悋気
午後の一の鐘が鳴り、王城の謁見の間で、聖女アナリナは王に感謝を述べられる。
王族に加え、貴族院の面々と魔術師長や騎士団長も参列し、公式な催しとして謁見した。
南部巡教を終えた報告と、協力への感謝も神殿側から伝えられた。
「はあー……、肩が凝ったわ」
アナリナが盛大な溜め息をつく。
すまし顔を貼り付けていたので、顔面も疲れた。
側にいる女神官が、顔を引きつらせる。
「聖女様っ」
「だって、ああいうのは苦手なんだもの」
アナリナは唇を尖らせる。
謁見を終えたアナリナは、私的なお茶会として、二階から庭園を臨むテラスに招待されていた。
招待したのはマレリィだ。
「聖女は堅苦しいのは苦手であったな」
笑い含みに言って、室内に続く扉から王がテラスに出て来る。
その後ろから、濃い紫の細身のドレスを着こなした側妃マレリィが続き、詰襟にマント姿の王太子エルノートと第三王子セイジェ、騎士服のカウティスが歩いて来る。
王族勢揃いだ。
屋根と日除けの布で影になっているとはいえ、外気に晒されるテラスでは暑いかと思ったが、テラスには風と水の魔術具が設置されていて、ひんやりとした風が流れ、程よく涼しい。
大きな丸いテーブルがいくつか並べられ、その上には、軽食や焼き菓子が段になって盛られている。
侍従達がお茶の準備をしていると、マレリィがアナリナの側に来て、軽く膝を折る。
「聖女様、招待をお受け下さって嬉しく思います。直接お話することが叶いました」
このお茶会は、王がどうしても直接聖女に感謝を述べたいという意向を汲み取り、マレリィが主催した形だ。
王がマレリィの横に立つ。
「聖女よ、王太子を救ってくれたことに、改めて礼を言う。そして、我が民をも守ってくれたことにも、なんと感謝すれば良いか」
王の言葉に、アナリナは苦笑する。
「もう随分感謝の気持ちは受け取りましたから、これ以上畏まらないで下さい」
神殿や治療院、孤児院にも、王城からの使いが、謝礼だと言って多くの物品を運び込んでくれた。
「あれは、ほんの気持ちだ。それに、貴女自身への贈り物ではなかろう。個人的に望む褒賞はないか?」
食い入るように問う王に、アナリナは眉根を寄せる。
王族や貴族は、こうやってよく物品を贈ろうとするが、神殿に属する限り、高価な装飾品は身に着けられないし、服だって法衣や祭服を着るのが決まりなのだから、貰っても困るだけだ。
「……特にないので、今回だけでなく、持続的に神殿の支援をお願いします」
「それは勿論だが……」
不満気な王を、エルノートが笑う。
「保留にしておいて、何かあれば伝えて頂けば良いのでは?」
アナリナが何度も頷くので、王は渋々引き下がった。
エルノートはカウティスを引き連れて、アナリナの前で立礼して礼を述べた。
カウティスはアナリナと目が合うと、軽く微笑む。
近衛騎士としてエルノートに付いているので、個人的にアナリナと話すつもりはないらしい。
それでもアナリナは、カウティスがこちらを見て笑ってくれたので、嬉しかった。
彼への気持ちは自覚したが、だからといってどうにも出来ない。
自分は、オルセールス神聖王国所属の聖女で、彼はネイクーン王国の王子だ。
どうやっても、これ以上交われるとは思えない。
だから今はただ、胸の鼓動を感じながら、彼に微笑みを返した。
白い詰襟に青いマントを着けたエルノートは、以前より少々線が細く見えるが、立ち振舞は危なげなく、瞳の色は強い。
毒は完全に浄化され、後遺症などもなさそうで、あの日の“神降ろし”は成功したのだとアナリナは改めて安堵した。
「貴女に助けて頂いだこの命を、決して無駄に致しません」
エルノートの言葉に、アナリナは首を振る。
「私だけでは助けられませんでした。ギリギリのところで、私、諦めそうになったんです。でも」
アナリナはエルノートの後ろに控えていたセイジェに目を向ける。
「セイジェ王子、あの時、私を呼んだでしょう?」
「え……」
「『助けて下さい!』って。あの声で、王太子を見つけられたんです。私を信じて呼んで下さって、ありがとうございます」
アナリナはセイジェに笑い掛ける。
セイジェはそっと目を伏せた。
「……その言葉を頂く前に、私は聖女様に謝罪しなければ。以前、私も命を救って頂いたのに、『なぜもっと早く』などと言ってしまった……。本当に、申し訳ない……」
『王族を助けるために、民を後回しにしろと言うつもりか』
兄が聖女の帰還要請を取下げた時に言った言葉で、セイジェは気付いた。
自分が聖女に投げた『なぜもっと早く、来なかった』という言葉は、なぜ王族を優先しなかったのかと責めたと同じだったのだと。
