恋路

カウティス達は、イサイ村を後にして拠点へ戻る。

戻る道すがら、堤防を建造する場所を確認し、職人とマルクが意見を出し合うのを見ていた。



「どうかしましたか?」

不意にラードに声を掛けられ、カウティスは我に返った。

どうやら考えに沈んでいたようだ。

「いや、北部寄りの位置から建造することを、リィドウォル卿があっさり了承したのが気になって」

二年前には、ザクバラ領土だと主張していたので、もっと渋るかと思っていた。


「どうでしょう。この土地を諦めたのか、堤があっても侵攻に関係ないと思っているか」

カウティスは、ラードがサラリと口にした言葉に、顔を顰める。

二つ目の予想は、休戦協定が破られることが前提のものだ。

「これから復興に力を入れようとしているのに、不吉なことを言うな」

ラードは肩を竦める。

「相手はザクバラ国ですからね。有り得ない話じゃないでしょう」

確かにそうかもしれないが、そうならないことを願う。



確認を終えたマルクが、馬の方へ戻って来た。

カウティスを見て、口を開く。

「王子、昨日の定期通信で王城から指示があったのですが。収穫祭に合わせて、王子は一度戻るように、とのことです」

「収穫祭? 今年はいつだ?」

「えっと、確か後期月の三週五日ですね」

カウティスがラードを見る。

「私が戻らねばならないことが、何かあったか?」

「特になかったと思いますが。誕生祭には早すぎますし」

ラードの言葉に、カウティスが小さく顔を顰める。

「誕生祭……出ないと駄目なのか?」

「何を当たり前のことを。王子の誕生祭でしょう」

呆れ顔のラードが腰に手をやる。


カウティスの誕生日は、土の季節の最終週一日だ。

8歳の誕生祭を行ってからは、盛大に祝ったことがない。

9歳の時は伏せっていたし、国難の時だったので、数年は王族の誕生祭自体を自粛していた。

そのまま、フルブレスカ魔法皇国への留学期間に入り、留学を終えて戻った後も、辞退したまま辺境警備に出た。

憂鬱な表情のカウティスを見て、マルクは苦笑いする。

「収穫祭に合わせてと言われたので、誕生祭の為に戻る訳ではないとは思いますが、今晩の定期通信で詳しく聞いてみます」

「頼む。……さあ、戻ろう」


カウティスは、服の上から胸の小瓶を握った。

リィドウォルに近寄って欲しくなくて拠点に留まるように言ったが、話し合いが終わって緊張感から解放されると、無性にセルフィーネに会いたくなった。




午後の二の鐘が鳴って、半刻以上過ぎた。


セルフィーネは上空から、ベリウム川を眺めていた。

川の流れは穏やかだが、付近の魔力は相変わらず濁っている。


彼女は胸に手を当てる。

昨日、マルクと話して感じた、仄かな光。

あの感覚が、ずっと彼女の中で尾を引いていた。

雲で覆われた薄闇の夜に、一筋の月光を降ろしたようだった。


胸が苦しい。

カウティスに会いたい。

一日しか経っていないのに、顔が見たくて堪らなかった。

もう話し合いは終わっただろうか。

セルフィーネは視界を広げた。

北部へ向かう街道沿いに、馬に乗って駆けているカウティスを見つけた。

もう拠点のすぐ側まで帰って来ている。

ここに留まると約束したので、拠点の村に彼が入るまでは、律儀に待った。

一行が村に入った途端、セルフィーネはカウティスの胸に飛び込んだ。



拠点の村に入って馬を止めた途端、何頭かが嘶いて立ち上がった。 

「うわっ!」

作業員とマルクが馬上から落ちた。

他の馬も落ち着きなく動き、皆が焦って宥める。

「どうした!」

「何があった!」

村に残っている兵士達も出て来て騒ぎになったところで、カウティスの胸から小さな声がした。

「……私のせいだ」

カウティスが下を向くと、左胸に寄り添って、セルフィーネが口元に手をやっている。

「セルフィーネ」

「……カウティスに会いたくて、急いで来たら馬を驚かせてしまった」

申し訳無さそうに、上目にカウティスを見る。

「すまない……」


そういえば、エスクト砂漠で水の精霊の目覚めを知った時も、馬が落ち着かなくなったとカウティスは思い出した。

馬にはセルフィーネの魔力を感じることが出来るらしい。

羨ましい。


小さな姿を更に小さくして、申し訳無さそうにするセルフィーネに、カウティスの頬が思わず緩んだ。

「すまない、水の精霊が近くに来て、驚いたようだ。宥めてやってくれ」

