聖女の選択
「王子、入りますよ」
仕切りの布を捲り上げ、ラードが入って来た。
カウティスは寝台から降りて、着替えていたところだ。
「体調はどうです?」
怪我をした利き手が使えず、左手でボタンを掛けるのに苦労しているカウティスの前に立ち、ラードが身仕度を手伝う。
「悪くない。迷惑を掛けたな」
「今に始まったことじゃありません」
ニヤリと笑って言うラードに、カウティスは半眼になる。
続けてマルクが、盆に軽食を乗せて部屋に入ってきたが、少々顔色が悪いようだ。
カウティスの身仕度が整ったところで、ラードが表情を引き締めた。
「王子、悪い知らせがあります」
ラードの只事ではない様子に、カウティスは眉を寄せる。
「……何だ?」
「王太子の体調不良の原因が、毒物だったようです」
カウティスは息を呑んだ。
「毒だと!?」
昨日、拠点にいる魔術士の定期連絡で、王太子の様子も聞いた。
神官の神聖魔法を受けて、体調は回復したと言っていたはずだ。
「神官と薬師が手を尽くしているようですが、解毒には至っていないようです」
ラードの報告に、マルクが続く。
「聖女様はまだ、巡教から戻られておらず、早急に戻られるよう陛下が要請されたようなのですが、王太子がそれを取り消されたとかで……」
カウティスは、兄らしい指示だと思った。
聖女の巡教は、民の為のもの。
それを置いて戻れなどという要請を、兄が許すはずがない。
カウティスはギリと奥歯を噛む。
何故、あの清廉潔白の兄が、毒を受けるようなことになるのか。
一体、誰の仕業なのか。
「王城に戻る」
カウティスが、掛けてあったマントと長剣を手に取る。
それをラードが取り上げた。
「ラード!」
「止めませんって。急いで戻る準備をしますから、その間に食ってて下さい。腹減ってるはずですよ」
マルクが持っていた盆をそろりと机に置き、ラードがそれを指差す。
カウティスは何か言いかけて口を開いたが、思い留まって、そのまま深く息を吐いた。
「…………食べる」
椅子を引いて座ると、左手でぎこちなくフォークを持ち、大人しく食べ始めた。
「成長しましたねぇ、王子」
「うるさい。早く行け」
深い灰色の目を細めて満足気に笑うラードを、カウティスは睨んで言う。
砂漠での二人のやり取りも見てきたマルクが、ポカンとして言った。
「いつの間に、二人はそんなに仲良くなったんですか」
「そんなんじゃない」
カウティスが渋面になるのに、ラードはさぞ可笑しそうに笑って出て行った。
「セルフィーネ」
暫く黙って食事をしていたカウティスが、盆の上のグラスに入った水に向かって、声を掛けた。
「ここにいる」
グラスの水が微かに揺れる。
「アナリナが何処にいるか、見えるか?」
「やってみよう」
「頼む。マルク、聖女の居場所が分かったら、魔術士ギルドの通信を使って彼女に兄上の状況を知らせろ。兄上を助けるには、きっと聖女の神聖力が必要になる」
マルクは仰天する。
「王太子が止めたんですよね?」
カウティスは最後の一切れを口に入れ、無理やり水で流し込むと、立ち上がった。
「聖女のことは、兄上よりは知っている。もし故意に伏せられたまま兄上に何かあれば、彼女は傷付くだろう」
カウティスの青空色の瞳に、力が籠もる。
「助けられる可能性があるのなら、アナリナはきっと、全力を以て全てを助けようとするはずだ」
聖女アナリナは、窓から差し込む光が眩しくて目を覚ました。
椅子に座ったまま、うたた寝していたらしく、首が痛い。
西日が入って眩しいということは、そろそろ夕の鐘が鳴る頃だろうか。
南部のエスクトの街を出て、八日。
既に中央までは帰って来ている。
復路は、往路では通らなかった町や村を巡教していて、小さな町で今日の予定を終え、夕食まで宿の一室で休憩していたところだった。
アナリナは立ち上がり、両腕を上げて伸びをする。
薄い法衣一枚だったので、上に祭服を羽織り、お茶を貰おうと部屋の扉に向かった。
「……では、やはり毒なのか」
“毒”という不穏な言葉が耳に入り、アナリナは反射的に動きを止め、気配を殺して耳立てする。
どうやら、部屋の外で護衛騎士が話しているようだ。
「毒の特定が出来ず、解毒に至らないらしく……」
「何ということだ。……私は急ぎ、王城へ戻る。聖女様の護衛はお前達に任せる」
ノックスの声だ。
王太子の近衛騎士で、今回の巡教でカウティスと聖女の護衛に就いていた。
「ノックス、今の話は、誰のことですか?」
