幻
奥の部屋から出てきた二人は、ラードにそのまま宴会に参加させられていた。
領主も向こうの机で、楽しそうに話して飲んでいる。
「しかし、なぜエルドが南部にいたのだ? そなたの故郷は東部だったろう」
エルドはカウティスの隣に座り、仲間から料理を受け取る。
「ラードが、エスクトには優秀な魔術義肢を作る店があると言うので、南部に来たんです。それで、そのまま居着いています」
エルドは回復訓練を重ねて、右足以外はほぼ普通に動かせるようになっていた。
右足には腿に魔術具を装着していて、魔石を付けて傭兵として活動しているらしい。
常に魔石を着けたままだと負担が掛かるので、日常生活では外しているようだった。
今回、アドホ領主の不正を暴くため、ラード達と共に尽力したという。
「ラードとは、知り合いだったのか?」
カウティスはエルドに聞く。
二人の年の頃は近そうだ。
エルドはラードを指す。
「騎士団で同期でした。こいつは騎士崩れを勧誘しては、南部の傭兵ギルドに連れてくるんですよ」
「だから、我が領の傭兵ギルドは優秀なのです」
いつの間にかこちらの机に来ていた領主が、笑顔でカウティスにグラスを渡す。
「こやつは、せっかく入れた騎士団を情けない理由で除籍になったのですが、人たらしでしてね。いい人材を勧誘してくるのが上手い」
「そんな弟を、人使いの荒い領主がこき使うわけですよ」
ラードが苦笑いしながら、カウティスのグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
「兄弟だったのか」
カウティスが驚いて二人を見比べる。
そういえば、瞳の色は同じ濃い灰色だ。
だが、後はあまり似ていないように感じる。
「異母弟なのです。ああ、明日、辺境警備所へ向かわれる時はこやつをお連れ下さい。護衛でも、荷物持ちでも、何でも致しますので」
領主の言葉に、ラードが鼻の上にシワを刻んだ。
カウティスが笑って、グラスを口に付けようとすると、エルドが隣から手を出した。
「王子、毒感知を」
カウティスが眉根を寄せる。
「……必要か?」
「王城に戻られたからには、常に必要とお思い下さい」
エルドが護衛騎士の顔で言う。
グラスを渡したエスクト領主と、酒を注いだラードも、同じくカウティスを見て頷く。
王族は、命を狙われることがあると、常に意識しておかなければならない。
カウティスは小さく息を吐くと、内ポケットから細い指輪を取り出して、右手の親指にはめる。
白い半透明の指輪は、第一関節の下で肌に馴染み、一見しただけでは着けていても分からない。
毒感知の魔術具で、利き手に着けておくと、毒を感知すれば赤黒く変色する。
毒見役を置かないネイクーン王族は、普段使いする魔術具だ。
だが魔石を嵌めて使う魔術具ではなく、指輪そのものに魔石を練り込まれているため、短期間で取り替えなければならない。
カウティスが右手でグラスを持ち上げ、口にする。
「料理を出してくれた者を疑ってかかるみたいで、好きではない」
やや渋い顔をして呟いたカウティスに、ラードは呆れた声を出す。
「それで今まで、よく無事でしたねぇ、王子」
「相変わらずですね」
エルドが横で、とても嬉しそうに笑う。
成人までは、側に付く侍従や護衛騎士に毒感知が義務付けられているので、エルドが一緒にいた頃、カウティスは指輪をしていなかった。
だがカウティスは、さっきのようなことを言っては、侍女のユリナが魔術符で毒感知する前に菓子を口に入れていたものだ。
ただ早く食べたくて、待ちきれなかっただけかもしれないが。
昔を思い出して笑っているエルドを見て、カウティスは口元を歪める。
「笑うな」
その言いようが懐かしく、エルドは更に目を細めた。
日の入りの鐘が鳴り、カウティスは一度神殿に帰る為、傭兵達に挨拶をして料理店を出る。
ラードが神殿まで送ると付いて来た。
領主は護衛騎士と共に、もう少し傭兵達と飲むようだ。
見送ると言って、一緒に店外まで出たエルドの、不自由な右足を見た。
「今日、聖女様と一緒に来たのだ。エルド、その足は“神降ろし”で治せると思う」
カウティスが真剣な表情で言った。
「知っています。でも、私はこのままで良いのです」
「しかし……」
エルドは首を振る。
「この足は、私が大事な主をお守り出来た証です。魔術義肢で、不便も殆どありません」
エルドは赤味が入った茶色の瞳を細め、カウティスを誇らしげに見つめる。
「それに王子には、もう常に側にいる護衛騎士は必要ありませんから」
エルドは、掌を胸に当てて立礼する。
「私は
カウティスは唇を引き絞り、頷いた。
日の入りの時刻を過ぎても賑やかな大通りを、ラードと共にオルセールス神殿に向かって歩く。
この時間でも汗ばむ暑さで、露店には冷たい物が多く並んでいて、月も明るく、まだまだ人出は多い。
エルドに会えて笑い合い、また、エスクト領主と傭兵達との関係も嬉しく、普段殆ど飲まない酒を飲んだ。
フードを被った下で、耳が少し熱い。
「カウティス王子。ザクバラ国のタージュリヤ王女を娶られるって、本当ですか?」
「…………何だと?」
人気の多いところを抜けて二人だけになった時、ラードが突然尋ねた。
あまりにも突然に問われた内容に、カウティスは一瞬頭がついていかなかった。
ラードは肩を竦める。
「ザクバラ国の使節団が来るらしいって話が出た頃から、噂になっていたんですよ。前回の休戦の時は、マレリィ妃が輿入れされたでしょう。今回も有り得るんじゃないかと」
エルノート王太子に側妃として嫁ぐか、カウティスの正妃としてか。
傭兵達の間で噂になっているらしい。
「そんな話は全く聞いてないし、俺は婚姻はしない」
「……は? 『婚姻はしない』って、タージュリヤ王女としないってことじゃなく、婚姻自体しないってことですか?」
カウティスは顔を顰めた。
自分の中で有り得ないことを言われて、言わなくても良いことまで言ってしまった。
「……カウティス王子、まさかと思いますけど、
ラードが、歩いていた足を止める。
「幻じゃない」
カウティスは歩みを止めず、振り返らない。
「幻ですよ」
ラードの声が強まって、カウティスは肩越しに振り向く。
「水の精霊は幻です。どれだけ綺麗な女か知りませんがね、水の精霊は実体のない、幻の女ですよ? 一緒に生きていけやしないんです」
風が吹いて、被っていたフードが剥がれる。
風に散った前髪越しに、カウティスはラードを睨み付けた。
「お前にとって幻でも、俺には幻じゃない。セルフィーネは存在する」
ラードは溜め息をついて、首を振る。
「いやいや、触れられないんだから、幻と同じです。いいですか? 水の精霊と王子の繋がりは、国民にとって有り難いことですよ。俺だってそう思うからあの時は協力しました。でも、それとこれとは別の話です」
ラードは眉間に深くシワを刻んで、カウティスを指す。
「王子は
カウティスの息が荒くなる。
「お前に何が分かる。セルフィーネは確かに
「分かりますよ」
ラードはカウティスに詰め寄り、肩を掴む。
顔を近付け、怒気を孕んだ青空色の瞳を乱暴に覗き込んだ。
「人間なら、惚れた相手に触れたいと思うもんです。誰だってそうですよ。王子だって、そうでしょう! 触れたいのに触れられない、そんな相手、一緒にいても
カウティスがラードの手を強く振り払う。
「目を覚ましてください、王子」
固い表情のまま、ラードが突き放したように言った。
カウティスは眉根を寄せ、怒気を含んだ息を吐く。
震える拳を握った時、二人の声を聞き付け、近くの住人が様子を見に来た。
カウティスはフードを被り直し、踵を返した。
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