気付き

王城の大食堂で、朝食が摂られている。

王と側妃マレリィ、王太子エルノートと第三王子セイジェだ。



「収穫祭に、カウティスとですか?」

マレリィが眉根を寄せて、手にしていたグラスを置く。

「そうなのだ。『一日貸して下さい』と言われたぞ」

王が小さく首を振る。

聖女アナリナの願い事の件だ。


セイジェもパンを小さくちぎりながら、内心溜め息をついた。

西部に行っていて、収穫祭の時期に不在のカウティスをわざわざ指名するのだ。

聖女はカウティスに、何かしらの思い入れがあるということだ。

それが友人としてのものならば良い。

だが、そうでなければ、こういう機会を設けるのは酷ではなかろうか。

王族と聖女に交わる可能性はない。

聖職者同士でなければ婚姻出来ないということもそうだが、神聖力を独占しておきたいオルセールス神聖王国が、王族との結び付きを許すはずがないからだ。



「以前、お忍びで二人が城下街に出たことがありましたから、頼みやすいのでは?」

エルノートが言った。

王が口に入れかけたフォークを止めて、エルノートを睨む。

「聞いておらぬぞ。いつの話だ」

「カウティスが辺境警備から戻って、すぐだったかと。私と城下視察に行った時に」

王が眉間に深くシワを寄せる。

「そんな頃から、二人で会っていたと? 訳が分からぬ。何故そうなる」

「確か、聖女様が我が国に入られるときに警護したのが、カウティスを含む北部辺境警備だったとかで、顔見知りでしたよ」

グラスの水を飲み干し、エルノートが事も無げに言うので、王もマレリィも唖然とした。


「何か心配ならば、他の近衛騎士を付けますか? 共に南部へ行ったノックスなら気心も知れているのでは?」

エルノートが口元を布で拭いながら言う。

王が渋面になってエルノートを見た。

「他でもない、そなたの命を救った褒美として望んだのだぞ。叶えられるものなら何でもと約束したのに、勝手に変更するわけにいくまい」

「そうでしょう? では、希望通りカウティスを付けましょう。今からなら、予定の調整も効くでしょうから」

軽く笑んでエルノートは立ち上がる。

先に席を立つ非礼を詫びて、大食堂を出て行く。

ほぼ本調子に戻った彼は、公務に向かう時間を少しでも早く取りたいのだろう。


セイジェは溜め息をついた。

何というか、兄は女性の気持ちに寄り添い足りないように思う。

民の心にはあれ程添えるのに、自分の周りにいる女性には無頓着だ。

王太子妃フェリシアの行いは、当然許されたものではないが、その点だけは同情する。

今後新しい王太子妃を迎えるにも、側妃を迎えるにも、兄が変わるか、兄の気質を理解する女性でなければ上手くいかないのではなかろうか。

いつか兄にも、心を添い合う女性が現れるのだろうか。


セイジェと同様の思いだったのか、王が頭を抱えて大きく溜め息をついた。

「退位を目前にして、何故こう心配事ばかり増えるのか」





日の出の鐘が鳴る前。


ベリウム川の畔で、セルフィーネは佇んでいる。

川の辺りは相変わらず濁った魔力が立ち込めていて、精霊の嘆きの声が彼女の胸を抉る。

しかし、彼女は黙ってそれを受け入れて立っていた。



カウティスは西部に来ても早朝鍛練を欠かさず、拠点から少し離れて、川の近くで剣を振っていた。

セルフィーネが近くにいることには気付かず、黙々と型をなぞる。

彼女は、邪魔をしないように、声は掛けずに見守った。

魔術素質が全く無いカウティスには、こちらから訴え掛けなければ、近くにいても気付くことはない。


カウティスはひと通り終えたのか、剣を下ろして袖で汗を拭きながら、対岸を眺めた。

声を掛けようと思ったが、対岸を見る彼が心を痛めているように見えて、躊躇う。

なぜ、そんな顔をして向こうを見ているのだろうか。


ザクバラ側には魔獣の出現が跡を絶たないという。

セルフィーネはこの西部の民を憐れだと思っていたが、それに近い境遇のはずのザクバラの民を憐れに思ったことはなかった。

それどころか、対岸の様子を見ようと思ったこともない。

見ようと思っても、ネイクーンの外は実際よく見えないのだが、関心がなかったというのが正しい。

カウティス達が話していて、ザクバラ側には魔獣が出ると聞いても、狂った精霊同胞への憐れみを感じても、ザクバラの民の事は何とも思えなかった。

彼女はネイクーン王国の精霊で、自国それ以外に、心を寄せることを知らなかった。




疎らな木立の間から、ラードが出てきた。

その手には水筒と汗拭き用の布がある。

「早めに出て、イサイ村の辺りを見てみようと思う」

水筒を渡されて一気に飲み干し、代わりに布を受け取りながら、カウティスが言った。

