共同墓地

フルブレスカ魔法皇国へ送った使者が王城に戻って来たのは、土の季節前期月の、四週も終わろうという頃だった。



王の執務室で、皇国からの親書を読んでいるのは王太子エルノートだ。

薬師長の許可が下り、普段通りの生活には戻ったが、以前に比べるとやや頬の丸みが削げ、精悍な印象だ。

彼は静かに全てを読み終えると、一度小さく息を吐き、無言で宰相セシウムに返す。

「……そういうことだ。良いな?」

執務机で、エルノートが読み終わるまで待っていた王が、顔を上げて確認する。

「はい」

エルノートは短く返事をすると、一礼して続き間へ入って行った。


親書には、エルノートへの見舞いの文と、皇女フェリシアの離縁を認める旨が書かれてある。

後は、後期月の初日に皇国からの迎えが到着するので、フェリシアを無事に皇国に戻すよう書かれてあり、謝罪等は一切なかった。

侍女の証言と検証の結果はあるが、証拠品は無く、フェリシア本人が否定したままなので、皇国としては下手に出るつもりはないのだろう。

両国どちらにとっても曖昧な結末だが、王太子の為にも、王はこの件を長引かせたくはなかった。


エルノートは27歳。

未だ子はなく、王太子妃以外の妃はいない。

離縁となったからには、急いで次の正妃を選ばなければならない。





城下郊外にある平民の共同墓地に、聖女アナリナがやって来たのは、昼の鐘が鳴る頃だった。

墓地の中央にある小さな祭壇で、司祭か神官が月に二度祈りを捧げるので、そのためにやって来たのだ。


女神官と共に門を入って、中央の日に焼けた石畳を歩く。

薄い水色の祭服が、そよ風を受けて涼しげに揺れるが、日中はまだまだ暑い。

周囲の墓に花を捧げに来ている人々が、アナリナに気付いて挨拶をする。


ふと、ずっと奥の方に、明らかに平民ではない身なりの者がいることに気付いた。

従者に加え、護衛騎士も付いているので、少なくとも高位貴族であることは間違いないと思ったが、チラと見えた横顔がセイジェ第三王子のようだった。

彼は、黄色を基調に束ねた花々を捧げ、柔らかい蜂蜜色の髪を風に乱されても、一心に祈っている。

平民の共同墓地に、王族が祈りに来るようなことがあるものなのか。

アナリナは不思議に思いながら、中央の祭壇に聖水の入った杯を置いた。



祈りを捧げて終わり、聖水を祭壇にかけて杯を仕舞った。

振り返れば、近くでセイジェが見ていた。

「お久しぶりですね、セイジェ王子」

アナリナが微笑みかければ、セイジェは蜂蜜色の瞳を細めて甘い微笑みを返し、聖女と女神官に挨拶をした。


「聖女様は、このようなお務めもなさっていたのですね」

驚きの含まれた響きに、アナリナは青銀の眉を寄せる。

「聖女は神聖魔法を使うような、派手な事しかしてないと思ってましたか?」

聖女という特別な聖職者に偏ったイメージを持つ者も多いが、“神降ろし”のない日は、日々の細かな務めを神官と同じように行っている。

言外に含まれたアナリナの不快感に気付き、セイジェは眉を下げた。

「失礼ながら、そのように思っていました。全く私の勉強不足だったようです。どうか、お気を悪くされないで下さい」

素直に認め、柔らかくそう言うセイジェに、毒気を抜かれる。

この容姿でこういう物腰ならば、大体の人間はほだされてしまうだろう。

「ネイクーン王国の王子は、三人三様ですね」

アナリナは小さく笑った。



「セイジェ王子こそ、このような場所に来られるとは知りませんでした。お知り合いの方でも?」

王族は王族の陵墓を持っているし、貴族は自分の領地か、貴族用の墓地に埋葬されるものだ。

この平民の共同墓地に、直接花を捧げて祈るほど親しい者がいたのだろうか。

「ええ、私の大事な者が、ここで眠ることになったのです」

セイジェが憂いの混じった笑顔を見せた。


この墓地の隅に眠ることになったのは、セイジェの乳母のソルだ。

ソルの故郷であった西部の小領地は、騒乱の折に一度ザクバラに奪われ、占拠された。

今はネイクーン領に戻っているが、領主一族が亡くなっているので、国の管轄地になっている。

荒らされた領土に、ソルが眠るはずだった墓地はない。

遠縁の親族は、犯罪者扱いになったソルの埋葬を拒否し、貴族用の墓地にも入れられなかった。

セイジェの願いで、犯罪者としての遺体処分だけは免れ、平民の共同墓地に埋葬が決まったのは、ごく最近の事だった。


「私の為に生きた者だったのに、苦しい最期を迎えさせてしまったのです。せめて、安らかに眠って欲しいと思っているのですが……」

セイジェは伏せ目がちに、墓地で揺れる花々を見る。


「それなら、貴方が笑顔でいるといいですよ」

アナリナから返ってきた言葉に、セイジェは驚いて顔を上げる。

聖職者らしい教えでも、返されるのかと思っていたのに。

「笑顔で、ですか?」

「ええ。貴方の為に生きたと言うなら、きっと貴方の今後を案じて逝ったのでしょう。だからこの先、貴方がどんな風に生きたとしても、心から笑っていれば、きっと安らかに眠れます」

