混乱
翌日、午前の一の鐘が鳴って半刻。
堤防の建造が、今日より本格的に始まる。
イサイ村に近い川沿いに、カウティス達はいた。
話し合いに参加していた、ザクバラの代表団に加え、魔術士や作業員も来ていて、合同で作業が始まった。
土木建築の作業員達が、前もって準備を進めてきたので、足場等は既に組まれてある。
川から少し離れた場所には、膨大な量の石や土が運ばれ、山になっていた。
以前土手になっていた所は崩され、川の流れに沿う形で溝が掘られる。
溝に石が詰められる度、土の魔術符を持ったネイクーンの魔術士が、強固に固めていく。
「見事なものだな」
魔術士の働きを見ていたリィドウォルが言った。
緩く癖のある黒髪を後ろで高い位置に束ね、黒い詰め襟の上にケープを掛けた姿は、魔術士というよりは文官のそれだ。
公式な肩書は文官だというから不思議ではないが、魔眼持ちの彼には、魔術士のローブの方が馴染んで見える。
「ネイクーンの魔術符制作には、我等も学ぶべきだな」
リィドウォルの隣に立っていた魔術士が頷く。
「そうですね。ずっと効率的です」
「これだけは、クイードの功績と言えよう」
リィドウォルが口にした名に、周囲の空気がピリと緊張した。
クイードはネイクーン王国に国難をもたらした、大罪人だ。
カウティスにとっては、その名は今でも、喉の奥から苦いものが込み上げてきそうな過去が付いてくる。
しかし、ネイクーン王国の魔術レベルを上げたのは間違いなく彼で、彼の研究していた魔術符から始まる魔術陣は、魔術士館で引き継がれて今も研究されている。
魔術符を使えば、階級が下の者でも皆が一律な精度で魔術を発現出来るし、魔術陣ならば、少ない魔力で大きな魔術を発現することも出来た。
今でも国内だけでなく、国外からもそれを学ぶ為に留学を希望する魔術士は少なくない。
「奴も、手の届かないものばかり求めず、別の道を行けば良かったものを」
リィドウォルの呟きに、近くに立って作業を見守っていたカウティスが声を掛けた。
「クイードをご存知でしたか?」
「皇国で、同じ竜人に師事していました。良い競争相手であったと自負していますが、あの頃から、奴は魔法に対する執着が過ぎた」
遠い過去を思い出すように目を細めるリィドウォルに、二人は親しい間柄だったのかと思ったが、彼は憎々し気に顔を歪めた。
「皇国で魔法に失敗した際に、奴があのまま死んでおれば、我等はこれ程争わずに済んでいたかもしれません」
カウティスは眉根を寄せる。
詳細は分からないが、過去の事故とやらで、“クイードが死んでいれば良かったのに”と言っているのは分かる。
確かに、クイードが起こした事件がきっかけで水の精霊が眠りにつき、両国の諍いに繋がった事は否めないが、兄弟弟子に対する言い様としては、聞いていて気持ちの良いものではない。
カウティスの表情に不快感を見て取って、リィドウォルは細い眉を上げる。
「不愉快でしたか? 王子もネイクーンも、あれ程痛い思いをしたのに、それでも自国の者ならば完全には切り捨てないのですね」
カウティスは、目を細める。
「……貴方なら、切り捨てるというのですか?」
「当然です。自国の害になるものを、懐に入れておく意味がないでしょう。不要なら捨てる。物でも……人でも」
そう言ってこちらを向いたリィドウォルが、カウティスを舐めるように見る。
ネイクーン王国の第二王子は、ザクバラにとって利になる存在か、値踏みしているようだった。
その後も、職人と作業員が行う工程を説明されながら、視察を続けていた。
突然、対岸から風にのって微かな吼声が聞こえた。
カウティスが眉を寄せて顔を上げると、再び聞こえる。
ザクバラ国側に魔獣が出たのだ。
皆が気付いて顔色を変え、作業の手を止める。
「作業を続けて下さい」
言ったのはリィドウォルだ。
顔色を変えることなく、現場を見ている。
護衛騎士のイルウェンも、魔術士達も同様だが、ザクバラの作業員と兵士達は顔色が悪い。
「予定通り行いましょう」
リィドウォルが言い終わる前に、更にもう一度、吼声が響いた。
「リィドウォル卿、魔獣を放っておくのは……」
カウティスが口を開けば、リィドウォルは平然とした顔を向けた。
「我等の拠点には、十分な兵力を残しています。彼等に任せておけば良い」
「しかし……」
「ならば、今すぐ対岸へ向かえる術がありますか?」
