嘆く精霊の地
兄弟の思い (前編)
カウティスとラードは、南部を後にした。
王城に真っ直ぐに帰らず、南部と東部との境にある、街や村に視察に立ち寄る。
東部はこの十三年半で、一番被害の少なかった地域だ。
農耕地帯が多く、魔獣も殆ど出現することがなかった。
カウティスが初めて辺境警備に就いた地域でもある。
現在は、水の精霊が戻ってきて気候もやや落ち着き、問題なく機能している印象だった。
街の宿で一晩過ごした時に、ガラスの小瓶を窓際に置いて月光を当てていると、細かな彫りに月光を弾いて、小瓶が一瞬複雑に光った。
セルフィーネからの合図だ。
「大丈夫、俺は元気だ」
カウティスは小瓶に向かって呟く。
セルフィーネは元気なのだろうか。
『行きたくない』と言っていた姿を思い出す。
『行くな』と言っても、困らせるだけだと分かっているから、聞き分けの良いふりをした。
本当は、今すぐにでも呼び戻したい。
ガラスの小瓶は、もう何の反応もない。
王城に帰り着いたのは、エスクトの街を出て四日目の、午後の一の鐘が鳴る頃だった。
火の季節も、後期月の四週半ばになる。
王の執務室に入り、帰城を報告する。
「辺境警備には、ケリはついたか?」
王が気遣わしげに問うので、カウティスは笑顔で強く頷く。
「南部行きを許可して下さり、ありがとうございました、父上」
区切りを付けられたのか、南部に出発する前よりも肩の力が抜けた様子のカウティスを見て、王は安堵した。
「アドホでは、ご苦労だったな。後ほど詳しく報告を聞こう。今日はゆっくり休め」
王が話を終わらせようとして、机の上の書類を手にした。
「父上、下がる前に休戦協定についてお教え下さい。会談はどうなったのですか」
書類から目線を上げない王に、宰相セシウムが斜め後ろで咳払いをした。
「……エルノートを交えて話そう。王太子を呼べ」
入り口近くに控えていた侍従に、王が指示を出す。
「……父上、何か私に話したくない内容でも?」
王の様子を見て、カウティスが半眼になって尋ねた。
「エルノートが来てからだ」
王が明後日の方向を見て答えた。
エルノートは、王太子の執務室で仕事をしていたらしく、すぐにやってきた。
文官と仕事をしていたはずだが、水色の詰襟を首元まで締めて、白いマントにもシワ一つない。
今すぐ謁見に臨めそうだ。
執務室に入るとすぐにマントを外して襟元を緩める父王とは対照的だ。
エルノートはカウティスの帰城を喜び、働きを労った。
入り口近くの赤土色のソファーに座り、資料を捲りながら話を聞く。
昼食会の事件の顛末を聞いて、カウティスは青褪めた。
「セイジェの乳母が、使者を刺した……」
子供の頃から、カウティスに敵意の籠もった目を向けてくる、あの乳母が苦手だった。
だが、セイジェにとっては第二の母といっていい存在だったはず。
その乳母の最期に、セイジェがどれだけ傷付いているだろうかと考えると、胸が痛んだ。
「今、セイジェは?」
「二日程伏せっていたが、昨日からは起き上がっているはずだ。そなたが帰ったと知れば喜ぶだろう。後で顔を出してやれ」
向かい側に座っているエルノートが、小さく頷く。
「……セイジェを、ザクバラ国に行かせるのですか?」
「休戦協定に盛り込まれたからには、行ってもらわねばならん」
王が眉間にシワを寄せて言う。
カウティスは唇を噛んだ。
乳母に非があるとはいえ、その場で簡単に斬り捨てた者がいる国だ。
縁を結ぶために、快く向かえるだろうか。
カウティスの中で、言い様のない灰色の感情が渦を巻いた。
「父上。セルフィーネは、南部から直接西部に向かいましたので」
全ての資料に目を通して確認した後、王が何かを言いたそうに逡巡しているので、カウティスが冷ややかな声で先に言った。
王が口をパクパクさせ、エルノートは苦笑いする。
「もう知っていたのか」
「セルフィーネから聞きました。フォグマ山から戻ってまだ二ヶ月程だというのに、働かせ過ぎです」
王が溜息をついて、机の上で手に顎を乗せる。
「……精霊相手にそのようなことを言うのは、そなたくらいなものだぞ」
セルフィーネは確かに人間とは違う。
しかし、彼女には心がある。
王にも、もうそれは分かっているはずだ。
それでも、やはり自分達とは完全に別のものとして扱っている。
それは仕方のないことなのだろうか……。
カウティスは、苦い気持ちで拳を握った。
「当分は、休戦処理と西部の復興だ。収穫祭や年末年始の祭事は、文官にほぼ任せられる」
