原因究明 (後編)
フェリシアは午前の講義の前に、最後のハミランの薬粉を身に纏い、エルノートを見舞った。
顔色悪く寝台に横になっている彼の姿を見ても、特に感慨は湧かなかった。
吐き気が治まっているのは分かっているので、薬草茶を持参して、一緒に飲む。
フルブレスカ魔法皇国で生まれ育ったフェリシアには、他人に振る舞う際、先に飲んで毒のないことを示す習慣が身に付いていただけだったのだが、エルノートは『苦い茶をわざわざ一緒に飲まなくても良いのに』と、笑っていた。
彼が砂糖菓子が苦手なことは知っていたので、蜂蜜を垂らすと飲みやすいと教えてやる。
今、正に、毒を盛られてるとは知らず、エルノートはフェリシアの前でカップの中身を飲み干した。
これで終わった。
フェリシアは昂ぶる気持ちを抑えて、自室に戻った。
二日前に、致死量に届く五回目を摂取させた。
しかし、エルノートの基礎体力のせいか、神官の度々の神聖魔法のせいか、思っていたよりも毒の進行が遅い。
聖女が城下に帰ってくれば、“
気が急いたフェリシアは、破棄する予定だった予備の一包を使い、先程エルノートの部屋へ行ったのだった。
蜂蜜を単体で摂取しても人体に何の影響もないが、念の為、侍女に厨房に行って残りを破棄してくるよう指示した。
湯浴みする時間はないので、午前の講義にそのまま向かう。
講義を終え、昼食前に湯浴みするつもりだったが、セイジェ王子が王太子の代行をしていると聞き、そちらへ行きたくなった。
少し顔を見るだけだと思い、彼女はその足で王太子の執務室へ向かった。
エルノートは、じきに死ぬ。
これからはもう、セイジェ王子が王太子だ。
―――そして、私がその横に立つ。
高揚した気分のまま、王太子の執務室に入ったフェリシアに、セイジェが差し出したのは、蜂蜜入りの果実水だった。
「どうぞ、義姉上」
優雅な手付きで差し出されたグラスを、フェリシアは目を見張って見つめる。
なぜあの蜂蜜がここに?
薬粉を身に纏ってから、まだ湯浴みをしていない。
フェリシア自身も薬粉を吸っている状態であの蜂蜜を摂取すれば、体内で毒化してしまう。
「……今は、のどが渇いておりませんので、結構ですわ」
何とか平常を装って、笑顔で答えた。
すると、セイジェが更に言う。
「そうですか。では、私が頂きます」
セイジェが微笑んで、グラスを自分の唇に充てがった。
どの位、この部屋でセイジェ王子の近くにいただろうか。
セイジェ王子も、私が纏っている薬粉を吸っているはずだ。
あの蜂蜜を摂取すれば、同じように毒化する。
しかし、そんなことを説明出来るはずがない。
一度飲んだ位で死にはしないが、身体の丈夫でないセイジェ王子が摂取して、もしものことがあれば……?
頭の中を、そんな考えが素早く通り過ぎ、気が付くとフェリシアは、グラスを持つセイジェの手を掴んでいた。
セイジェが目を丸くしてフェリシアを見た後、悲痛に表情を歪めた。
「あ……」
自分がしたことに、フェリシアは呆然とした。
部屋の中にいるセイジェの侍従は戸惑い、フェリシアの侍女は顔色を失くす。
「……義姉上、何故なのですか……」
顔を歪めたセイジェの言葉に、フェリシアは視線を逸して一歩下がる。
そして気付いた。
セイジェが持っていた丸い形のガラス小瓶は、エルノートの物とよく似ているが、取手の形が微妙に違う、別の物だった。
「……粗相を致しました。お詫びします」
言って部屋を出ていこうとする。
セイジェは咄嗟に、フェリシアの細い腕を取った。
「教えて下さい! 解毒方法は!?」
「何のことか分かりません」
フェリシアは身を捩るようにして、セイジェの手から逃れた。
そのまま逃げるように執務室から出て行く。
フェリシアはドレスの裾を翻し、足早に廊下を行きながら、赤い唇を噛んだ。
引っ掛かった。
セイジェ王子は、似た蜂蜜の小瓶を使って、私がどんな反応をするか試したのだ。
それは、私のことを疑っているということ。
一体、何がまずかったのか。
何のために、時間をかけてこんな面倒な計画を実行したのか。
