事件

午後の一の鐘が鳴り、昼食会の会場であった大広間から、退室する参加者が出始める。

それに合わせて、衛兵も移動し始めた。


会談に参席する面々にとっての昼食会は、今夜行われる四度目の会談の、前哨戦的な位置付けだ。

どちらの国も、昼食会の交流を踏まえて、これから夜までに指針を練り直す。




ザクバラ国の使者二人が、離宮の奥へ続く扉から出た。

暫くして、リィドウォルと年嵩の使者が護衛騎士一人を従えて同じ扉から退出するのを見届けると、王とエルノートは合流して、歩き出す。

「主使殿はどうであった?」

王がちらりとエルノートを見て尋ねた。

「食えない人物ですね。何が本音か分かりません。ですが、今回の会談で合意に漕ぎ着けたいというような意志を……」


エルノートの言葉が終わる前に、ザクバラ国の使者達が出ていった方から悲鳴が上がった。

王と王太王子の近衛騎士が、即座に二人を囲む。

「何事だ!」

エルノートの近衛騎士一人が、悲鳴の上がった扉の方へ走った。

侍女達の悲鳴や叫び声が聞こえ、続けて「薬師を!」という声が響く。


何かがあったのは確実で、エルノートは近衛騎士を連れて騒ぎの方へ向かう。

「エルノート!」

エルノートは王が呼ぶ方へ顔を向けると、声を上げる。

「陛下は急ぎ退避を。護衛騎士と衛兵は皆の安全を確保せよ。急げ!」




金糸の縁取りがされたマントを翻し、エルノートが近衛騎士に前後を挟まれた形で、ザクバラ国の使節団が出た扉を潜る。

衛兵が取り囲んだ間を掻き分けると、磨き上げられた廊下が見える。


そこには、右脇腹を押さえて年嵩の使者に支えられたリィドウォルと、二人を背に庇ったザクバラの護衛騎士が、血に濡れた片刃剣を持って立っていた。

そして、護衛騎士の足元には侍女らしき女が一人、血を流して倒れている。

その手も血に染まり、側には、食事用のナイフが赤々と濡れて転がっていた。


「リィドウォル卿!」

リィドウォルの右脇腹を押さえた手に血が滲んでいるのを見て取り、エルノートが一歩踏み出すと、ザクバラ国の護衛騎士が、血の付いた片刃剣をエルノートに向けて持ち上げた。