王太子の執務室に戻る道すがら、カウティスにそう話すエルノートに、カウティスは苦笑する。
「兄上の即位式を忘れないで下さい」
国を挙げての、重大行事だ。
だが、エルノートはそこまで重要視していないのか、事も無げに言う。
「即位を国内外に発表すれば、豪勢な式など要らぬだろうに」
流石にカウティスも唖然とする。
周りの近衛騎士と、後ろを歩く侍従達が、王太子に何とか言ってくれとカウティスに無言の圧力を掛けるので、カウティスは言葉を探す。
「あの……しかし兄上、即位式というのは、これからは兄上が民を庇護して導くのだと周知して、民と共に即位の喜びを分かち合う為のものだと思うので、やはり質素にしすぎても民が不安になるかと」
「ふむ……そうだな」
ひとまずは一考してくれそうな雰囲気に、周囲が安堵し、カウティスも息を吐く。
王太子の執務室に入ると、エルノートが聞く。
「復興に関しては私に任されている。カウティス、西部の復興を進めるにあたって、現地で中心になれる者が欲しい。誰が良いと思う?」
「私を行かせて下さい」
エルノートの言葉に、何の躊躇いもなくカウティスが答えた。
「何故そなたが?」
エルノートが薄青の瞳の色を強めて、カウティスを見返す。
返答によっては許さない、という目だ。
「私は一年程、西部の辺境警備に就いていたので、西部の状態を書面だけでなく、現実として知っています。文官や貴族院の者を中心に据えるよりも、西部の理解を得やすいでしょう。そして何より、ザクバラ国との連携には、同国の血が混ざった私が適任ではないかと」
冷静に言い募るカウティスに、エルノートが満足気に微笑む。
「頼もしいな」
「それに……、傭兵ギルドに繋ぎがきく従者を付けることにしましたから、役に立つと思います……」
カウティスが居心地悪そうに、尻窄みに言うのを聞いて、エルノートが目を見張った。
「従者! そうか!」
カウティスの肩をバシと叩いて、相好を崩す。
幼い頃から、カウティスが高く築いてきた周囲の壁が、ようやく崩されてきたことが、エルノートは嬉しかった。
兄の嬉しそうな様子に、カウティスの顔も綻ぶ。
「それでは、そなたに任せよう。頼んだぞ」
「はい、兄上」
部屋を出ようとした時、王太子妃のフェリシアの来室を告げられた。
カウティスは、入り口側の壁際に寄り、彼女が入ってくるのを待つ。
臙脂色のドレスに、赤褐色の巻毛を後ろで一つに束ね、細い首飾り一本の装飾で入ってきた彼女に、雰囲気が随分変わったものだとカウティスは内心驚く。
立礼して彼女が通り過ぎるのを待てば、前を通る時に、僅かに清涼感のある香りがする。
鼻の奥を素早く通るような、涼し気な香りだ。
「よく戻りました」
横目で一言呟き、彼女は通り過ぎた。
彼女にとってカウティスは、義弟ではあっても、エルノートの臣という括りなのだろう。
カウティスはそのまま部屋を出た。
入れ違いに、侍従がお茶の用意をしてワゴンを運んできた。
盆の上の、蜂蜜の入った丸いガラス瓶は、エレイシア王妃がエルノートに贈った物だ。
懐かしい思いで、カウティスは通り過ぎた。
セイジェの様子が気になったので、自室に戻るより先に、彼の部屋に寄ることにした。
侍女に通されて部屋に入ると、セイジェが笑顔で出迎えてくれる。
「おかえりなさい、兄上」
カウチで本を読んでいたのだろう。
側のテーブルには、魔術ランプと、大きさも厚さも様々な本が積み上げられていた。
「乳母殿のことを聞いた。……身体は、大丈夫か?」
聖女のおかげで病は完治したとはいえ、セイジェは元々丈夫な方ではない。
二日伏せっていたと聞いたが、それ以上にやつれて見えた。
「ええ、大丈夫です。亡くなった者は戻らないのですから、何時までも悲しんでいるだけでは、いけませんよね」
柔らかく笑うセイジェの頭に、カウティスは大きな右手を乗せて、ふんわりとした蜂蜜色の髪をワシワシと撫でた。
「そんな風に笑うな」
「兄上。……もう、私はそんな子供ではありません」
口ではそう言ったが、カウティスの手の重みで下がるように、セイジェは顔を伏せてしまった。
第二の母とも言える乳母を突然、しかも目の前で亡くして、辛くないはずがない。
しかし、セイジェの悲しみも辛さも、想像は出来ても、真に理解はできないだろう。
カウティスには代わってやることは出来ない。
ただ黙って、寄り添うだけだ。
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