浄化の光
深夜、カウティスは遠く聞こえる声で目を覚ました。
簡易寝台に半身を起こし、耳を澄ます。
どうやら魔獣の吼声のようだ。
この遠さは恐らく、ザクバラ側にまた魔獣が出たのだ。
そっと起き出して、小窓に置いて月光を当てていたガラス小瓶を首に掛け、枕元に置いてあった長剣を握って外に出た。
今夜も、月が冴え冴えと輝いている。
見張りに立っている兵士と言葉を交わし、疎らな木立を抜けて、川沿いに出た。
川は水位も落ち着いていて、穏やかに流れていた。
月光を写して、水面が青白く輝いて見える。
不意に、中洲にぼんやりと光を放って立っているセルフィーネを見つけ、息を呑んだ。
「セルフィーネ!」
躊躇わず川原に駆け下り、砂利を飛ばして走った。
水に足が入ったところで、突然、目の前にセルフィーネが現れた。
「カウティス! 月が出ていても、夜に川に入るのは危険だ」
カウティスはつんのめって止まる。
「そなたがあんなところにいるからだろう!」
思わず強い口調で言ったが、セルフィーネはキョトンとして首を傾げる。
「私は、夜でも平気だ」
「そうではなく! また無理しようとしているのかと……」
カウティスは顔を曇らせた。
以前あんな姿になったのに、また中洲にいたことを心配したのだ。
カウティスの心配をよそに、セルフィーネは微笑む。
「マルクと同じ心配をするな。約束したのだから、
突然、セルフィーネの口からマルクの名が出て、カウティスは半眼になる。
「何故、そこでマルクの名前が出るのだ」
再び吼声が聞こえた。
対岸で戦っているのであろう気配と、怒声がする。
手助けしてやりたいが、国境の向こうだ。
南部の砂漠とは違い、今すぐ川を渡ることも出来ないのだから、助けられようはずもない。
もどかしさに唇を噛んで顔を背ければ、同じ様に苦しげな表情で対岸を見つめるセルフィーネがいる。
「セルフィーネ、どうした……」
思わずカウティスは手を伸ばし、彼女の頬に触れる。
セルフィーネは紫水晶の瞳を揺らして、カウティスを見た。
「私にはよく見えない。でも、今もあそこでは血が流れているのだろう?」
怒声と血の匂いに反応してか、
魔力の歪みが魔獣を呼び、人が血を流すから精霊が狂う。
悪循環だ。
誰もこんな苦しさを望んでいないはずなのに。
どうすれば良いのだろう。
どうすれば、平穏な場所になるのだろう。
皆が苦しまず、笑っていられる場所にすることは出来ないのか。
目を伏せ、長いまつ毛を儚く揺らすセルフィーネの姿に、カウティスは胸の奥が痛んだ。
彼女の頬に伸ばした左手の親指で、優しくその曲線を撫でる。
「セルフィーネ、そのように心を痛めるな」
セルフィーネは肩を
カウティスがそっと両腕を回すと、彼女の細い身体は、その胸にすっぽりと収まった。
心細げな肩を強く抱きたくて、彼女の背中から肩へ手を滑らせた。
その時、カウティスは右掌に、チリと痛みを感じた。
「あっ……」
同時に、ビクリとセルフィーネが小さく身体をのけ反らせた。
紫水晶の瞳が見開かれる。
瞬間、抱き合った二人の間から、温かな光が湧き上がった。
湧き上がった光が、二人を起点に、放射状に青白く輝きながら広がっていく。
放射状の光は、ベリウム川の水面を広がりながら走り、対岸へ吸い込まれるように消えた。
辺りは静まり返り、サラサラと水が流れる音だけが響く。
カウティスは呆然と、光が消えた対岸を見る。
今のは何だ。
何処かで感じたことのあるような光だった。
「カウティス……」
胸に抱いたセルフィーネが呼ぶ、小さな声で我に返った。
腕を下ろして見ると、カウティスの胸の前で、見上げた彼女の姿が朧になっている。
「セルフィーネ! どうした、大丈夫か?」
「消耗した……」
セルフィーネはゆっくりと目を瞬く。
「魔力が吸い出されるようだった。……カウティスが何かしたのではないのか?」
「俺が? そなたを消耗させるようなことをするはずがない」