「国の正式な使者に、使用人が刃を向けるのがネイクーンの流儀か!」

エルノートの近衛騎士が剣を抜き、対峙する。

「よせ、イルウェン。王太王子殿下だぞ」

「やめろ、治療が先だ! 薬師は呼んだのか!」

年嵩の使者と、エルノートが同時に制止するが、イルウェンと呼ばれた護衛騎士の殺気は薄れない。


「剣を収めろ、イルウェン」

リィドウォルの低い声が響いた。

侍女その者の刃を止められなかった、お前の失態だ」

ぐっと息を詰め、イルウェンが殺気を薄めて剣を下ろすと、エルノートがリィドウォルに近付く。

黒い衣装で分かりづらいが、近くで見ると、押さえた右脇腹の周りが血で濡れている。

彼の顔は血の気が引き、脂汗が滲んでいた。

「薬師はまだか! 城下の神官も呼べ!」

近衛騎士が叫ぶ。

「一体、何が?」

エルノートの問いに、近くにいた衛兵が顔を歪めて答えた。

「脇に控えていた侍女の間から、突然、あの者が出てきて、主使殿を刺したのです」

リィドウォルと護衛騎士イルウェンの間に、ちょうど年嵩の使者がいて、護衛騎士が止めるより早く、侍女の刃がリィドウォルに届いてしまった。

直後に侍女は、イルウェンに斬り伏せられたということだった。



薬師が到着して、すぐにリィドウォルの傷を診始める。

それと同時にセイジェの声が響いた。

「ソル!」

エルノートが振り返ると、薬師と共に来たらしいセイジェが、倒れた侍女を抱き起こしたところだった。

彼の若葉色の服に、血が滲む。

倒れていたのは侍女ではなく、セイジェの乳母のソルだった。


「何故このようなことに……」

セイジェの声が震える。

背中から一刀に斬られて虫の息だったソルが、抱き起こしたセイジェの顔を見た。


……愛しい私の王子

父のように、領民達のように、苦しめられることがないように。

どうか、人殺しのザクバラに行かないで。


「……王子……、どう、か……行かない……で……」

血の付いた震える指でセイジェの頬を撫でると、ソルは事切れた。

彼女は最期まで、ザクバラ国と魔眼の恐怖から逃れられなかった。



頬に血を付けたまま、呆然と周りを見渡したセイジェが、血の付いた片刃剣を鞘に収めるザクバラ国の護衛騎士を見付けた。

「……何故。主を守る為とはいえ、このように斬り伏せる必要はなかったはず……」

青褪めたセイジェが、声を震わせる。

護衛騎士のイルウェンは、吊り上がった目で冷ややかにセイジェを見下ろしている。

「なぜこんな酷いことを……!」

「やめろ、セイジェ!」

エルノートが厳しく制止した。

「……国の使者を害したのは、我が方だ」




リィドウォルは離宮の一室に運ばれ、薬師の治療を受けている。

深い刺し傷だったが、命に別条はなかった。

城下の神官を呼びにやっているので、到着すれば神聖魔法で傷は塞げるはずだ。


王の執務室で、王とエルノートは、事件を目撃した衛兵から話を聞いたところだった。

王が深く長い溜め息を吐く。

セイジェの乳母のソルが、なぜリィドウォルを狙った凶行を起こしたのかが分からない。


「魔眼の使用はなかったのだな?」

王の問いに、側に立っていた魔術師長ミルガンが頷く。

「はい。魔力の異常はありませんでした」

魔眼を使えば、近くにいる魔術士には分かる。

魔眼を使用したのでなければ、ソル自身の意思でリィドウォルを刺したことになる。

王が額を押さえ、身体を椅子に預けた。

「……今回の会談合意は、流れたな」

国の正式な使者を害したとあっては、会談続行どころか、新たな争いの火種にもなりかねない。

エルノートも目を伏せて腕を組んだ。



「失礼します。陛下、ザクバラ国の使者殿が、謁見を求めておいでです」

侍従が王に伝える。

王とエルノートは眉根を寄せて、顔を見合わせた。

謁見に訪れた使者は、王の予想と異なり、会談を予定通り続けることを求めたのだった。





午前の一の鐘と共に、カウティスはエスクト砂漠の南のオアシスへ向かった。

ラードと、辺境警備の兵士二人が一緒だ。


砂漠用のゴーグルと日除けのフードを身に着けて、馬を走らせる。

セルフィーネが目覚め、最近まで南部に留まっていた事もあって、砂漠には魔獣も出ず、小さな砂ミミズも殆ど見ないらしい。

火の季節だというのに、以前カウティスが南部にいた時よりも、僅かに日差しが和らいで感じる。

水の精霊が存在するいるということが、いかに恩恵を与えているのか分かった。



オアシスで休憩を取りながら、国境近くの様子について話していると、護衛を連れた隊商がやって来た。

護衛の中にパリスを見つけ、ラードが声を掛けた。


「国境越えの依頼なんです。ネイクーン産の宝飾品をお望みとかで」

隊商と共に、パリス達傭兵数人が、護衛として隣国フルデルデ王国まで行くらしい。

傭兵ギルドでは、討伐依頼以外でも様々な仕事を請け負う。

護衛業務は特に多い依頼の一つだ。


「宝飾品ねぇ。どっかの大店に卸すのか?」

ラードが荷物の山を見て言うと、パリスが首を振る。

「いや、貴族の結婚式の準備品だって。国家間の婚姻らしいから、用意が大変みたいよ」

ネイクーン王国のフォグマ山と、そこから連なる山々からは多くの鉱物が発掘される。

酪農地帯の多いフルデルデ王国では、宝飾品の類は殆ど他国からの輸入に頼ることになるので、必然的に隣国のネイクーンから運ぶことが増える。


「国家間……。フルデルデ王国と、何処だ?」

カウティスが問う。

「ザクバラ国だって聞いてます。少し前にも、ザクバラに輿入れする娘の為にって、あれこれ注文が入ってましたよ」

国家間の王族の婚姻は、フルブレスカ魔法皇国の許可が必要なので、他国にも伝わりやすい。

しかし、貴族間なら他国にまでは伝わらないものだ。


ザクバラ国はどちらかといえば閉鎖的な国で、他国の血と交わることを好まない。

だからこそ、黒髪や黒眼はザクバラ国外ではあまり見ないのだ。

フルデルデ王国とザクバラ国も、ネイクーンの南西で隣り合っているが、今まで国家間は良好な関係であるとは言い難かった。

それが突然、国家間の婚姻話だ。

カウティスとラードが顔を見合わせる。


「そういえば、カウティス王子もザクバラ国の王女と縁を結ぶって噂ですけど、本当ですか?」

パリスが興味津々の様子で聞く。

カウティスは顔を顰めた。

「ただの噂だ」

なーんだ、とパリスは笑うが、ラードは俯き加減に何か考えている様子で口を開く。

「同時期にネイクーン王国あっちでもフルデルデ王国こっちでも縁を結ぶ話が聞こえてくるのは、気になりますね。……王子、エスクトにいつまで滞在の予定ですか?」

「……明後日の午前に出発する予定だ」

カウティスが答える。

明日の夕の鐘に、セルフィーネとアナリナとの約束がある。



ラードが顔を上げてカウティスを見ると、諜報員の様相で、口の片端を上げた。

「王子、パリス達と一緒に、隊商に付いて行かせて下さい。少し、隣国で探ってきます」




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