護衛騎士

エスクトの街は南部で最大の街だ。

街の南側は巨大なオアシスと繋がっていて、そこから先はエスクト砂漠だ。

更に南下して砂漠を越えれば、隣のフルデルデ王国との国境だったが、近年の砂漠拡大で、国境も砂漠に飲み込まれている。


エクスト領は主に隣国との交易で栄え、街並みは異国の物も多く混ざっていて、賑やかな色合いだった。




今、その賑やかな街並みを、カウティスは歩いていた。

エスクト領主と領主の護衛騎士が先を行く。

日除けのフードを被ったカウティスを挟んで、後ろにラードが付いている。

魔石に貯めた月光の魔力が切れたので、セルフィーネは一緒にいない。


領主が郊外の屋敷から街にやってきたのは、聖女一行に挨拶するだけが目的ではなかった。

アドホの一件が王城の管轄になったので一旦落ち着き、今回調査等で奮闘した傭兵達を、領主が街の料理屋一軒を貸し切って労うのだそうだ。

そこへ顔を出す目的もあったらしい。


今回特に働きの良かった者がいるので、是非とも王子に一言掛けてやって欲しいと頼まれ、カウティスは共に街にやって来た。

民の為に尽力した者達なら、勿論会って礼を言いたい。

今日までは聖女の護衛に付く予定だったが、ノックスが、明日から付く護衛騎士と共に引き受けてくれた。


領主は歩きながら、住人に話し掛けたり、話し掛けられたりしながら笑っている。

領民とよく関わり、慕われているのが分かり、領民にとって良い領主なのだと思った。



「そういえば、ザクバラ国の使節団が来るのは、明日でしたか?」

ラードが斜め後ろから声を掛けてきた。

「確か今日だ」

カウティスが答える。

ザクバラ国の使節団が来る事をカウティスに知らされたのは、聖女一行と南部へ行くことが決まってからだった。

近衛騎士になったカウティスが、直接関わることはないので日程に問題はないが、どういう会談になるのかは気になっている。

「今回で決着がつくといいですね」

「そうだな」

酷い争いで、二度と犠牲が出ないことを願う。




夕の鐘が鳴る頃、領主が貸し切った料理屋に到着した。

外に出ている大きな看板には、“貸し切り”と張り紙がされている。

既に中から、大勢の大きな笑い声も聞こえていた。



領主の護衛騎士が、店の入口の扉を開けると、広い店内に二十人程が集まっていた。

大きめの机が幾つも並び、夕の鐘が鳴ったばかりだというのに、机の上には空になったグラスも多い。

剣士が多いようだったが、数人、魔術士や他の職業の者も混ざっている。

何人かは、南部の辺境で魔物討伐する際、傭兵ギルドから派遣されて共に戦ったことのある者だった。


「遅いですよ、領主様」

入口近くの戦士が声を上げる。

「すまんな。そうは言っても、先に盛り上がっているではないか」

「まだ料理までは手を付けてませんよ」

領主が呆れ気味に笑えば、声を掛けた者の横で、フードを被ったカウティスの正体に気付いた女剣士が立ち上がった。

「カウティス様」

エスクト砂漠で一緒だった、女剣士のパリスだ。

「パリス、久しぶりだな」

カウティスがフードを剥ぐと、壁際からガタンと椅子の倒れた大きな音がした。


カウティスが首を捻り、音のした方を向く。

倒れた椅子の前で棒立ちになっている剣士を見て、カウティスは息を呑み、目を見開いた。

「あの者です。カウティス王子に、是非とも声を掛けて頂きたいのは」

領主が笑顔で示す。



領主に示された剣士は、倒れた椅子をそのままに、カウティスの方へ進み出た。

赤毛を短く切り揃え、体格の良い長身だが、歩く時にやや右足を引き摺っている。

彼はカウティスの前まで来ると、不自由な右足をぎこちなく折って跪き、赤味が入った茶色の瞳を、この上なく嬉しそうに細めた。

「……エルド」

「お久しぶりです。カウティス王子」

幼い頃の専属護衛騎士、エルドだった。




十三年前、カウティスが辛うじて一人で動けるようになった頃、エルドも治療院を出て故郷へ帰ったと知らされた。

