二国間休戦協定

昼食会

会談二日目。


この日は午前に三度目の会談が終わると、昼食会が行われた。

ネイクーン王国のこの時期は、外でのお茶会は難しいので、離宮の広間を使って、立食形式の昼食会が行われる。

夜に四度目の会談が行われ、明日の午前の五度目の会談で合意できなければ、今回の会談は決裂。

合意できれば、夕の鐘に魔術調印し、夜に晩餐会が行われることになっていた。




ザクバラ国使節団の七人と、ネイクーン王族に加え、会談に参席している貴族院の面々が集まっている。

給仕や侍従が多くいるその外側に、衛兵と共に魔術士が配置されていた。


入場の際には、美しい一対の王太子エルノートと王太子妃フェリシアだったが、挨拶が済むとすぐに離れてしまった。

王とマレリィは、二人を見て密かに溜め息をつく。



「王太子御夫妻は、仲睦まじいとは言えないようですね」

エルノートに、直接そう言ったのはリィドウォルだった。

緩くクセのある黒髪を、軽く後ろで束ね、白い組紐で結んである。

黒い詰襟の上下は、灰色と水色の刺繍が刺されていて、その上に濃灰のケープを着けていた。

隣に年嵩の使者が一人と、目付きの鋭い護衛騎士が付いている。


「私には女性を繋ぎ止める魅力はないらしい。恥ずかしい限りだ」

否定はせず、涼しい顔をしてサラリと言うエルノートは、純白の衣装に金の縁取りのマントを、嫌味なく着こなす美丈夫だ。

「王太子殿下であれば、どの国の王女も輿入れを望みそうなものですが。いっそ、我が娘を側妃に差し出したい程です」

「ほう? 主使殿は、我が弟を欲するだけでなく、次期ネイクーン国王との縁も望むのか?」

エルノートが顎を上げて目を細める。

リィドウォルは、掌を胸に当てる。

「我が国の民の利になるならば、全ての手は尽くしたいと存じますので」


二人は暫く見合って、同時にふと頬を緩める。

「その考え方は共感できる」

「恐れ入ります」

リィドウォルが軽く頭を下げたところで、セイジェがグラスを持って歩いて来た。

若葉色の上下に、白のマントを付けたセイジェは、微笑むだけで周りの雰囲気を柔らかくする。


「兄上、主使殿とお二人で密約でも?」

「笑顔で不穏な事を言うな」

エルノートとセイジェが、二人で笑い合っているのを見た年嵩の使者が、感嘆の息を吐く。

「ネイクーン王国の王族とは、このように親密なものですか」

「我が国の雰囲気とは、随分違います」

側に付いた護衛騎士も、驚いた様子だ。

「ネイクーン王族を迎え、次代は我が国も変わらねばならん。今のままでは、民が消耗するばかりだ」

リィドウォルが漆黒の瞳に、更に昏い光を浮かべた。

エルノートは静かに彼を見つめる。

「……それでは、是非とも今回の会談を実りある終わりにせねばならんな」

エルノートが言うと、リィドウォルが立礼した。




フェリシアの元には、貴族院の重鎮と、ザクバラ国の唯一人の女性使者がいた。

「先月、皇国で御母上とお会いしましたが、フェリシア皇女殿下を大変案じておられました」

女性使者は、フルブレスカ魔法皇国に留学していた頃、フェリシアの母と同級だったらしく、今でも交流があった。

フェリシアも幼い頃から何度か会っていて、面識がある。

今回の来訪で、個人的にも贈り物を届けてくれた。


「エルノート王太子も、皇女様をもう少し大事にして下されば良いのですが」

貴族院の重鎮が、長いヒゲをしごく。

ネイクーン王国内にも、この重鎮のように皇国に傾倒する者は、フェリシアに対して同情気味なきらいがあった。


「セイジェ王子のように当たりの柔らかい方の方が、フェリシア皇女殿下のお相手としては相応しかったでしょうに……」

「え?」

突然、セイジェを引き合いに出されて、フェリシアはドキリとした。

女性使者は首を振る。

「午前の会談でセイジェ王子とお話しましたが、思慮分別のある、物腰柔らかな方でした。我が国が求めたのは第二王子でしたのに、あのような素晴らしい王子を国外に出すとは、王太子殿下はどのようにお考えなのか……」

