定形
突然のセルフィーネの発言に、マルクは飲んでいたお茶を噴いた。
「わっ! 何やってんだマルク」
ラードが顔を顰める。
緑ローブの魔術士二人も、一人はカップを落とし、もう一人は驚きに目を見張って王子を見た。
「………………………………はっ?」
頭が真っ白になって固まっていたカウティスが、我に返った。
「今、な、何と言った?」
上擦った声で言えば、セルフィーネは全く変わらない調子で繰り返した。
「私を、脱がせて欲し……」
「待て待て待て!」
一気に顔に血が上り、手の甲で口元を押さえたカウティスが、テント内の皆の視線に気付いた。
ラードや作業員達は、何のことか分からず困惑気味の顔をしているが、緑ローブの魔術士三人だけは、カウティスと目を合わせないようにしていながらも、興味津々の様子が隠しきれていない。
「暫く席を外す!」
カウティスはガラスの小瓶を手にして、巻き上げてある外幕の隙間から外に出たが、一旦踵を返し、緑ローブの三人を睨んだ。
「今のは口外禁止だ!」
言い捨てると、そのまま足早に居住区へ戻って行った。
カウティスが見えなくなると、魔術士三人に、周りの者がどっと押し寄せる。
「何だ今のは?」
「水の精霊様は何と!?」
皆に囲まれて、マルクは口の前で指をバツにする。
「言いたいけどっ! 王族から箝口令を出されましたー!」
他の二人も同様に、笑い含みに大きく頷いている。
皆が不満の声を上げる中、何となく察したラードはお茶を飲みながら苦笑する。
この箝口令は、そう長くは保たない気がした。
カウティスは足早に建物に入る。
拠点になっているこの場所は廃村で、建物も半壊したものが殆どで、今までは大きなテントを張って生活していた。
二日前に簡易の建物が数棟完成したので、皆徐々に居住を移していて、カウティスとラードはその一棟を使っている。
自室には、テントで使っていた簡易寝台に、簡素な机と椅子が置かれてある。
カウティスは、握っていたガラスの小瓶を机の上に置く。
「セルフィーネ! 何を考えている?」
未だ頬に血が上ったままで、早口に言うと、セルフィーネは首を傾げる。
「この前の、光のことを考えていた」
「…………は?」
涼し気な様子で佇んだまま、当たり前の事の様に話すセルフィーネに、カウティスの頭はついていけてない。
「さっき、そなたを……脱がせろ……と、言わなかったか?」
口にして、まさか聞き間違いであったらどうしようかと思ったが、セルフィーネはあっさり頷く。
「脱がせて欲しいと言った」
カウティスは目を伏せて、片手で額を押さえた。
「すまない、セルフィーネ。話が見えない……」
話は見えないが、心臓の音はうるさい。
「あの光が溢れた時、背中に、痛みを感じた」
セルフィーネは白い左手で、右肩の後ろ辺りを押さえた。
「王城の泉で私が取り乱した時も、同じ場所に痛みを感じて我に返った」
カウティスがセルフィーネを不安にさせて、魔力暴走を起こした時だ。
確かにあの時も、ベリウム川で光が溢れた時と同じ様に、彼女は何かを感じてか身体を震わせた。
「だから、何か痛みの原因があるのか、見て欲しい。自分では見えない」
カウティスは長い息を吐く。
ようやく顔色は戻り、心臓も落ち着いてきた。
「紛らわしいぞ、セルフィーネ。背中を見てくれと言えば、それで良かっただろう」
一人で狼狽えていたのが恥ずかしく、それを隠すためにしかめっ面になった。
するとセルフィーネは、少し困ったような表情で、カウティスを見つめる。
「でも、カウティスに脱がせて貰わなければ、見せられないのだ」
追い打ちの様に言われて、カウティスは更に深く眉根を寄せる。
「自分で見ることが出来ないなら見るが、ドレスは……自分で肩を出せばいいだろう」
『脱がせて』なんて、紛らわしい言い方をするから、動揺した。
セルフィーネはふるふると首を振る。