突然尋ねられて、護衛騎士二人と、ノックスがギクリとして振り向き、扉を空かしたアナリナを見つける。
「聖女様、いえ、あの……」
嘘を付くのが苦手なのだろう。
ノックスは誤魔化す言葉がすぐに出てこず、目線を漂わせる。
王太子の近衛騎士であるノックスが、急いで王城に帰るということは……。
「王太子様が、毒を受けて苦しんでおいでのようなのです」
護衛騎士の後ろから、月光神の女神官が告げた。
ちょうと、アナリナを呼びに来たようだった。
ノックスが慌てて女神官を止めようとするが、彼女は首を振る。
「後で知らされる方が、聖女様が苦しまれます」
女神官が眉を下げ、アナリナを見る。
「陛下から神殿に、聖女様を急ぎ王城へお連れするよう申入れがあったようですが、その後王太子様が取り消されたようです」
「え?」
「聖女様の救いを待っている民を優先せよ、と。聖女様のお耳に入れて、どちらかを選ばせるような真似をしてはならぬと」
アナリナが青銀の眉を寄せる。
正に、あの王太子らしい発言ではないか。
ノックスが拳を握り、アナリナの前に膝をついた。
「聖女様、どうか、王太子殿下をお救い下さい。既に、神官の神聖魔法では、苦しみを和らげる程度にしかならぬと」
彼は奥歯をギリと音がする程噛み締めた。
「……あの方は、ネイクーン王国になくてはならない方です。どうか!」
アナリナは、静かにノックスを見下ろした。
王族も、貴族も、嫌いだ。
ノックスだって、国の為だと理由をつけて、こうやって私に選択を迫る。
もし、その選択のせいで助けられない者が出たら、その時の私の苦しみや後悔は、誰も代わることが出来ないのに。
ふと、アドホの貧民街で、少年を抱き締めたカウティスを思い出した。
エルノートに輝く笑顔を向けていた、孤児が目に浮かぶ。
アナリナは無性に腹が立った。
何故ネイクーンの王族は、嫌いなままでいさせてくれないのだろう。
文句を言いたい気持ちはあるのに、それでも飲み込んでしまう。
聖女としての義務感ではなく、助けてあげたいと思ってしまうではないか。
「勝手に優先順位を決めないで」
アナリナの声に、ノックスがきつく目を閉じた。
「ノックス。あなた、私を一緒に馬に乗せたら、隣町までどのくらいで行けますか?」
「……は?」
「私は一人で馬に乗れないから。ねえ、どのくらい?」
ノックスは一瞬ポカンとしたが、少し考えて答えた。
「半刻程かと」
アナリナは頷く。
「じゃあ、日の入りの鐘に間に合うわね。今から行くから、準備して」
護衛騎士二人が慌てる。
ノックスも急いで立ち上がり、尋ねる。
「それは、どういうことですか?」
「今から行って、明日診る予定だった人達を、今日中に診るの。そうすれば、せめて明日中には城下に戻れるでしょう?」
旅程では、明日の午前にこの街を出て、隣町に行き、神聖魔法を施した後、明後日の午後に城下の神殿に帰り着く予定だった。
アナリナは明日の予定を、今日中に繰り上げようというのだ。
「どちらにしろ、一人で馬に乗れない私を連れて出れば、今日中に城下に戻るのは無理でしょう」
人間を二人乗せれば、馬が走れる距離は格段に短くなる。
ノックスが顔を顰めた。
「魔術士ギルドにお願いして、隣町と連絡を取ってもらいました。聖女様の助けが必要な者は、今から町民が協力して、神殿に集めてくれるそうです」
太陽神の神官が、向こうから走って来て言った。
アナリナは黒曜の大きな目を見開く。
「まだ何も言ってないのに、どうして?」
太陽神の神官が、笑って月光神の女神官を示す。
「彼女の指示です。聖女様なら、きっとそうなさると」
アナリナが女神官を見れば、彼女は真面目な顔で言う。
「半年以上、聖女様といるのですから、お考えになる事くらい分かります。でも、私も一緒に連れて行って下さい。聖女様をお一人には出来ません」
アナリナは思わず女神官に抱きついた。
女神官は、はしたないと言いながらも、顔を赤くしてアナリナの背を優しく叩いた。
護衛騎士二人も、隣町まで一緒に行くことになった。
一人が女神官を馬に乗せる。
未だ納得しきれない様子のノックスの後ろ姿に、アナリナが言い放つ。
「私は、誰の命も諦めないから」
その強い言葉に、ノックスがアナリナを振り返った。
彼女の青銀の髪を、夕の光が輝かせる。
「優先順位なんか付けない。絶対に、どちらも助けるんだから」
ノックスはアナリナの瞳を見返し、決意して頷いた。
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