意識は随分前に戻ったと聞いていたが、カウティスが会いに行くことは許されなかった。

後から聞いた話では、エルドは右半身に麻痺が残り、一人で動ける状態ではなかったらしい。

それを知って、幼いカウティスは打ちのめされた。

せめて手紙を書こうと思ったが、いざペンを持つと後悔と苦しさが込み上げて、何をどう書けば良いのか分からず、謝罪すら書くことが出来なかった。


一年間暗闇を這いずって、エルノートに叩き起こされ、その後一年以上掛けて這い上がったカウティスが、侍女のユリナから一度だけ、エルドからの手紙を受け取ったことがある。

その手紙には、子供が書いたように乱れた文字で、たった二文だけ書かれてあった。



   私は決して諦めません

   生きて下さい 

 




奥の部屋に通されて、カウティスとエルド二人だけだ。

扉の向こうから、賑やかな声が聞こえてくる。


「お元気そうで、嬉しいです」

目を細め、懐かしい声でエルドが声を掛ける。

「そなたも、元気そうだ」

カウティスの口からは、当たり障りのない言葉しか出てこない。

エルドにもう一度会えたら言いたいことが山程あったはずなのに、突然すぎる再会で、頭の中が目茶苦茶だった。


「ラードから、水の精霊様と無事に再会出来たと聞いていました。良かったですね、王子」

「ああ……」

エルドの右足を見て、カウティスは拳を握った。

「エルド、俺は……」

エルドが、カウティスが握った拳を持ち上げる。

「大きな手になりましたね」

もう一方の手を乗せ、カウティスの拳を両手で包む。

「よく、生きて下さいました」

エルドはカウティスの青空色の瞳を覗く。

二人の視線の高さは、殆ど変わらなくなっていた。



右半身麻痺のまま故郷に帰り、エルドも苦しんだ。

カウティスを守ったことで、自分は護衛騎士の責務を果たせたかもしれない。

しかし、二度と護衛騎士として戻れないことで、幼いカウティスに大きなものを負わせてしまった。

どうすればもう一度、あの幼い王子を笑わせてやれるだろうと悩んだ。

ふざけて笑い合った、あの輝いていた頃に戻してやれたらいいのにと願った。

しかし、どんなに悩んでも願っても、過ぎた時は戻らない。

だから、決めた。

決して自分は諦めない。

唯一人と決めた、幼い主の心の強さを信じ、いつか自分が、もう一度主の前に立てるその日まで。

その決意を短い言葉でしたため、ユリナに託した。




カウティスは、エルドの瞳を見つめ返す。

幼い頃何度も勇気付けられた、強く優しい瞳だ。

あの日、たった二文の手紙を、強く握りしめて歯を食い縛った。

『生きて下さい』という文字を見て、今でも自分はエルドに守られているのだと感じた。

ただ生きるだけでは駄目なのだと、懸命に前だけを見て努力し続けた。

それが、今に繋がっている。


カウティスは、目の前のエルドから目を逸らさずに、呟くように声を出す。

「……エルド、俺、皇国で剣の達人ソードマスターの称号を得たんだ」

「はい」

「辺境で、魔物討伐をしていて……」

「はい」

水の精霊セルフィーネに、また会えた」

「はい」

「それから……」

カウティスは、ギュッと目を閉じる。

「それから、エルドのおかげで、俺は今、生きてる」

エルドが不意に、カウティスの頭を引き寄せた。

カウティスの額が肩に当たり、エルドは固い掌で彼の頭を撫でる。

「本当は、あの頃にこうして差し上げたかった」

はは、とカウティスが小さく笑った。

「不敬だぞ」

「王城ではないので、多目に見て下さい」

そのまま二人で、あの頃のように笑った。



「……守ってくれて、ありがとう、エルド」

「はい、王子」

ようやく伝えることが出来た、十三年越しの感謝だった。



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