動きに合わせ、水色の細い髪が広がった。
「私のこの
セルフィーネの表情が、すっと消え、ガラスの人形のようになった。
纏っていた柔らかな雰囲気は消え、サラサラと流れる髪や、揺れるドレスの細かな襞ですら、冷たい物に見える。
突然の変化に、カウティスは思わず息を呑んだ。
「彼が美しいと思う顔立ち、彼が触りたいと思う髪、肢体がより綺麗に見えるドレス。この姿は、彼が想像した通りの姿だ」
セルフィーネは、白く細い腕を広げて見せる。
彼女の口から出た内容に、カウティスの胸は抑えようもなくチリチリと痛んだ。
硬質な紫水晶の瞳がカウティスを捉えると、ふわりといつものセルフィーネに戻った。
カウティスは小さく安堵の息を吐く。
「だが、この姿は彼の想像した“定形”なのだ。この長い髪を切ったり結ったりは、私には出来ない。“定形”から外れるからだ」
「“定形”から外れる?」
「そう。“定形”から外れれば、
確かに、出会ってから今まで、彼女の表情や仕草は随分変わってきたが、髪型やドレスなどは変わっていない。
「……自分で出来ないのは分かった。だが、俺にだって出来ないだろう。俺には魔術素質がない」
カウティスは唇を噛む。
これについては、何度歯痒い思いをしたか分からない。
手に入るものなら入れたいが、無理なものは無理だ。
「それでも、カウティスは
セルフィーネは白い腕を伸ばし、小さな手でカウティスの指を握った。
カウティスを見上げ、青空色の瞳を覗き込む。
「魔術素質がなくても、そなたの心だけが、
見上げる彼女の、小さな紫水晶の瞳が、僅かに熱を帯びている。
「他の王族や魔術士に頼むのは嫌だ。カウティスでなくては、イヤ」
カウティスの心臓は、再び早い鼓動を刻む。
「……カウティスが、私を脱がせて」
暫くして、話し合いの場に戻ってきたカウティスの様子を見て、誰もさっきのことを聞いたり、茶化したり出来なかった。
彼は眉間に深いシワを刻んだまま、明日の打ち合わせを終えると、ラードを連れて戻って行った。
「どうしました、王子。不機嫌を装ってますけど」
一昨日まで生活していたテントの近くまで来て、ラードが後ろから言った。
カウティスはピタリと足を止め、肩越しにラードを振り返る。
「……何故、不機嫌じゃないと分かる」
「何となくです」
ラードが肩を竦めると、カウティスは、盛大に溜息をついて、その場にしゃがみ込む。
紺のマントが地面を擦った。
「こらこら。王族がその辺にしゃがまんで下さいよ」
情けない顔をしてしゃがんでいるカウティスを見て、ラードが苦笑いした。
「どうしたんですか。私がには水の精霊様の声は聞こえないんですから、何があったのか分かりませんよ」
カウティスは片手で自分の顔を覆った。
「……どうしたと聞かれると、混乱しているとしか言えない」
セルフィーネの魔力に自分が干渉できると言われて、驚いた。
魔術や魔力に関しては、全く関わることのできないものとしての認識だったからだ。
正直言えば、セルフィーネに今以上深く関われるのなら、嬉しい気持ちもある。
カウティスは右手を開いて見つめる。
痣は、皮手袋に隠されている。
セルフィーネが、背中に痛みを感じたと言った時、内心ギクリとした。
同じ瞬間に、カウティスは右掌に微かな痛みを感じたからだ。
彼女に干渉し、その背中を見たとして、そこに何かを見つけたら……。
カウティスは立ち上がって、青味がかった黒髪の頭を乱暴に掻く。
明日のこともあり、話し合いを中座もしていたので、セルフィーネのお願いの件は、一先ず保留にしてもらった。
まずは、明日のことだ。
明日、ネイクーン側の現場には、ザクバラ国代表団も立ち会う。
例によって、セルフィーネにはここに留まっていて貰うつもりだった。
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