セイジェにばれることだけは、避けねばならないのに。
フェリシアは、息を吐いて首を振る。
まだ、大丈夫だ。
あんな方法でかまをかけるのだから、確証はないのだ。
このまま、知らないフリをすれば良い。
午後の一の鐘が鳴るとすぐ、魔術師長ミルガンが王太子の執務室にやって来た。
エルノートが好んで飲むお茶の茶葉と、小瓶に入っていた蜂蜜を成分鑑定した結果を、机の上に広げる。
「やはり、毒の成分は見つかりませんでした」
ミルガンの言葉に、セイジェは奥歯を噛み締める。
フェリシアの態度から、彼女が何かを知っているのは確かだと思う。
しかし、引っ掛ることが多いだけで、証拠となるものは何ひとつないのだ。
問い詰めるにしても、推測だけでは弱すぎる。
ジリジリと焦燥感だけが込み上げる。
それでも、鑑定結果に指を沿わせ、端から端まで見ていたセイジェが、ピタリと指を止めた。
「どうされましたか?」
ミルガンが、垂れてきたモジャモジャの髪の毛を、邪魔そうに掻き上げて覗き込む。
セイジェが見ていたのは蜂蜜の成分鑑定だ。
数種類の花の名が書かれている中で、指を止めた先には“ハミラン”の文字がある。
「ハミランの花には、毒性があるのではなかったか?」
「ああ、正確には、完全に咲き切ってから毒素を生むのです。五分咲きの花から採った蜂蜜には毒性がなく、ザクバラ国でもなかなか出回らない高級品だそうですな」
数種類の花が原料ということは、百花蜜かと思っていた。
百花蜜ならば、同じ時期に、同じような場所で咲く花の名が原料として並ぶはず。
しかし、ここに書かれてあるのは、時期も産地も微妙にずれている。
では、数種類の蜂蜜をブレンドしたのか。
それならば、かなり高級品だというハミランの蜂蜜を混ぜるだろうか。
セイジェは眉根を寄せる。
ハミランといえば、最近公務に関する時には、フェリシアは決まってハミランの香りを纏っていた。
それは必然的に、昼間エルノートと会うときにはいつもハミランの香りがあったということだ。
そして、彼女が積極的にエルノートと関わり始めたのは、彼の体調が悪くなる数日前。
セイジェの肌が、ぞわりと粟立った。
「……ハミランだ」
「ハミランですと? しかし、あれは経口摂取の毒のはず。毒感知に反応するのでは」
ミルガンが細い目を、更に細める。
「確かにそうだ。どうやって摂取したかは分からないが、条件が全て合致する」
薬としてしか使用しない為に、その薬効ばかりを押さえていたが、確か、ハミランの毒性は強かったはずた。
セイジェはミルガンと共に図書館へ急いだ。
昨夜から引き続き作業していた薬師達に、候補に上げている毒の名を見せてもらう。
そこにも、やはりハミランの名があった。
症状は、内臓の機能が弱まり、強い倦怠感と吐き気、高熱。
吐き気が治まると、咳と呼吸困難に続く。
セイジェは机の上で、強く拳を握る。
今朝、エルノートは既に吐き気はなく、咳込んでいた。
段階的に進行する症状が、全て一致している。
「やはり、兄上の症状はハミランの毒が原因だと思う」
薬師達がざわめく。
「本当ですか?」
薬師長が乗り出すようにして聞き、セイジェは頷いた。
「摂取方法ははっきり分からないが、恐らく間違いないと思う。とにかく急いで解毒処置を頼む」
毒さえ特定出来れば、解毒は出来るはずだと思った。
しかし、セイジェの期待を裏切り、薬師達が顔を曇らせる。
「セイジェ王子、ハミランの解毒方法は、未だ見つけられていないのです……」
セイジェは濃い蜂蜜色の瞳を見開く。
「何だと……」
「……まずは毒の進行を極力抑える処方を致します。それから、すぐに解毒薬の開発に努めます……」
悔しそうに薬師長が答え、バタバタと数人の薬師達が薬師館に向かうため出ていく。
セイジェは呆然と立ち尽くした。
兄の症状はどんどん重くなっている。
今から解毒薬を作るなど、無理な話だ。
ならば、苦しむ兄を救えるのは……。
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