それに気付くと、自分が浅ましく、恥ずかしく感じた。
「顔を上げて下さい」
アナリナは、セイジェが見たことのない優しい笑顔を見せる。
「謝罪は確かに受け取りました。だから、私の感謝も受け取って下さいね。ありがとうございます、セイジェ王子」
「……はい。感謝します、聖女様」
セイジェもアナリナに微笑んだ。
お茶が注がれ、アナリナがその香りと美味しさに顔を綻ばせていると、侍従が銀の水盆を運んできて、別に用意されていた小さな机に置いた。
「セルフィーネが、アナリナに会いたいと」
カウティスが立ち上がって、水盆に手を添える。
「セルフィーネ」
彼が優しく呼び掛けると、一拍おいて水盆に小さく水柱が立ち上がり、輝く水の精霊が姿を現した。
「セルフィーネ! 元気だった?」
アナリナが跳ねるように近付いて、声を掛けると、セルフィーネが柔らかく微笑む。
「アナリナ。また会えて、嬉しい」
「私もよ。今は西部にいるんでしょう? 向こうはどんな感じ?」
西部に留まれば、もう会えないかもしれないと思っていたので、アナリナとこうして話せることが嬉しく、セルフィーネの笑みが増す。
すっかり女友達のような雰囲気で二人が話し始めたので、カウティス以外の者は唖然とした。
「聖女と水の精霊は、あのように親しかったのか?」
王が二人の様子を見つめて、カウティスに聞いた。
水盆から離れたカウティスは、微妙な顔で笑う。
「どこで意気投合したのか、いつの間にか、すっかり仲良くなっているのです」
「女同士など、そういうものでしょう」
すましてお茶を飲んでいたマレリィが言う。
そういうものなのか? そもそも水の精霊様を女として扱って良いのか? と、侍従を含めた男性陣が目でサワサワと会話する。
しかし、侍女と女神官を含む女性陣が皆納得している様子なので、男性陣は何も言わずに黙っておいた。
「それにしても、水の精霊様は、あの様に笑われるようになったのですね」
セイジェがカウティスに話しかける。
「以前は、どちらかと言えば無表情だったと思うのですが」
カウティスも、アナリナと話して楽しそうに目を細めるセルフィーネを見て、そう思っていた。
今までは自分と話している時だけで、他の人間に笑い掛けることなどなかったのに、今はカウティスが側にいなくても、気にしてもいないようだ。
カウティスの胸の奥が、何故かチリチリと焼けたようだった。
「水の精霊様も、私を助けて下さいましたね。感謝しております」
話の区切りがついた頃に、エルノートがセルフィーネに言った。
セルフィーネは軽く首を振る。
「私は見ていただけだ。アナリナやカウティス達が力を尽くし、王太子を助けたのだ」
エルノートは薄青の瞳を細め、柔らかく微笑む。
「いいえ。私に関わろうとして下さったでしょう」
セルフィーネが手を伸ばし、疲れ切ったエルノートの身体をひと撫でした時、水差しの水がひとりでに揺れるのを、侍従が見ていた。
「あの時、“まだ生きるのだ”と励まされたように感じました。違いますか?」
セルフィーネは紫水晶の瞳を見開く。
「……そなたに……伝わったのか?」
「はい。おかげで、気力を振り絞れたのです」
セルフィーネは何度も目を瞬く。
「……私にも、皆のように、王太子を助ける手助けが出来たと……?」
白い両手を胸の前で合わせて、頬を薄く染めるセルフィーネに、王族は皆一様に驚く。
カウティスもまた、セルフィーネがそんな表情を皆に晒すことに驚き、胸の焼けるような痛みが強くなった。
「王太子の命を救うのに一役買ったのだから、セルフィーネもご褒美を頂くといいわ」
アナリナが楽しそうに笑い、悪戯っぽく言った。
アナリナの言葉を聞いて、王が面白がって聞く。
「ほう。水の精霊が、何かを欲しがるものか?」
水の精霊ならば『何も要らぬ』と言いそうだと思いながら、王が水盆に顔を近付けると、セルフィーネは予想外の願いを口にした。
「……王族の皆に、名前を呼んで欲しい」
「名前?」
セルフィーネは小さく頷く。
「私の名は“セルフィーネ”だ。水の精霊様でなく、セルフィーネと……」
突然、セルフィーネの視界が遮られた。
セルフィーネが目を瞬いて見上げれば、紺色のマントで水盆を囲うように、カウティスがセルフィーネを覆っている。
水の精霊との間に割り込まれた王も、面食らう。
「カウティス?」
髪を揺らし、首を小さく傾げるセルフィーネに、カウティスは険しい顔で吐き出す。
「……その名を呼ぶのは、俺だけだ」
カウティスの顔を暫く見ていたセルフィーネは、静かに呟いた。
「…………分かった」
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