消耗したと言うなら、さっきの光は、やはりセルフィーネの魔力なのだろうか。
「そうか……」
セルフィーネがカウティスの胸に頭を付けた。
精霊は疲れたりしないと聞いたことがあるが、“消耗”と聞くと、こころなしか彼女が疲れて見えて、抱き上げてやりたい衝動に駆られたが、実体のない水の精霊にそんなことが出来るはずもなかった。
「王子!」
川下の方から、ラードが駆け寄ってきた。
「一人で出歩かないで下さい!」
ラードにはセルフィーネが見えないので、カウティスが一人で川原に立っているように見えた。
「セルフィーネが一緒だ」
示されて、川に入ったカウティスの足元に、小さく水柱が立っているのに気付く。
「申し訳ありませんが、小瓶の方に。王子、ここは不味いです。影になる所へ移動を」
ラードの只事ではない様子に、カウティスは緊張を増す。
「セルフィーネ、行こう」
胸の前に立っているセルフィーネに言って、水から上がると走り出した。
カウティスとラードは、疎らな木立の中程まで戻る。
月明かりで明るいが、樹木は疎らでも影は多く、川原からはよく見えない。
ちょうどマルクが拠点の方から走ってきた。
拠点にいた魔術士達も、魔術素質の高い者は、川の方から急激に魔力が広がって消えたのを感じたらしい。
「……では、もしかして、さっきの魔力は水の精霊様が?」
マルクが聞く。
「セルフィーネが、魔力を吸い出されたと言っているから、そうかもしれない。確かに俺達から光が広がった気はするが……特に何かした訳じゃなかった」
カウティスが困惑気味に言うと、ラードがひとつ頷いて言う。
「この前、水の精霊様を川から引き上げた時の光と似てましたね」
「光?」
「はい。王子が水の精霊様を浄化したって、マルクが“奇跡”だと騒いでた、あれです」
カウティスは記憶を辿る。
さっき何処かで感じたことのある光だと思ったのは、それだったのだ。
あの時の光も、仄かな熱を感じて温かかった。
あの時のカウティスは夢中だったので、光がどのように広がったのか見ていないが、今と同じ様なものだったのだろうか。
「精霊の魔力というより、神聖力の様な感じでした」
マルクが言う。
「そもそも、浄化は神聖魔法の分野ですし。でも、一体どうして水の精霊様が神聖力を使えるのか……」
「私は神聖力など、持っていない」
カウティスの胸で、セルフィーネが小さくフルフルと頭を振った。
彼女にもさっぱり分からないらしい。
「……さっき、もう少し川下にいたんですが、あの光で、ザクバラ側の魔獣が消えたように見えました」
ラードが険しい表情で言った。
彼はカウティスよりも先に、対岸の様子を見に行っていた。
少し川下の川原に出て見ていると、ザクバラ兵が川原に転がり出て、大型の魔獣と戦っているのが見えた。
あの大きさの魔獣が度々出現しては堪るまいと、ザクバラ兵を気の毒に思いながら見ていた時、あの光が水面を滑るように走ってきた。
そして、光に飲まれるように魔獣は跡形もなく消え、残された兵士達は訳が分からないまま立ち尽くしていたという。
「どうして発現したのか分かりませんが、あれが浄化の光だとすれば、ザクバラが今後黙っていないでしょう」
ラードは険しい表情のまま、カウティスとガラスの小瓶を見た。
魔獣を抑える力があるとすれば、ザクバラ国が今一番欲しいのは、それだ。
「王子が川原にいたのを、ザクバラの人間が見ていなければいいのですが……」
カウティスから光が溢れたのを見ていれば、向こうの人間は何と思うだろう。
想像するだけでゾッとする。
カウティスは、紫水晶の瞳を心配そうに揺らして、彼を見上げているセルフィーネを見た。
「大丈夫だ……」
彼女に掛けた言葉は、自分に言い聞かせているものでもあった。
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