カウティスが更に口を開こうとすると、遮るようにリィドウォルが言葉を被せる。
「我等とて、同胞の命を無駄に危険に晒したいとは思っておりません。ただ、向こうへ渡る術がないだけ。あるなら教えて頂きたい」
リィドウォルの表情に、初めてごく僅かな苛立ちを見た。
この一帯で国境を超えるには、イサイ村よりも更に北にある、橋を渡らねばならない。
今ここに来ているザクバラの者は、皆、その橋を渡って来ている。
今すぐにここを出て、馬で対岸に向かったとして、魔獣が出た地点に到着するのにどれ程掛かるだろう。
カウティスは唇を噛んで、目を逸らした。
「……あの光は……?」
ザクバラ兵士の一人が呟いた。
“光”という言葉に、カウティスはギクリとした。
「……この前の夜、魔獣が突然消えた。あれは、浄化の光じゃないんですか?」
そこまで言って、兵士が意を決したように前へ出た。
その視線はカウティスに向かっている。
「ネイクーンは、浄化の術を持っているんじゃないんですか!?」
兵士がカウティスに詰め寄ろうとするので、他のザクバラ兵が止める。
ネイクーン側の兵士も、カウティスの前に出た。
「言い掛かりだ。そんなものがあるなら、とっくに使っている」
「そうだ、我等とて、魔力の歪みに影響を受けているのだ」
ネイクーン側の兵士と魔術士が反論した。
兵士達が気色ばみ、急に雰囲気が良くないものに変わり始めた。
「不味い……」
マルクが顔を歪めて呟く。
「狂った精霊が引き寄せられてる」
大人数の不安や怒りに反応して、精霊達の叫びが大きくなっていく。
リィドウォルも川下を見て目を細め、イルウェンに兵士達を抑えるよう指示を出した。
苛立ちや不安が伝染し、声を荒立てる者が増えてゆく。
「ネイクーンには魔獣が出ないじゃないか!」
一人のザクバラ兵が叫んだ。
「何故、我等だけが魔獣に喰われる! 川幅だけの距離の差で、何故お前達だけが安穏としていられるんだ」
ザクバラ兵に肩を突かれ、カッとなったネイクーン兵が、相手の胸ぐらを掴んだ。
とうとう揉み合いになり、周囲は険悪さを増してゆく。
「よせ! 皆、落ち着け!」
カウティスが声を張り上げた。
近くにいたザクバラの他の兵士が、カウティスに向かって叫んだ。
「王子はなぜ、水の精霊を従えているのに
突然頭を殴られたように感じ、カウティスは半歩下がった。
ラードが支えて何かを言ったが、耳に入らない。
―――自分が、ザクバラの王子?
ザクバラの民が、同胞?
頭が真っ白になった。
ザクバラの血を引く自分が、西部で役に立つかもしれないと思っていた。
だが、それはあくまで、ネイクーンの王子としてだ。
今まで一度も、どれ程辛い時であっても、ネイクーンの王子以外であろうとしたことはない。
既に作業どころではなく、場は騒然とし、兵士達は一触即発の状態だ。
リィドウォルが小さく舌打ちした。
魔力がどんどん歪みを増している。
復興事業は始まったばかりで、今両国で争う訳にはいかない。
魔術を使ってでもこの場を収めるべきだが、攻撃的な魔術を得意とする自分に、怪我人を出さずに収められるか自信はない。
しかし、ザクバラ兵士の一人が剣の柄を握ったのを見て、リィドウォルは、少々の犠牲は仕方ないと、魔術を発現しようとした。
ズズッと小さく地鳴りがしたように感じた。
次の瞬間、ザザン、と大きな水音がして、川の方から津波のように巨大な波が押し寄せた。
波は、驚愕に目を見開いた人々を、一人残らず頭から飲み込んだ。
そして、苦しいと思う暇もなく、一瞬で水が引く。
突然の事に、水が鼻に入ったり飲んだりした者達が一斉に咳き込み、呆然とする者や、ヘタリと座り込む者もいる。
誰もが、毒気を抜かれ、何故あんなに騒いでいたのかと思った。
「王子、大丈夫ですか!?」
ラードが水を滴らせて、カウティスの顔を覗き込んだ。
「大丈夫だ。今のは……」
カウティスは一つ咳をして、前髪から顔に流れる水を拭う。
その時、足元に出来た水溜りが、極僅かに跳ねた。
「セルフィーネ」
彼女が助けてくれたのだ。
カウティスは軽く頭を振って、顔を上げた。
呆然としている場合ではない。
「怪我人はいないか。被害がないか確認しろ!」
指示を出すと、皆が自分を取り戻して動き出した。
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