正統な王子

カウティス達は、夕の鐘が鳴る頃に拠点に戻った。

作業員の半数は、イサイ村や現場近くにテントを張って留まっている。

半数は拠点に戻り、一日毎に交代して作業を進める。



馬から降りるとすぐ、カウティスはセルフィーネを呼んだ。

「ありがとう、セルフィーネ。今日は助かった」

カウティスの言葉に、ガラス小瓶の上で、小さなセルフィーネは薄く微笑む。

「カウティスまで濡れてしまったな。すまない」

今はすっかり乾いているが、返ってきた者は全員、少しくたびれた印象の衣服になっていた。


あの時、セルフィーネは拠点にいたが、精霊達が何かに引かれるように動き出したのに気付き、上空から視界を広げて見た。

人間達が狂った精霊に感化され、騒ぎになっていたので、目を覚まさせる為に、手を伸ばして水を掛けてやることにした。

全員を乾かすのは骨が折れるので、そこは放置する。

本当はカウティスの側に行きたかったが、拠点にいる約束だったので、我慢して成り行きを見守った。


あの後、皆が落ち着いたようだったので、安堵して拠点で待っていたが、戻ったカウティスの元気がないようで、セルフィーネは首を傾げた。





ザクバラ側の川原で、リィドウォルが対岸を見ている。

日の入りの鐘が鳴ったばかりで、月は出ているが、まだ空はやや明るい。

土の季節の後期月になれば、暗くなるのは早くなってくるが、前期月後半の今はまだ、暗闇には遠い。


ネイクーン側の川原には誰もおらず、ひっそりとして見えた。

足元に流れるベリウム川の水が、サラサラと流れる音が聞こえるだけだ。

「今日の混乱は、魔力の歪みが原因だったのですか」

影のように後ろに控えていた、護衛騎士のイルウェンが言う。

「きっかけは人間の感情の揺れだろうが、途中からは精霊共のせいだな。……全く厄介なものだ」

リィドウォルは凪いだ水面を睨む。

流れは穏やかであるのに、その上には毒々しい色の魔力が漂っている。


これから、何度もネイクーン側の人間と共同で作業を行おうというのに、毎度あのようになっては堪ったものではない。

しかし、長く争ってきた両国の人間に、わだかまり無く付き合っていけと言ったところで、無理な話だろう。

何とかして狂った精霊を鎮めたいが、どうすれば鎮まるのか、リィドウォルにも分からなかった。

ここまで濁り、歪んだ魔力は、見たことがない。

少しの歪みであれば自然治癒されるのだが、ここまでになると、自然治癒されるには一体どれ程の時間が必要なのだろうか。



数日前に見た光は、確かに魔獣を浄化した。

魔獣が欠片も残さず消えたのだから、浄化で間違い無いだろう。

あの時、リィドウォルは内地にいたので、何処から光が来たのか見ていないが、川原にいた兵士達は、ネイクーン側からベリウム川の水面を走るように広がって来たと言った。


浄化は神聖魔法だ。

現在ネイクーン王国に逗留しているという、聖女の仕業かと考えたが、もしそうならばオルセールス神聖王国の管轄だ。

両国の諍いに関係なく、この地の浄化をさっさと進めるはずだ。

そうでないということは、聖女ではないのだ。



今日の混乱で、『頭を冷やせ』と言うように頭から被せられた水は、水の精霊の魔力によるものだった。

その美しく澄んだ清浄な魔力に、リィドウォルは驚愕した。

魔力を感じない者達ですら、皆揃って平常を取り戻したではないか。

あの後、嘘のように皆落ち着いた。

行き過ぎた言動だったと謝罪し、カウティスが受け入れたので、そのまま作業が続けられた。

誰も彼も濡れそぼっていて、ずぶ濡れになった場所もあったので中断かと思われたが、不思議とすぐに乾いてしまった。


リィドウォルは漆黒の瞳を細め、対岸を睨むように見つめる。

あの光が、水の精霊が放ったもののような気がしてならない。

浄化の光を精霊が放つなど、有り得ないと思う反面、今日感じた清浄な魔力が水の精霊のものならば、有り得ないことではないとも思った。


どちらにしても、あの水の精霊魔力を、早くこの手で触れてみたい。

のだとしても、今すぐに欲しいと思った。

彼は唇を舐め、誰もいない対岸を眺め続けた。





深夜、カウティスは眠れずに、固い寝台の上で今夜何度目かの寝返りを打った。


水でも飲もうと身体を起こし、机の上にある小さな魔術ランプに明かりを灯す。

水差しに手を伸ばすと、触れる前に水が揺れている事に気付いて、声を掛けた。

「セルフィーネ、いるのか?」

一拍おいて、返事がある。