イサイ村は、明日会談が行われる村だ。

言われてラードが険しい表情になる。

「事前調査では、ザクバラ兵は退去済みのようですが、単身で行かれるのは危険かと。数人でも兵を連れて行って下さい」



ベリウム川は、ネイクーン王国の北部に聳えるフォグマ山に源流を持つ。

そこから、北部のほぼ中心を東から西へ流れて西部に入ると、ザクバラ国とぶつかる手前で南西へ折れ、そのまま川が国境となる。

更に西へ折れた先の下流は、ザクバラ国領土だ。


ベリウム川が南西に折れる辺り、西部の最北端のイサイ村が、明日、会談が行われる場所だ。

ネイクーン王国は何代も前からこの辺りの領土を巡り、度々ザクバラ国と対立してきた。

丁度川が折れる所で、フォグマ山から流れ出る貴重な鉱物が、その近辺の川原や川底で見つかる為だ。


争いが起こる度、お互いに領土を切り取り合い、国境を引き直してきた。

ネイクーン王国側は、この地は元々ネイクーンのものだと言い、ザクバラ国側は、常にザクバラ領土だったと主張する。

今回の休戦協定が結ばれる前まで、会談が行われるイサイ村は、ザクバラ国の兵が占拠していた。

だが今はザクバラ側が折れて兵士が退去した形だ。

ネイクーン王国としては、この機会に下流の拠点がある辺りからここまで堤を築き、ザクバラ国の人間が、自国の領土だと主張出来ないようにしたかった。



「分かった。選抜は任せる。昼には出られるようにしたい」

「分かりました」

カウティスは汗を拭く手を止め、ベリウム川を見る。

川の流れは穏やかで、以前マルクと向かった中洲も見えていた。


「……魔術素質を後付で手に入れる方法はないのだろうか」

ポツリと呟くようにカウティスが言う。

一度拭いたのに、カウティスのこめかみから、また汗が流れた。

「聞いたことありませんね。天性の才能みたいなものですから」

ラードが器用に片眉を上げる。

「新しい小瓶を用意したんでしょう。それで満足しては?」

ラードがセルフィーネの事を言っているのだと分かって、カウティスが眉根を寄せる。

「セルフィーネが見えないから言ってるんじゃない。……いや、確かにそれもあるが……」

しどろもどろのカウティスに、ラードが白けた目を向ける。

「だから、そうじゃなく! この地の魔力がどれ程濁っているのか、俺達には分からないだろう。見えれば、対処出来ることも増えるのかと思っただけだ。……魔獣に襲われているザクバラの民が、憐れだ」


カウティスは対岸を見て、目を細める。

今は静かだが、こちらまで聞こえるほどの吼声など、大型の魔獣が出現しているのではないのだろうか。

一体どれだけ魔力が歪んでいるのだろう。

それ程に、ここで人が血を流したのか。

どうにかこの場所の精霊を鎮め、また争いが起きないよう、復興を進めたい。


考えに沈んでいるカウティスを見て、ラードが一つ息を吐く。

「王子が考えるべきは、まず自国の民でしょう」

「分かっている」

カウティスが顔を顰めて黙るのを見て、ラードはこっそり笑う。

目の前で困っている人がいれば、放っておけない性分の王子なのは知っている。

青臭いとは思うが、ラードにとっては、それもこの王子の面白さなのだ。


「私は実体の無いものが見えるなんて、御免ですね。そんなものは、魔術士に任せておけばいいんですよ」

カウティスがラードを振り返ると、彼は地面に置いていた水筒を拾い上げる。

「私達に出来るのは実体相手ですよ、王子。まずは明日の会談でしょう」

カウティスは唇を引き結び、ひとつ頷く。

確かに、無い物ねだりするよりも、出来ることを積み上げていく方が堅実だ。

「そうだな。……戻ろう」

カウティスがもう一度汗を拭き、木立の方へ向かう。

ラードが後に続いた。




『魔獣に襲われているザクバラの民が、憐れだ』


川の畔に一人残ったセルフィーネは、カウティスの言葉を反芻する。

彼は、ネイクーン王国の民でなくても、身を案じ、心を痛めているように見えた。

セルフィーネは目を瞬く。

そんな風に感じたことはなかった。

ネイクーン以外にも同じように人間がいることに、今気付いたかのような気分だった。

ずっと昔、世界から切り取られる前は、知っていたはずなのに。



彼女は対岸を見る。

私には何が出来るだろう。

カウティスに出来るのが実体相手なら、私に出来るのは精霊を相手にすること。

でも、カウティスと約束をした。

もう精霊達同胞の中には入れない。


狂った精霊の中に潜らずに、彼等を鎮めることは出来るのだろうか。



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