カウティスが乗っていた馬の首を撫でながら皆に言うと、周囲の者達も安堵した。

マルクも作業員も、怪我はないようだ。

カウティスは馬を降りて、近くの兵士に手綱を預ける。

「夕の鐘まで一人にしてくれ」

ラードの横を擦り抜けてそう言い捨てると、一人足早にテントに入って行った。


ラードは器用に片眉を上げて、腰に手をやる。

マルクがお尻をさすりながら隣に来た。

「よっぽど会いたかったんですねぇ」

眉を下げてマルクが言うので、ラードは鼻の上にシワを寄せて苦笑する。

「若いねぇ」




テントに入り、仕切りの布を乱暴に剥ぐって奥の部屋まで行くと、カウティスは首に掛かった銀の細い鎖を引いて、服の下からガラスの小瓶を出す。

「驚かせてしまって、すまな……」

セルフィーネが言い終わるより早く、カウティスは小瓶を額に当てて目を閉じた。

「……カウティス? 何かあったのか?」

セルフィーネは小さな白い手で、カウティスの青味がかった黒い前髪を撫でる。

「……いや。ただ、そなたに会いたくて」


リィドウォルの、水の精霊の魔力を見る目に嫌悪を感じた。

セルフィーネを値踏みされているような気分で、苛立った。

早く彼女の無事な姿を確認して、輝く笑顔が見たくて、内心気が急いていたところで、セルフィーネが胸に飛び込んで来たのだ。

堪らなくなってテントに連れ込んでしまった。

もし、セルフィーネが実体を持っていたら、きっと、強く抱き締めて離すことが出来なかっただろう。

その細い首筋に顔を埋めたら、どんなに……。


そこまで考えて、バッと小瓶から額を離した。

驚いて目を瞬いているセルフィーネを見て、顔に血が上る。

行き過ぎた想像だぞ、と自分で自分を窘める。

「………………すまない」

「何故謝る? 私も会いたかった」

彼女が柔らかく微笑んで、ドレスの細かい襞から白い両腕を差し出すので、カウティスはぎこち無くもう一度顔を近付けた。





「どうやら、収穫祭にお忍びで出掛ける聖女様の護衛に、王子が付くようです」

カウティスとラードが夕食を食べていると、定期通信を終えたマルクが入ってきて報告する。


王城を離れれば、共に食事をすることも多い。

辺境で慣れている二人には当たり前なのだが、主従が同時に同じ物を食べていると、兵士に驚かれるので、テントの奥だ。

「護衛? 他の護衛騎士では駄目なのか?」

南部巡教の間に付いていた護衛なら、気心も知れていて良いのではないだろうか。

マルクが鼻の上を掻く。

「それが、聖女様がカウティス王子をご指名だそうです」


カウティスは、スープに入っている大きな芋をスプーンで崩しながら、アナリナと城下を回った時のことを思い出す。

またあんな風に平民に紛れたいなら、確かに王城の騎士には荷が重いかもしれない。

だが、突然決まった前回とは違い、収穫祭まで日があるのだから、平民の兵士を二人付けるとか、別の方法もありそうなものだ。

それとも、やはり聖女ともなると、国から騎士を付けなければならないものなのだろうか。


「それから、聖女様は土の季節の終わりに、ネイクーンを出られるそうです」

「……そうか」

聖女や聖人が各国に滞在するのは、およそ一年と聞く。

アナリナがネイクーン王国にやって来たのは、去年の風の季節だったのだから、確かに頃合いだ。


アナリナとは、友人と言っても良いくらいの関係にはなっていると思う。

アナリナもそう思ってくれて、最後にネイクーンの友人と出掛けようということだろうか。

直接感謝を伝えて別れられるなら、カウティスにとっても嬉しいことだ。



「分かった。了解したと、伝えておいてくれ」

カウティスが崩した芋を口にしていると、ラードが微妙な顔をする。

「そんなに簡単に受けていいんですか?」

「予定の調整は効くだろう?」

不思議そうにするカウティスを見て、ラードは頭を掻く。

「そういうことではないんですが……。王子、聖女は多分……」

言いかけて、軽く頭を振る。

「何だ?」

「……いーえ、何でも」

聖女がどうして指名したのか、恐らく理解していないカウティスに、ラードは盛大に溜め息をついて見せ、食べ終わった器を持って立ち上がる。



人間相手の恋路に、口を出すものではない。



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