嵐 王太子救命
原因究明 (前編)
王城の図書館で、セイジェは毒に関する本を片っ端から広げていた。
一緒に調べている薬師達も同じで、どこの机にも本や資料が広げられ、条件が合うものが書き出されていく。
日の入りの鐘が鳴ってもその状態で、壁と机に設置された魔術ランプに、全て明かりが灯された。
「王子、どうか、今日はもうお休み下さい」
侍従に声を掛けられて、セイジェは顔を上げた。
今は何刻だろうか。
食事を抜くのはやめてくれと周囲から懇願され、一度図書館から出て、喉をなかなか通らない夕食を無理やり水分で流し込んだ。
それからまた図書館に籠もったのが、日の入りの時刻より半刻程前だったと思う。
文字から目を離すと目の奥が痛んで、何度も瞬く。
察した薬師が、蒸した薬草を布で包んで渡す。
閉じた瞼の上に置くと、じんわりと温かく、心地よかった。
「セイジェ王子まで体調を崩されては大変です。また、明日続きをいたしましょう」
「……分かった」
薬師にも言われて、仕方なく頷く。
気は急くが、自分が体調を崩しては、周囲は勿論、兄にも余計な心配を掛けてしまうだろう。
自室に戻りながら、侍従に尋ねる。
「兄上の様子は?」
「今は落ち着いて、眠っておられるようです」
セイジェはほっと息を吐いた。
日の入りの鐘が鳴る前に、太陽神の神官が再び登城し、エルノートに神聖魔法を施した。
熱は下がり、吐き気も治まったようで、ようやく落ち着いて眠りにつけたようだった。
もしまた具合が悪くなった時の為に、今夜は神官が王城に留まってくれることになった。
翌朝、セイジェは日の出の鐘が鳴って半刻以上してから起きた。
寝台に横になってもなかなか眠れず、朝方になってようやく眠れたので、侍従が気を使って起こさなかったらしい。
「エルノート兄上はどうだ?」
自室に用意された朝食を軽く摂り、身仕度を整えながら聞くと、侍従が明るく答える。
「王太子様は、夜中にまた熱が上がりかけたようですが、神官がすぐ対応して下さったようです。朝方には食欲があって、スープなど少し召し上がられたとか」
セイジェは、後ろから黄緑のマントを掛けようとしていた侍従を振り返った。
「……吐き気はないのか?」
「はい、治まったようです。王太子様の侍従も、喜んでおりました」
セイジェは軽く眉根を寄せる。
『 ああ、まだ治まっていないのですね 』
昨日、フェリシアがそう言った。
エルノートの症状が、その通りに治ったのは、たまたまだろうか。
吐き気が治まったというのは確かに喜ばしいことだが、単純に喜べない気分だった。
セイジェは図書館に向かう前に、エルノートの自室に寄ることにする。
廊下を歩いていると、前から侍女がワゴンを押してきて、セイジェに気付いて壁際に避けた。
そのまま通り過ぎようとしたセイジェが、ギクリとして足を止める。
ワゴンの上には薬草茶と思われるポットと、使われた二つのカップ、小さな花の形の砂糖菓子、そして、丸いガラスの小瓶に入った蜂蜜が置かれていた。
「これは誰が?」
セイジェに尋ねられて、頭を下げて控えていた侍女が答える。
「王太子さまと王太子妃様が、先程一緒に飲まれたのです」
セイジェの背に、冷たいものが走った。
「そのまま、薬師館へ持って行くのだ」
「え?」
「いいから持って行け。薬師長に、私の指示だと言うのだ。良いな」
普段の柔らかな雰囲気ではなく、固い表情で強く命じられ、困惑しながら侍女は従った。
セイジェは急いでエルノートの部屋に向かった。
寝台でセイジェを出迎えたエルノートは、顔色は少し悪いながらも、笑顔だった。
「兄上」
兄の笑顔に安堵して、寝台の側まで来ると、フワリと清涼感のある香りが残っていた。
「……義姉上がお越しだったのですか?」
「先程、見舞いに来てくれたのだ」
薬草茶を持参して来たらしい。
体力が落ちた時に、セイジェもよく薬師に飲まされた。
飲み口は悪くないが、後口がとても苦くて、小さな砂糖菓子を口に含んで誤魔化すのだ。
「兄上も、砂糖菓子を?」
普段のエルノートなら絶対に口にしない、甘い砂糖の塊だ。
エルノートは軽く顔を顰める。
「あれは苦手だ。フェリシアの勧めで蜂蜜を入れたら、思いの外飲みやすかったぞ」
「義姉上も一緒に飲まれたのですか?」
「ああ、苦いだろうに、付き合って飲んでいた」
その様子を思い出したのか、エルノートは小さく笑う。
「……義姉上も、蜂蜜を入れて?」
「いや。後口の砂糖菓子が楽しみだと言って、苦いまま飲んでいた」
セイジェは兄の利き手の指に、毒感知の魔術具が装着されていることを、さり気なく確認する。
エルノートが、ふと真剣な表情になった。
「セイジェ、そなた私の不調の原因を探しているそうだな」
セイジェはハッとして顔を上げる。
「それはそなたのすべき事ではない。薬師達に任せ、そなたは、
「兄上」
セイジェは眉根を寄せたが、エルノートは表情を変えない。
「私の決裁が滞って困る者もいる。そなたには出来るはずだ」
セイジェはいざという時、エルノートの代わりになれるよう、王太子の公務についても学んできた。
兄はそれを知っているのだ。
「私がやると言っても、誰も認めてくれないからな。そなたがやってくれるなら、気持ちが楽になる」
