それぞれの思惑
日の入りの鐘が鳴り、半刻。
王城の大広間で、予定時刻より遅く、四度目の会談が始まった。
主使リィドウォルを狙った凶行があった為、会談は中止かと思われたが、当のリィドウォルが続行を望んだ。
明日、合意に漕ぎ着けたい意志が両国から滲んでいて、互いが強固に主張していた部分に妥協案を探り始めた。
「リィドウォル卿。使節団として訪れた卿に、我が国の民が害をなしたことを、改めて謝罪する」
予定時刻を一刻以上過ぎて会談が終了し、それぞれが広間を出る頃、王がリィドウォルの下に行って声を掛ける。
ソルを斬り伏せた護衛騎士は、リィドウォルが会談には同席を許さず、与えられた部屋で謹慎させられているので、側にはもう一人の中年の護衛騎士が付いていた。
リィドウォルの傷は、城下から急ぎやって来た神官の神聖魔法によって塞がった。
だが、聖女の“神降ろし”とは違い、神聖魔法では完治はしない。
失った血までは戻らないし、痛みだけは多少残っていた。
「謝罪は必要ありません、陛下」
やや顔色の悪いリィドウォルが、掌を胸に当てる。
「私は紛争下で、多くのネイクーン王国民の命を奪ってきました。あの侍女に覚えはありませんが、あの者が私に深い怨恨を持っていても不思議はないのです」
王が険しい顔でリィドウォルを見つめる。
彼は漆黒の瞳で静かに王を見つめ返す。
「だからこそ、何をおいてもこの
気が付くと、残りの使者四人も王とリィドウォルの方を向き、二人の会話を聞いている。
リィドウォルが立礼すると、四人の使者も同じように立礼した。
王は、奥歯を噛んで目を閉じた。
フェリシアが内庭園に降りたのは、今日の会談が終わる頃だった。
内庭園には魔術ランプが設置されているので夜でも散策はできるが、朝と違い、薄闇に照らされた花々と、昼間の熱気に蒸された香りは、どこか妖しい雰囲気だった。
小道を進むと、途中でセイジェの侍女が立っている。
フェリシアに気付いて脇に避け、頭を下げた。
「セイジェ王子は?」
「奥にいらっしゃいます。一人にしてくれと仰って……」
フェリシアは頷いて、彼女の侍女にも待つよう指示し、一人で奥へ進む。
いつも座って休憩する長椅子に、セイジェが一人で座っていた。
薄衣一枚で、長い蜂蜜色の髪を垂らして、深く項垂れている。
フェリシアは足音を忍ばせて近寄ると、そのいたわしい背に手を添えた。
ピクリと身体を震わせて、セイジェが顔を上げる。
乱れた長い前髪の間から、赤くなった目が見えた。
「……乳母は、残念なことでした」
フェリシアの言葉に、セイジェの顔が歪む。
「義姉上、……私は、間違ったのでしょうか」
セイジェは膝の上の拳を震わせる。
エレイシア王妃の代わりに、幼い頃から役割り以上の愛情を向けてくれた、乳母のソル。
ソルがザクバラ国を憎んでいることを分かっていたから、ザクバラに一緒に連れて行かないことにした。
出来ることならソルが歳を取るまで側に置きたかったが、彼女に安らかに過ごしてもらう為に、諦めたのだ。
それなのに、なぜこんな酷いことになったのか。
「また、母を亡くしてしまった……」
再び項垂れて、手で顔を覆うセイジェの隣に座り、フェリシアは彼の背を抱き締める。
「乳母は、貴方を守りたかったのですわ。貴方はこの国にいるべき人だと、その命を以って表明したのです」
フェリシアは、セイジェの背に頬を当ててうっとりと微笑む。
セイジェはやはり、
彼こそが王太子になり、私の夫になるべきだ。
王太子妃にまだ子がいないまま王太子が亡くなった場合、兄弟がいれば王太子の座を継ぎ、そのまま妃も受け継ぐ例は幾つかある。
ソルの死は教えてくれた。
邪魔な者は、死を以ってでも排除すれば良いと。
セイジェが“予備”だというなら、“予備”として使われるようにすれば良いのだ。
―――そう、
ザクバラ国の使節団の面々は、会議室に戻って来た。
部屋には、謹慎を命じられた護衛騎士のイルウェンが、窓際に立っていた。
会談に参席出来なかったので軽装で、帯剣も許されていない。
年嵩の使者が、机の上に防護符を広げる。
「首尾は上々ですな」
「後は明日、どこまでネイクーンが受け容れるかですね」
使者達が座って話し始めたところで、イルウェンが足音なくリィドウォルの側に寄る。
「リィドウォル様、傷の具合は」
「大事ない」
二人のやり取りを聞いて、年嵩の使者が小さく溜め息をついた。
「全く、自らナイフを押し込むとは思いませんでしたぞ。深手を負ったらどうするおつもりでしたか」
