捕縛
カウティスは、拠点のテントで朝食を取り、午前の間に、明日会談に参加する予定の者と打ち合わせを行う。
カウティスを中心に、魔術士代表のマルクと、堤防を建造する為の職人、作業員代表、兵士長、そしてラードだ。
「ザクバラ国は、どんな者が中心になっているのか知っているか?」
カウティスがラードに聞く。
先日までは、ザクバラ国の貴族院から来ると聞いているだけだった。
「先日の使節団で主使を務めていた、リィドウォル卿のようですね」
ラードが答えると、カウティスが眉根を寄せる。
「……伯父上?」
カウティスの反応に、ラードがぴくりと眉を動かす。
カウティスはそれ以上は何も言わず、打ち合わせを続けた。
昼の鐘が遠くから聞こえる。
カウティスはテントの奥で、身支度を終えた。
テントの外からは、馬や兵士が集まっている気配がする。
「カウティス」
左胸から小さな声がした。
下を向けば、小さなセルフィーネが紫水晶の瞳でカウティスを見上げている。
「私も一緒に行っても良いだろうか」
カウティスの行き先は西部の北端、イサイ村だ。
セルフィーネが二日間共にいても、西部の魔力に影響はないだろう。
カウティスは逡巡している様子だったが、首を振った。
「いや、セルフィーネはここにいてくれ。そなたには、ザクバラ国の代表に近付いて欲しくない」
「……分かった。待っている」
セルフィーネは、カウティスを見つめてから、小さく頷く。
カウティスの表情が固い。
代表というのは、使節団で主使を務めていた者だと聞いた。
カウティスがそう言うのには、訳があるのだろうと思った。
入り口に垂らされている仕切りの布を捲り上げ、ラードが入って来た。
「準備が整いました」
カウティスは頷き、皮手袋を着けた右手で愛用の長剣を手にする。
「王子、リィドウォル卿と面識があるんですか?」
ラードの突然の問いかけに、カウティスの動きが止まる。
「何故そう思う?」
カウティスがラードを窺うように見ると、彼は肩を竦めた。
「勘ですよ。“伯父上”なんて呼ぶ程、ザクバラ国の親族と交流はないと思っていたので、そう呼ぶなら面識があるのかと」
カウティスは軽く顔を顰めた。
「一度だけ、会ったことがある。……皆が待っている。その話はまた後にしよう」
言って、セルフィーネを見て微笑む。
「行ってくる。明日には戻るから」
「気を付けて」
セルフィーネはコクリと頷いて、消えた。
ラードの勘は正しい。
マレリィはネイクーン王国に嫁いでから、公式なものを除いて、ザクバラ国の親族と最低限の交流しか持っていない。
カウティスが生まれた時と、7歳になった時に、祝いの使者が来たくらいだ。
成人した時は両国が激しく争っていて、使者はなかった。
カウティスが伯父の顔を知ったのは、幼い頃、マレリィに肖像画を見せてもらった時だった。
マレリィと彼女の両親、兄二人と妹一人の六人が描かれた物だ。
皆、一様に黒髪と黒眼で、祖父と下の伯父以外は亡くなっていた。
伯父の顔を覚えたのは、母に似た顔立ちと、特徴のある右目の下の痣のせいだった。
カウティスとラードは、兵士三人と共に馬を走らせる。
イサイ村までは半刻もあれば余裕で着くが、途中の各所を見回って行く。
この辺りには大きな街はない。
街道沿いの小さな村々は、侵略されたまま放置されて寂れた所もあれば、侵攻を耐え抜いて、僅かながらも民の残っている村もあった。
この辺りを守って戦っていた兵士達は、村の守りに数人ずつ残り、残りはもう撤退している。
夕の鐘が聞こえる頃、カウティス達はイサイ村に入った。
イサイ村は既にザクバラ兵が撤退していて、ネイクーンの兵士として徴兵されていた村人が戻り、ザクバラ兵の残した物を、村外れに積み上げている。
建物はほぼ残されているので、地面で野宿はしなくて済みそうだった。
日の入りの鐘が鳴って、暫く経つ。
村の中心の広場で、カウティスと共に来た兵士達と村人が、焚き火を囲んでいる。
カウティスとラードは、少し離れた木の陰で、それを眺めながら話していた。
「北部辺境警備に就いていた時に、ザクバラ兵に捕らわれたことがあった」
カウティスが、焚き火を見ながら言う。
その横顔に赤い光が踊る。
ラードが腕を組み、顔を曇らせる。
「……初耳です。捕虜になったってことですか?」
カウティスが小さく溜め息を付く。
「捕虜にされてもおかしくなかったが、伯父……リィドウォル卿が見逃した」
18歳になってすぐ、カウティスは辺境警備に就いた。
初めは、王の指示で、殆ど魔獣の影響のなかった東部に派遣された。
しかし、それでは意味がないと、カウティス本人が転属希望を出し、王の反対を押し切る形で北部へ移動する。
それからは、今年の初めに南部へ移動するまでの二年余り、北部と西部の辺境警備にいた。
北部に移動して一年目、魔獣を深追いして、西部との境にある林に入った。
その頃の北部には、西部寄りによく大型の魔獣が出現していて、それを討伐する目的だった。
後から考えれば、それらの魔獣は、精霊が狂っていた西部からやって来ていたのだろうが、その頃には気付かなかった。