「いる。眠れないのか?」

「……ああ」

カウティスは立ち上がり、月光を当てる為に窓際に置いてあったガラスの小瓶を持って来て、机に置く。

小瓶からゆらりと人形ひとがたが立ち上がり、淡い光を放つセルフィーネが姿を現した。

水色の細い髪が、サラサラと揺れる様を暫く眺める。



「何かあったか?」

小さな顔を上げて静かに尋ねるセルフィーネの瞳に、心配そうな色を見て取って、カウティスは躊躇い気味に口を開いた。

「今日、ザクバラ兵に言われたのだ」


『 なぜ我等同胞を救って下さらない!

 貴方はザクバラの王子でもあるはずだ 』


「俺はずっと、ネイクーン王国の人間だと思って生きてきた。だから、“同胞”と言われて……驚いた」

言葉を探すように、俯きがちに話すカウティスを見て、セルフィーネはゆっくりと瞬きする。

「受け取り方は人それぞれだ。ザクバラ国の民には、そのように思う者もいるのかもしれない。だが、カウティスはネイクーン王国の王子だ」


浮かない顔のカウティスに、セルフィーネは首を傾げる。

「……そなたがショックを受けたのは、そなた自身のせいなのでは?」

「……俺自身?」

眉根を寄せるカウティスに、彼女は頷く。

「幼い頃から、兄を助け、自国の為になる王子にならねばと気負っていた。そなたは、自分が敵国ザクバラの血を引くことに、引け目があるのだろう」

寝台に座ったカウティスが、身体を強張らせた。

組んだ両手に力が籠もる。


ザクバラ国の人間であっても、母を愛している。

だが、ザクバラの血を引く王子として、エルノートとセイジェから一歩引くよう育てられたカウティスには、どうしても、正統なネイクーン王族ではないという引け目がある。


「違うか?」

「……違わない。どうしたって俺は、半分敵国の血を引いている。ネイクーンの正統な王族ではない」

カウティスは奥歯を噛み締め、目を伏せた。




「正統な王族とは、何だ?」

セルフィーネの声に、カウティスは目を開けた。

彼女は小さく首を傾げ、白い人差し指を顎に当てる。

「半分別の国の血を引くと、正統な王族ではない? では、四分の一は?」

セルフィーネの問い掛けに、カウティスは困惑する。

「四分の一?」

「エレイシア王妃の母君は、アスタ商業連盟の、盟主の娘だ。つまり、エルノート王太子とセイジェ第三王子は、四分の一は他国の血を引くことになる」

カウティスは目を見開いた。

王の両親のことは知っているが、エレイシア王妃の両親については知らなかった。

「三代前の王妃は、母君がフルブレスカ魔法皇国の高位貴族だった。側妃も含めて遡れば、幾らでも他国の血が混じるな。何処の国の王族でも、似たようなものだろう」


セルフィーネはカウティスを見上げる。

「正統な王子とは何だろう、カウティス。エルノート王太子は、他国の血が混ざるから、正統な王子ではないか?」

「そんな訳はない!」

「それは、何故?」

「兄上は、民のことを何より大切にされているし、常に国を良くしようと努めておられる」

カウティスは言葉に力を込める。

その気持ちに、僅か程の偽りもない。

セルフィーネは手を下ろして、ゆっくり大きく頷くと、紫水晶の瞳で、ひたとカウティスを見つめた。


「カウティスと、何が違う?」


カウティスは言葉を失って、息を呑んだ。

「そなたも、国と民を大切にして、守ろうと日々努力しているではないか」

セルフィーネは、カウティスに向けて細い両腕を伸ばした。

カウティスは言葉を失ったまま、そっと小瓶を持ち上げ、近付ける。

「重要なのは血筋ではない。ネイクーン王国この地に生まれ、ネイクーンの水わたしの水で育った、愛しい王子」


彼女の小さな手が、カウティスの頬に触れる。


「そなたは間違いなく、ネイクーン王国の正統な王子だ」



カウティスは、彼女の触れたところから、温かいものが広がって行く気がした。

それはとても心地良く、長い間カウティスの中に澱のように積もり続けていたわだかまりを、清らかな流れで洗い落としていく。


セルフィーネは、この上なく愛しいものを見るように、間近でカウティスの青空色の瞳を覗くと、瞳を輝かせて柔らかく微笑んだ。

「セルフィーネ……」

カウティスは、胸が詰まって、それ以上言葉が出なかった。



ただ、目の前で微笑む水の精霊が、大切で愛おしくて堪らなかった。



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