従者
アナリナがセルフィーネに身体を貸した日の翌朝、カウティスは宿を引き払い、外へ出た。
アナリナの警護から離れたので、神殿内の施設に寝泊まりせず、エスクトの街の富裕層向けの宿に一晩泊まっていた。
宿の厩で馬を引き取ると、厩の外でラードが待っていた。
無精ひげに濃い灰色のオールバックで、日除けのフードを後ろに下ろし、砂漠用のゴーグルを首にかけている。
討伐時に装備していた長剣は持っておらず、腰の太い革ベルトに、短剣を二本差していた。
「おはようございます、王子。よく眠れませんでした?」
柵に凭れ掛かって、ニヤニヤ笑いながらラードが聞く。
昨日の出来事が頭の中で反芻されて、なかなか眠れなかったのは確かだが、そんなに顔に表れているのだろうか。
「おはよう。ちゃんと眠ったぞ」
「そうなんですか? 昨日は小柄な美人とデートしてたらしいじゃないですか。だから、昨夜はあまり寝られなかったのかと」
「はあ!?」
カウティスが盛大に眉根を寄せた。
ラードが肩を竦めて笑う。
「衛兵や傭兵仲間が目撃してたんですよ。王子が手繋ぎデートしてたって。いやあ、ちゃんと現実の女にも興味を持てたんだなぁって、感心して……って! うわっ!」
ラードが飛び退くと、今立っていた所に、野営で使うナイフが刺さって揺れた。
「危ないっ! 危ないですよ、王子!」
「余計な噂を立てるな」
目が座ったカウティスが、フンと鼻を鳴らして馬に荷物を括り付け始める。
「俺が噂を流したわけじゃないですって。でも、昨日街の中を、女性と手を繋いで歩いてたのは事実でしょう。しかも、相手は聖女じゃないんですか?」
ナイフを地面から抜き取り、服の裾で土を拭き、ラードがカウティスに返す。
カウティスは奪い取るように受け取って、顔を歪めた。
急いで隠したつもりだったが、アナリナの青銀の髪が、外壁の外で会った見回りの衛兵に見えたのかもしれない。
それに、南部には少し前まで滞在していたので、カウティスの顔を見知った者は意外といるものだ。
「確かに聖女と出掛けたが、誤解だ。別にデートとか、そういうものでは……」
デートというものではない。
……では、昨日のあれは何だろう。
アナリナとは違っても、セルフィーネとは、そういうことだったのでは……。
思い出すと、胸の奥がギュッと締め付けられる気がする。
ハッと気付くと、ラードが横から顔を覗き込んでニヤニヤしている。
「だから、そういうものじゃない!」
ラードの肩を押して、カウティスは荷物を括り付ける続きを始めた。
「はいはい」
ラードがまだ変に笑っているので、カウティスはもう一度ナイフを投げてやろうかと思った。
カウティスとラードは馬に乗って、エスクトの街を出た。
郊外にある領主の屋敷に寄って挨拶をしてから、王城に向けて出発する予定で、帰城までに東部との境にある幾つかの街に寄ることになっていた。
「フルデルデ王国に行って色々探ってみたんですが、やはりこの一、ニ年で、ザクバラ国との関わりが増えているみたいですね」
馬上から、ラードが話し始める。
「関わりと言うと、婚姻関係か?」
「確かに貴族間の婚姻は何件かありました。交易に関しても以前より増えているようです。それに関連してなのか、去年、両国で使者が行き来していたらしいです」
使者の遣り取りをするということは、両国で何かしら繋がりを持ち始めたということだ。
型の大きく違う両国が、接近する理由は一体なんだろうか。
領主の屋敷に着いて、門を入り、馬を降りると、屋敷の執事に応接室に通される。
良い香りのする、落ち着いた涼しい室内に入り、カウティスはホッと一息つく。
ラードはここで別れるのかと思っていたら、応接室に一緒に付いて来て、改まってカウティスに向き合った。
ラードは掌を胸に当てて姿勢を正す。
「カウティス王子。私を共に連れて行って下さい」
カウティスは怪訝そうにラードを見る。
「連れて行く? 何処へだ?」
「王子が行く先へ何処までも、です。貴方がどう生きるのか、見てみたいんですよ」
カウティスの身体が強張る。
「俺は、護衛騎士は付けない」
「知っています」
ラードは元王城の騎士団所属だった。
十三年前の惨事で、護衛騎士エルドが瀕死の状態になってから、カウティスが専属の護衛騎士を付けなくなったのを知っている。
フルブレスカ魔法皇国で
王子として動く公式の場面以外では、従者すら付けたがらない。
ラードは器用に、片方の口の端を上げた。
「自分より強い王子の護衛に付くなんて、考えません。もう騎士でもないですしね。従者でも、密偵でも肩書は何でも構いませんよ」
カウティスは唇を引き絞り、両手に力を込める。
「俺は、一人でいい」
カウティスの頑なな物言いに、ラードは溜め息をついて眉を下げた。
「そろそろ解放されてもいいんじゃないですか」
「解放?」
「十三年前のあの日からです」
カウティスの顔が引き攣る。
ラードが濃い灰色の瞳で、ひたとカウティスを見つめる。
「あの日から、王子は周りと距離を置かざるを得なくなった。それも年々酷くなりましたよね。でも、今は違う。理解者も、貴方を必要とする人もいる」
「だが、俺は……」
カウティスは声を詰まらせた。
苦しい時、悲しい時、誰かに助けを求めたい時が確かにあった。
しかし、誰かを側に置くことが怖い。
自分のせいで、その誰かが大変な目にあうことを想像してしまう。
拳を強く握り、目を伏せたカウティスから、ラードは目を逸らさなかった。
「王子、他人を側に置くことを、怖がらないで下さい。貴方はあの頃の子供じゃない。もうその手で、掴めるものも、守れるものもあるはずです」
カウティスが目を開け、拳を握ったまま顔を上げる。
ラードが掌を胸に当てて立っている。
「共に行くことをお許し下さい。王子の目となり耳となり、必ずお役に立ちます」
逡巡したカウティスが口を開く前に、応接室の扉が開いて、エスクト領主が部屋の入り口に立った。
「お連れ下さい、カウティス王子。愚弟ではありますが、偵察などにはなかなか役に立ちますので」
ラードが手を下ろして、軽く顔を顰めた。
領主がカウティスの前に立ち、掌を胸に当てる。
「僭越ながら、申し上げます。王子はお強くなられた。ですが、一人で出来ることは限られています。陛下も一人では国を治められず、エルノート王太子も、貴方を頼りにされているでしょう」
領主とラードは、同じ色の瞳でカウティスを正面から見る。
「心を許せる者を作り、己の力として使って下さい。そうして初めて、
ラードがゆっくりと頷いて見せる。
カウティスは息を吸い、それでも震えそうな拳をもう一方の手で押さえて、決意する。
「ラード、共に行くことを許す。……こき使ってやるから、覚悟しろ」
「御手柔らかに」
ラードが心底楽しそうに笑った。
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