アナリナはそう言って微かに笑う。


セイジェはそんな彼女を暫く見ていた。

不思議な女性だ、と思った。

心に、するりと手を伸ばされるような気がする。

見つめられていることに気付いて、アナリナが首を傾げた。


セイジェは、アナリナとカウティスのことについて、口を出すつもりはなかった。

だが、アナリナが何と答えるのか気になって、聞いてみたくなった。

「……ひとつお伺いしてもよろしいですか?」

「いいですよ」

アナリナは薄く笑んだままだ。

「聖女様は、カウティス兄上私の兄に、何をお望みなのですか?」


「望み……」

アナリナが呟き、女神官が心配そうに彼女の後ろ姿を見ている。

陽光にアナリナの青銀の髪が輝き、その眩しさに、セイジェは目を眇めた。

「共に連れて行くことだと言ったら、王族の方々はどうなさるのでしょうね?」

「それは……」

彼女の言葉に、セイジェは眉を寄せる。

女神官も息を呑んだ。



「あはは。冗談です」

不意にアナリナが声を上げて笑った。

大きく口を開けて、楽しそうに笑う顔は、孤児院の子供達と遊んでいた時のものだ。

「ネイクーンでは、本当にとっても疲れることがありましたから、最後にお祭りを楽しんで行きたいんです」

エルノートの命を救った前後は、聖女になって一番疲れた日々だったかもしれない。

「カウティス王子には、私の我儘に付き合ってもらうだけです」

アナリナはニッコリと笑う。

「……そうですか」

セイジェも微笑みを返す。


聖女の言う“我儘”がどういうものなのか、そこまでは聞くことが出来なかった。





西部ベリウム川の川原で、カウティスとセルフィーネから光が溢れてから、数日経った。

対岸のザクバラ側には、あれから大型の魔獣は現れていないようだった。

それ以外に変化は感じられない。

色々考えてみても、何故あんな事が起こったのか分からないままだった。



日の入りの鐘が鳴る頃、カウティス達は明日から本格的に始まる堤防建造の為に、最終の打ち合わせをしていた。

一番大きなテントの中で、マルクを含む緑ローブの魔術士三人に、下の階級の魔術士達と、職人、作業員が集まっている。


堤防は、土木建築の職人と作業員が中心になって行うが、その過程を魔術士が手助けするのが今までのやり方だ。

今回はそれに加え、魔術具の埋め込みが行われる。

堤防強化の目的で、魔術具で薄く魔術属性を持たせるのだ。

その為に、階級の高い緑ローブの魔術士が加わっている。



西部に留まっているセルフィーネは、カウティスが西部に来てから、よく一緒にいる。

昼間は上空にいて西部を見守りながら、時折王城や他の辺境を見ていて、それ以外はカウティスの側にいることが多い。

ガラスの小瓶にいる時もあれば、姿を見せずに近くにいることもある。

カウティスは魔術素質がなく、セルフィーネが働き掛けなければ分からない。

カウティスが忙しそうだと、彼女は特に話し掛ける訳でもなく、側で見守っていた。


緑ローブの三人は、最初こそ水の精霊の魔力が現れる度、畏まって挨拶したり恐縮していたが、今は軽く一礼する程度だ。

階級が下の魔術士や作業員達も、水の精霊の声は聞こえないので、緑ローブの三人が反応する度に同じ様にしていたが、カウティスやラードに気にするなと言われて、少しずつ慣れてきた。

見えないし聞こえないのだから、ずっと気にしておく方が難しい。

カウティスは、こんな風にセルフィーネが人間と共にいることが、ネイクーン王国の皆にとって普通になれば良いと思った。


マルクは時々、カウティスと水の精霊が言葉を交わしているのを聞いて、緑ローブの二人と共に驚いたり、こっそり笑い合ったりしている。

そして、自国の王子と水の精霊の縁の深さを、感嘆を込めて見守っている。





打ち合わせが休憩に入り、作業員が飲み物を配り始めた。

カウティスは立ち上がり、風が入るように大きく巻き上げてある外幕の所へ行き、空を確かめる。

今夜も月が美しく輝き始めたが、少し雲も出ているようだ。

打ち合わせが終わってからだと、曇っているかもしれない。


空いている椅子を一つ、月光が当たる位置に運び、首から下げているガラスの小瓶を取り出し、その上に置く。

月が輝く夜には、小瓶の魔石に月光を当てるのが日課だ。

小瓶の上には、小さなセルフィーネが佇んでいる。

何かを考え込んでいるのか、さっきまでずっと黙ってカウティスの胸に寄り添っていた。


「セルフィーネ、どうした。何を考えている?」

打ち合わせが休憩に入っても、心ここにあらずといった様子のセルフィーネに、カウティスが声を掛けた。

呼ばれて、彼女はようやく顔を上げてカウティスを見た。

「……カウティス、お願いがある」

「お願い? 何だ?」

セルフィーネが改まって願い事をするなんて珍しい。

青空色の瞳を瞬くカウティスに、セルフィーネが言った。



「私を、脱がせて欲しい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る