その言葉に、他の使者が眉根を寄せる。
「侍女に刺されたのではなかったのですか?」
「刺されたが、非力で浅かったのだ」
リィドウォルが他人事のように言いながら、髪を縛った組紐を解いて、イルウェンに渡す。
ソルがリィドウォルの脇腹に真っ直ぐに刺した刃は、ベルトの縁に当たって、斜めに力を削がれた。
それを、手で防ぐ振りをして、リィドウォルが自らの身体に押し込んだのだ。
女性使者が痛みを想像したのか、顔を歪めた。
「しかも、守ることが役割である護衛騎士が、手を貸すとは」
年嵩の使者がイルウェンを睨む。
イルウェンは素知らぬ顔で、グラスに水を注ぎ、リィドウォルに手渡した。
「責めるな。イルウェン、今日は良くやった」
リィドウォルは僅かに笑う。
「まさかネイクーンに、あのような暴挙に出る者がいようとは思わなかったが、利用しない手はなかろう」
イルウェンもリィドウォルも、紛争時には前線で戦っていた。
武器を握ったことのない女の振り上げたナイフなど、難なく避けられたのだ。
しかし、それを好機としたリィドウォルは、合図で護衛騎士のイルウェンを止め、ソルの刃を自ら受けた。
「多少衝撃が大きい方が、相手の強硬な姿勢を崩すのにちょうど良い。我が国の利を得る為に、打てる手は全て打つべきだ」
彼は受け取ったグラスで、開いた窓の外を透かし見る。
その空は、今日も美しい魔力が流れていた。
翌朝、日の出の鐘が鳴る前。
昨夜から、王の執務室の灯りは消えていない。
「水の精霊よ」
執務机の上の銀の水盆に、王が声を掛けた。
一拍おいて、水盆に小さな水柱が立つ。
水盆の前には、疲れの滲んだ顔の王が椅子に座っている。
その後ろには宰相セシウム、机を挟んで前には魔術師長ミルガンが立ち、少し離れて壁際に、側妃マレリィが立っていた。
更にミルガンの後方に、緑のローブを来た魔術士が三人控える。
王とマレリィの目には、水盆の水柱に美しい
その姿は、カウティスが側にいなくても、以前のような硬質なガラス人形ではなく、表情は乏しいものの、生気を帯びて見える。
サラサラと柔らかく水色の髪を揺らし、セルフィーネが顔を上げて王を見た。
王は暫く黙ってセルフィーネを見ていたが、机の上に両の手を組んで言った。
「水の精霊よ、頼みがある」
「頼み?」
王は頷く。
「……一年程、西部へ留まってもらいたい」
セルフィーネはやや目を伏せた。
「……ザクバラ国との休戦に必要なのだな?」
「そうだ。休戦協定が結ばれれば、これから何年も掛けて、両国が荒れた国境地帯を復興することになる。今後、人の手で氾濫を抑えられるように、両国で全力を尽くす」
王は両の手に力を込める。
「そなたの本分でないことは理解している。だが、力を貸して欲しい。次代に残る負の遺産を少しでも減らしたいのだ」
両国共に、長い長い紛争の歴史の中で疲弊し、休戦と復興を望んでいる。
だが荒れに荒れた国境地帯は、争いの中で国境を何度も引き直し、互いの利権争いで復興は進んでいない。
あの地を復興し、民が穏やかに暮らすことが出来る地にすることこそが、今回の休戦協定の要だった。
ザクバラ国は今日の会談で、最終的にはその点以外の要求に妥協策を示した。
セルフィーネは目線を上げて、王を正面から見つめる。
カウティスと同じ、澄んだ青空色の瞳が、多くの苦悩を滲ませている。
常に血の匂いがする西部は嫌いだった。
同じ人間同士だというのに、度々争う彼等が、セルフィーネには今でも理解出来ない。
だが、いつからだろう、苦しんでいる西部の民を憐れだと思うようになったのは。
『これからは新しいやり方で、一緒に国を守っていこう。俺達の、未来だよ』
カウティスの言葉を思い出した。
彼の愛するこの国を、彼と一緒に、ずっと守っていきたい。
だからこそ、今、西部を見捨ててはいけないのだ。
描く未来が、セルフィーネには胸を締め付けるほどに眩しく、遠かった。
「……会談合意になれば、西部に向かう」
執務室に、安堵と哀憐の息が混じった。
セルフィーネは、静かに紫水晶の目を閉じた。
カウティスの笑顔が浮かぶ。
今すぐに、ここから抜け出し、彼の懐に入れたならどんなにいいだろう。
精霊が狂いかけたあの地に呑まれず、必ずカウティスの元に帰る。
彼女はただそれだけを、胸に誓った。
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