言ってから、使者はハッとしたように大袈裟に口を押さえる。

フェリシアは、形の良い赤褐色の眉を寄せる。

「セイジェ王子をザクバラ国にやると決めたのは、エルノート様なのですか?」

使者は口を噤もうとしたが、フェリシアは許さなかった。

フェリシアの圧力に、女性使者は周りを気にしながら、小声で告げる。

「エルノート王太子殿下が、どうしても第二王子はやれぬと、セイジェ王子を推したのです」

「有りえますな。王太子は幼い頃から、カウティス第二王子を殊更可愛がっておられた。今も近衛に就けて側に置く程ですからな」

重鎮が、溜め息交じりに首を振る。



フェリシアは朱色の扇を握り締め、いつだったか、セイジェが内庭園で見せた表情を思い出した。

エルノートの事を、あまり良く思っていない様だった。

それはカウティスばかりを可愛がり、セイジェは蔑ろにされていたからなのではないか。


「いっそ、セイジェ王子が王太子殿下であったなら、今後我が国との関係も穏やかになったやも……、ああ、失礼。これは言い過ぎました」

貴族院の重鎮が軽く咳払いしたので、使者は口を噤んで目を伏せる。

しかし、重鎮の態度からも、その意見がネイクーン王国の貴族院にもあることが伺えた。

若く、革新的なエルノート王太子に、思うところのある貴族院の面々もいるようだった。


フェリシア自身も何度も考えたことがあった。

セイジェ王子が王太子であったなら、と。





侍従や侍女と共に、広間の壁際に控えていたのは、セイジェの乳母、ソルだ。

幼い頃から、身体が弱く病がちだったセイジェには、どこに行くにも乳母が側についた。

成人してからも変わらず体調を崩す事が多かった為、常に何かしらの変化にすぐ気付くソルが付くのが当たり前だった。

それで今日、この場に居るのも自然なことだった。


ソルは、セイジェが王と話しているのを見ながら、これから先の事を考えて頭を痛めていた。

会場には、ザクバラ国の人間が何人もいる。

黒髪黒眼は、今でも見るだけで過去が蘇って、怒りと悲しみが込み上げる。

だからずっと、側妃マレリィやカウティスを良く思っていなかった。

そんな自分が、ザクバラ国に付いて行くなど、自分にとってもセイジェにとっても良いことなどない。

頭では分かっているが、気持ちは割り切れない。

歳をとり乳母の役割を離れたとしても、この国で王子が成長していく様を、一生見守っていこうと思っていた。

それなのに、よりによって憎いザクバラ国に連れて行かれようとは。


一介の乳母に何ができるでもなく、ただ思考は堂々巡りを繰り返す。

ひとつ溜め息をついて顔を上げれば、若草色のローブを着た魔術士が前を横切った。

よく見れば、広間の所々に、同じ色のローブを着た魔術士が立っている。

ソルは、側にいた衛兵に声を掛けた。

「今日は何故、魔術士がこんなに配置されているのですか」

「ああ、使節団の中に魔眼持ちの方がいるのです」

魔眼を使って他人の意識を変えることがあっては、公正な会談にはならない。

魔眼を使えば、魔力の動きで魔術士には分かるので、本人了承の下、防護符を持った魔術士が配置されているようだ。


衛兵の答えに、ソルの背筋が冷える。

「魔眼持ち……。その方とは、一体どなたですか」

心臓が嫌な音を立てて、冷や汗が出る。

「あちらでお話されている、主使殿です」

衛兵の示す方を見れば、王太子とセイジェと共に、微笑をたたえて話をする黒髪の男がいる。

ソルは、その男の顔を見て小さく悲鳴を上げる。


あの顔、あの目付き、あの痣……。

間違いない、あの時の魔術士だ。

三十年以上も前の事なのに、鮮明に思い出せる。

領地に攻め込んできた、ザクバラ国の兵士達。

その中には、成人したてと思われるような、若い兵士や魔術士達も多くいた。

そして、そんな魔術士の中でも際立って強力な魔術を発現させていたのは、右目の下に痣のある魔眼持ちだった。

魔眼にやられ、精神を破壊された父と領民達の無惨な最後を思い出し、ソルはその場にへたり込む。



様子に気付いた衛兵と侍従によって、ソルは会場から控えの間へ連れて行かれた。

その間ずっと、震えながらさっき見た光景を思い出す。

あの恐ろしい魔術士と、セイジェ王子が並んで談笑していた。

王子をザクバラ国に連れて行こうとしているのは、あの魔術士なのだ。


よろけてぶつかった机の上から、カトラリーが滑り落ち、床で高い音を立てた。

近くにいた給仕に声を掛けられるが、何と言っているのか耳に入らない。


あの日、血のように赤い、恐ろしい魔眼の光を見た。

父の苦しみ、領民の叫び。

見るに堪えない無惨な光景。

恐ろしさのあまり、全てを置いて、逃げた自分……。



……今度こそは逃げてはいけない。

セイジェ様だけは守らなければ。


ソルは、目の前で鋭く光る小さなナイフを、震える手で握りしめた。





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