水の季節の、月が雲で覆われた夜だった。
深夜、野営をしていたところを、ザクバラ兵に襲撃される。
魔術士がいたらしく、六人いた討伐メンバーが、全員一斉に意識を奪われた。
ほんの僅かな時間だったようだが、その時間で隊長を含む二人が斬られ、カウティスを含む四人が地面に押さえつけられた。
「民間人じゃないのか?」
「だが、武器を持っているぞ」
敵の会話が聞こえ意識が戻った時、瞬時に押さえつけられた手を振り解いて、カウティスは剣を握った。
しかし、仲間の首に剣先が当てられているのを見て、躊躇したところを背中から蹴り飛ばされ、地面に転がる。
そのまま斬られるかと思った瞬間、声が割って入った。
「待て、イルウェン」
暗闇から抜け出るように近付いた男は、闇と同じ色の短いローブを被った魔術士だった。
彼は松明をカウティスに向けると、暫く眺めて、イルウェンと呼んだ騎士に何かを指示する。
カウティスはイルウェンに後ろ手に縛られ、野営の為に張っていたテントに引きずり込まれた。
テントの中が松明で照らされ、炎の赤々とした眩しさに目を眇めると、低い声が名を呼んだ。
「カウティス第二王子だな」
ネイクーン王国では黒髪は殆ど見ないが、数少ないながらも、北部と西部では見ることもある。
黒髪だけで第二王子と決めつけることは出来ないはずだ。
しかし、魔術士の言葉には迷いがなかった。
断定され、カウティスは背筋が凍る。
停戦中と聞いていたが、彼等は間違いなくザクバラ兵だ。
停戦は破棄されたのだろうか。
敵国の王子を捕らえれば、どういう扱いになるか。
今より更に父王に迷惑を掛けることになるのは、間違いない。
顔色悪く黙っているカウティスに、魔術士は近寄って目の前に片膝をつき、被っていたフードを剥ぐ。
現れたのは、緩く癖のある黒髪に、母によく似た面立ちと、右目の下の特徴的な痣。
「…………伯父上?」
“伯父”と呼ばれた魔術士、リィドウォルは目を細めた。
「マレリィは私を伯父だと教えたか。そうだ、そなたの伯父だ。我が甥、カウティスよ。初めて会うな」
カウティスは何と言っていいか分からず、ただ目を瞬いていたが、隣に立っているイルウェンという騎士は、鋭い目付きでカウティスを見下ろしていた。
その目の色には、憎しみのようなものが混じっている。
「カウティス、そなたは何故こんなところにいる? 国境地帯は停戦区域だ。帯剣してザクバラ側へ立ち入れば、斬られても文句は言えぬぞ」
「……辺境警備で、魔獣討伐に来ている。ここはネイクーン領土だ」
カウティスが上目に睨むようにして言った。
ネイクーン領土で、堂々と“ザクバラ側”と言われ、困惑と苛立ちが湧き上がる。
はっ、とリィドウォルが鼻で笑う。
「ネイクーンの者は必ずそう言うが、ここは元々ザクバラ領土だ。現に今、そなたの父は我等がこの一帯を治めても、兵を差し向けまい?」
全く当たり前のことだと言うように、リィドウォルが口にする言葉に、カウティスは奥歯を噛んだ。
父王が手を出さないのは、停戦協定を重視してのことだ。
手を出せば、戦火が広がる。
しかし、この状況で下手なことは言えなかった。
黙るカウティスを見て、リィドウォルが薄く笑う。
「しかし、そなた、見事だな。どうやって水の精霊をここまで従えたのだ?」
“従えた”と聞いて、カウティスの心臓がドクンと大きく跳ねた。
出来るだけ無表情に答える。
「……何のことか分からない」
「そうか、そなたには魔術素質がなかったな」
リィドウォルは黒いローブの下から、するりと手を上げると、カウティスのこめかみから頬へと掌を滑らせる。
温く湿った手の感触に肌が粟立ち、顔を背けようとすると、イルウェンの片刃剣がカウティスの左顎の下に入った。
その焼けたような痛みで、皮膚に刃が食い込んでいるのが分かり、息を詰めて、動くことが出来ない。
「この魔力が見えぬとは、なんと惜しい」
リィドウォルの声が、不吉に響く。
カウティスは浅く呼吸をする。
「そなたを辺境にやるとは、ネイクーンの者達は、そなたの価値を分かっておらぬのか?」
「…………私の価値? 廃嫡を望まれる王子に、何の価値があるのか」
吐き捨てるようにカウティスが言う。
セルフィーネが去って十年以上経ち、未だ戻る気配もないことに、落胆と焦燥感が増していた頃だった。
諦めず、立ち止まらず、前だけを見て努力し続けていたが、周りの状況がカウティスの気力を削ぎ続け、死にたい訳ではないが、命を大切にしようという気持ちが薄れていた。
「……そなた自身も、分かっておらぬようだな」
リィドウォルが目を細める。
その漆黒の瞳の奥に、何かが潜んでいる気がして、カウティスはぞっとした。
「では、その命と引き換えに外の仲間を助けてやろうと言ったら、そなたは己の命を差し出すか?」
リィドウォルの言葉に、イルウェンの片刃剣の刃に力が入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます