせに、月光神に強制終了されたのが、恨めしい程に。


黙ってセルフィーネを見つめるカウティスに、彼女が首を傾げた。

「カウティス?」

「……好きだ、セルフィーネ」

思わず、口から出た。

より頬を染めた小さなセルフィーネが目を細め、嬉しそうに微笑んだ。




「カウティス、浄化の光を私が使えるのか、試してみたい」

暫く景色を見ていたセルフィーネが、ポツリと言った。

「……分かった。協力する」

セルフィーネが驚いたような顔をして、カウティスの左胸から見上げる。

「何だ、そんな顔をして」

「止められるかと思ったから」

カウティスは苦笑する。

「ラードは止めるだろうな。でも、セルフィーネなら、遅かれ早かれそう言うと思っていた。……狂った精霊を鎮めたいのだろう?」

セルフィーネはコクリと頷く。


思い詰めたような彼女の顔を見る。

セルフィーネの身体に刻まれた聖紋を見た時、彼女は必ず、精霊を鎮める為に神聖力を試すと言うだろうと思った。

精霊を鎮める方法がない今、僅かな可能性でも試したいだろう。


「精霊を鎮められるなら、鎮めてやりたいと俺も思う。上手く行けば、ザクバラの民も少しは救われるだろうし、……それに、歪んだ魔力は見えないが、セルフィーネが辛そうに川を見ているのは、俺も辛い」

カウティスは小さなセルフィーネに手を差し出す。

「そなたに苦しいことがあるなら、俺はそれを取り除いてやりたい」

セルフィーネは、カウティスが差し出した手の指を握った。

「……ありがとう、カウティス」




夕の鐘が鳴る頃になってようやく神殿に現れたカウティスを、仁王立ちになったラードが出迎える。

その顔は笑顔だが、目が笑っていない。

「王子が護衛騎士を撒くのが好きだと忘れてましたよ!」

「撒くのが好きなわけじゃない。一人で動きたい時があるだけだ」


何食わぬ顔で言うカウティスをラードが睨めつける。

「今回は何事もなくて良かったですが、国境付近では単独行動は控えて下さい、王子」

そう言うラードの雰囲気に、カウティスは表情を引き締める。

「何かあったのか?」

「ザクバラ側にまた魔獣が出ました。堤防建造の足場を組んでいた時だったようで、死傷者の多くは作業員だそうです」

カウティスは眉根を寄せる。

「何てことだ……」

「ザクバラ側の建造は、一時中断するしかなさそうです。……今後、どうしますか」

ラードが険しい表情で尋ねる。

「……次の話し合いまでに、方策を考えねばならないな……。急ぎ、拠点に戻る」

カウティスは濃紺のマントを翻して、来た方へ戻る。


次の話し合いは明後日、後期月の一日だ。





王城の応接室の一室で、王の前に座っているのは南部エスクト地方の領主だ。


エスクト領主は、40代位の小柄な男だ。

華美な装飾は好まないようで、宝飾の類は身に付けていないが、文官のような地味な色合いの詰襟は上質な作りで、よく見れば襟元や袖口に細かな刺繍が刺されてある。


先のアドホの街での一件が片付き、エスクト領主の働きに報奨を与える為、公式な謁見を謁見の間で済ませた。

別件で報告があると言うことで、応接室で話をしているところだった。



「フルデルデ王国が、水の精霊を貰い受ける?」

王がカップを持とうとした手を止めて、眉間にシワを寄せる。

「はい。最近特によく耳にする噂です」

領主が濃い灰色の瞳を細める。


南部エスクト砂漠は、隣接するフルデルデ王国の商人が多く行き来する。

エスクトの街はそういう商人が滞在する為、真贋定かで無くとも、隣国の多くの情報や噂が入って来る場所だった。

「確認したところ、フルブレスカ魔法皇国に、新たな水の精霊を貰い受ける為の嘆願書を送っているようなのです」


何百年も前、火の精霊の影響に耐えかねた当時のネイクーン国王が、皇国に嘆願書を送った。

そうして与えられたのが、ネイクーン王国の水の精霊セルフィーネだ。


「何故、今そのような嘆願を?」

「近年の砂漠化への対策として、我が国のように、水の精霊を貰い受けたいと願い出ているとか」

領主の言葉に、王と宰相セシウムが顔を見合わせた。

それが了承されれば、セルフィーネとは別に、フルデルデ王国だけの水の精霊が誕生することになる。


「……実現すれば、喜ばしいことのようにも思うが?」

王は考えるように顎に手をやる。

フルデルデ王国には、砂漠拡大の責任をネイクーンに求める声もあるというから、それが収まるならば問題は一つ減る。

しかし、エスクト領主の表情は冴えない。

「はい。しかし、気に掛かることがございます」

領主は、一度言葉を切って息を吸う。


「嘆願書は、ザクバラ国と連名で出されているという話です」


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