エルノートが苦笑する。
そんな風に言われては、断ることなど出来るはずがない。
「……分かりました。尽力致します」
安堵した様子のエルノートが、咳込んだ。
侍従から水を受け取って飲むと少し落ち着いたようだが、心なしか息が荒い気がする。
「父上が、聖女様の帰還を急ぐよう、神殿に通達しています。もう少し辛抱なさって下さい」
上半身を傾けてエルノートに言うと、兄は強い力でセイジェの腕を掴んだ。
「それは駄目だ。すぐに止めさせろ」
思いの外強い力に、セイジェは戸惑う。
「何故ですか?」
「聖女は巡教に出ているのだ。彼女の行く先には、彼女の神聖力を心待ちにしている民がいるはず」
エルノートの薄青の瞳には、迷いなどない。
「しかし……」
「王族を助けるために、民を後回しにしろと言うつもりか」
セイジェは息を呑んだ。
「……後二日もすれば、聖女は城下に戻る予定だったはず。それからで良い。どちらかを選ばせるような、酷なことは絶対にするな」
エルノートは長く息を吐き、背中に充てがわれているクッションに凭れた。
その疲れた様子に、もう部屋を出たほうが良いと判断した。
「分かりました、兄上。後の事は気になさらず、どうか、ゆっくりお休み下さい」
セイジェは一礼して部屋を出た。
王太子の執務室へ入ると、魔術師長ミルガンと、緑のローブを着た魔術師が数人、魔術符を手に部屋を歩き回っていた。
害意のある魔術がないか、調べているのだ。
「何か見つかったか?」
セイジェの問い掛けに、ミルガンはモジャモジャの纏まりのない白髪を揺らして首を振った。
「念の為、陛下の執務室も、皆様のお部屋も回りましたが、何もありません」
彼が溜め息をつくと、形の整ってない口髭が揺れた。
「そもそも、防護符が設置されておりますから、それを破る程の魔術となると、
魔術でないならば、やはり毒か。
それならば、毒感知の魔術具に反応しないのはなぜなのか。
その時、薬師長が部屋を訪れた。
「セイジェ王子はこちらだと伺いまして」
「何か出たか?」
薬師長ならば、侍女に持って行かせた薬草茶のセットを、セイジェが持って行かせたと聞けば調べるだろうと思っていた。
「いいえ。特に変わったことはありませんでした」
「蜂蜜はどうだ?」
「ザクバラ国産のブレンドであるとしか……」
ザクバラ国産の蜂蜜は、普段から厨房でも使われ、特に珍しいものでもない。
「蜂蜜に何かあるとお思いなのですか?」
ミルガンが灰色の細い目を、更に細めて言う。
「分からないのだ。毒感知には反応していなかった。しかし、兄上だけが食される物といえば、ここで毎日飲まれるお茶と蜂蜜くらいしか思いつかないのだ」
セイジェは眉根を寄せる。
ふむ、とミルガンが一度頷いた。
「では、魔術士館で、茶葉と蜂蜜の成分鑑定をしてみましょう。違う何かが見つかるかもしれません」
セイジェは王太子の執務室で、エルノートが関わっている公務を引き継いで処理する。
そして、その量に舌を巻いた。
各地の自警団との連携や、城下に出入りする商団の管理に始まり、孤児院や治療院の運営補助に関することまで、その内容は多岐にわたり、しかも、一つ一つの情報量が多い。
兄上は、この国を愛しておられる。
やはり兄上こそ、国王になるべき方だ。
そんなエルノートの“予備”であろうと、簡単に考えていた自分が恥ずかしかった。
決して兄を失うわけにはいかないと、改めて思う。
突然、侍従にフェリシアの来室を告げられ、セイジェは驚いた。
エルノートが伏せっている今、なぜここに来るのだろうか。
部屋に入って来たフェリシアは、飾り気のない紺のドレスに、ハミランの香りを纏っていた。
午前の講義を終えて来たのだろう。
「セイジェ王子が代行なさっていると聞いて、私もお手伝いしたいと思ったのです」
フェリシアは、跳ねるような足取りで執務机までやって来て、セイジェの側に立つ。
「義姉上には、王太子妃の公務がおありなのでは?」
「ええ、ですからこうして、王太子のお手伝いを」
セイジェは顔を引きつらせた。
「……王太子は、エルノート兄上です」
「え? ええ、勿論ですわ」
何が嬉しいのか、喜色を浮かべた瞳でセイジェを見るフェリシアに、違和感を感じる。
こんな風に笑う人だっただろうか。
自己中心的なところは多少あるが、少女のような愛らしさを持った女性だった。
一体何が、彼女を変えてしまったのか……。
セイジェはひとつ決心をして、侍従に指示を出した。
暫くして、渡された書類を並べ直していたフェリシアに、セイジェが声を掛けた。
「義姉上、喉が渇きませんか。冷たいものでも如何です?」
声の掛けられた方を見ると、いつの間に用意がされたのか、侍従が果実水をグラスに入れているところだった。
フェリシアは大きく目を見開いた。
セイジェの手には、蜂蜜の入った丸い形の小瓶がある。
彼は侍従からグラスを受け取り、蜂蜜を小瓶から垂らすと、スプーンで軽やかにかき混ぜた。
「蜂蜜を混ぜると、美味しいのですよ」
セイジェは薄く微笑んで、フェリシアにグラスを差し出した。
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