理解者

日の出の鐘が鳴って、半刻。


目が覚めて、いつもより遅いと気付いて飛び起きた聖女アナリナは、急いで身支度を整えて宿の部屋を出た。

部屋の外に立っていた、護衛騎士のノックスと朝の挨拶を交わす。

「寝坊してしまいました」

「お疲れだろうから、起こさないようにとカウティス様が」

ノックスが笑いながら教えてくれる。


昨夜、村長宅で大泣きした件で、神官達もアナリナを心配したらしく、ゆっくり寝かせてくれたようだ。

今朝は、何だか物凄くスッキリしている。

大泣きしたせいか、ゆっくり眠ったせいか、それとも昨夜カウティスにかけてもらった言葉のせいか。




客間が並ぶ二階から階段を降りると、食堂を兼ねた一階から、ザワザワと大勢の気配がする。

ちょうど、兵士達が朝食を囲んでいるようだ。


食堂の一番奥で、アドホから同行している兵士達と、話をしながら食事をしているカウティスを見つける。

彼の周りだけ、薄く薄く水色と薄紫色の魔力が揺蕩って、淡く輝いて見える。

「ん?」

アナリナが何かに気付いた時、兵士達が食堂の入口に立っている彼女に気付いて声を掛けた。

「おはようございます、聖女様」

皆がワラワラと立ち上がり、声を掛け、席を空ける。

この数日で、アナリナが平民と当たり前に交わり、それを楽しんでいることが分かっているので、兵士達はとても友好的だ。

何人かは、外で出発の準備をしている神官を呼びに行った。


カウティスも立ち上がり、アナリナの下に来る。

「おはよう。よく眠れたか?」

昨夜の約束通り、敬語は無しにしてくれたようだ。

「ええ、おかげさまで。ありがとうございました」

言ってすぐ、カウティスの左胸の辺りを見てにっこりと笑う。

「おはよう、セルフィーネ。いつこっちに来たの?」

「昨夜だ」

カウティスの左胸に添っていたセルフィーネが微笑む。

月光神の魔力に似たものを感じると思ったら、やはりセルフィーネがいたので、声を掛けたのだ。

カウティスが、しまったという顔をした途端、周囲の兵士達が顔色を変えて一斉にカウティスの方を振り向いた。

「水の精霊様!?」

噂が広まるのは早いもので、カウティスとアナリナが、水の精霊のことを“セルフィーネ”と呼んでいることを、多くの者が知っていた。


魔術素質がない者や低い者は、カウティスがセルフィーネを連れていても気付かない。

それでカウティスは、セルフィーネを連れていることを神官達にだけは口止めしておいたのだが、まだ寝ていたアナリナには伝える間がなかった。

カウティスが水の精霊を連れていると知って、兵士達は次々に彼の前に跪いて、挨拶や礼を述べ、暫く騒ぎになった。

最後には村人も総出で挨拶することになり、出発の時間はだいぶずれ込んだのだった。




「いいじゃないですか、皆、水の精霊に会えて嬉しそうだったし」

アナリナが笑って言う。


実際には、セルフィーネを見ることは出来ないので、会ったとは言えないのかもしれない。

しかし、十三年目以上眠っていた水の精霊が帰って来て、本当に第二王子が水の精霊の寵愛を受けているのだと知れた事が、皆、悦ばしいのだった。

カウティスは、皆が次々に跪いて挨拶するので辟易したが、セルフィーネは一人ひとりを黙ってじっと見つめていた。



出発準備が整い、神官達が馬車に乗り込む。

アナリナが乗る前に、カウティスの左胸を指差した。

「馬車でセルフィーネと、色々お話したいです。それ、貸してくれませんか?」

アナリナの指す“それ”とは、カウティスが首から下げているガラスの小瓶の事だ。

カウティスは僅かに眉を寄せる。

「…………駄目だ」

「え? ダメ? エスクトの街に着くまでだけですよ?」

アナリナは黒曜の瞳を瞬く。

この村からエスクトの街まで、移動時間は鐘一つ分程だ。


カウティスがちらりと下を向くと、左胸に添ったセルフィーネがカウティスを見上げている。

「悪いが、断る。……他人に貸し出せる物じゃない」

十三年間、お守りのように肌身離さず身に付けていた、セルフィーネとカウティスだけの繋がりだ。 

アナリナとはいえ、僅かなりとも他人に触らせたくなかった。

固い表情のカウティスは、騎士服の上から、胸の小瓶をそっと握る。

「……そうですか……」

アナリナはカウティスを見て、諦めて馬車に乗り込んだ。

寂しいような、傷付いたような、複雑な気分だった。



「……離さないでくれて、嬉しい」

呟くような小さな声が聞こえて、カウティスはセルフィーネを見る。

彼女は俯いていて表情は見えなかったが、その右手は、カウティスの濃紺の騎士服の胸の辺りを握っている様だった。

「当然だ」

カウティスは優しく言って、もう一度服の上から小瓶に触れ、黒のマントを翻して馬に乗った。





出発が遅れたため、エスクトの街に到着したのは午後の一の鐘を過ぎていたが、炎天の中、多くの人々が聖女一行を待っていた。

アナリナは馬車の窓を開けて手を振り、歓声を受けて馬車はオルセールス神殿に入る。


エスクトの街のオルセールス神殿は、城下の神殿と同じ位の規模だった。

前広場は少し広いようで、セルフィーネが言っていたように、中央に大きな噴水があって、陽光に水飛沫がキラキラと輝き、小さな虹が掛かって見える。

細い水路と水場もあり、所々に石造りの長椅子と、その上に日除けの布が掛けられていた。

どうやら昼間は、街の住人に開放されていて、憩いの場になっているようだ。


馬車が神殿の敷地内に入ると、門が締められた。

聖女一行が滞在する間は、安全を確保するために、広場の一般開放はない。

替わりに、明日には大きく日除けが張られ、三日間は神官と聖女の神の救い神聖魔法が施される場所になる。

“神降ろし”は神殿内で行われる予定だった。



荷降ろしが始まり、アナリナが馬車から降りると、アナリナの護衛騎士として付いているノックスが待っていた。

カウティスは近くで他の騎士と話していたが、アナリナに気付いて近寄る。

「聖女様。当初の予定通り、私は明日から護衛を離れます。この者達が替わりに付きますのでお見知り置きを」

エスクト領に派遣されている、王城の騎士二人を紹介され、挨拶を交わす。


カウティスはエスクトの街に着いたら、別行動で、南部の辺境警備所に後片付けと引き継ぎに行くと聞いていた。

確かに聞いていたが、アナリナはすっかりそのことが頭から抜けていた。

「じゃあカウティスは、明日からはここに戻って来ないんですか?」

「はい。辺境警備所での仕事を終えれば、幾つか気になる所を回ってから帰城する予定です」

あっさり言われ、しかも騎士達の手前、敬語に戻ったカウティスに、アナリナは妙に突き放された気分だった。

何故こんな気分になるのだろう、とアナリナが小さく眉を寄せた時、神官がやって来てエスクト領主の来訪を告げた。




エスクト領主は、40代位の小柄な男だった。

質は良いが簡素な作りの、文官が着るような茶色の詰襟を着ていて、ケープを止めるマント留めに小振りな宝石が付いているだけで、他に装飾はなかった。

領主の後ろには、ラード付いて来ている。

寄り道しながらエスクトの街を目指した聖女一行より、早く戻って来ていたようだ。


神殿内で、領主は聖女と神官達に立礼して挨拶を交わす。

「こちらから出向くべきところ、こうしておいで下さり、感謝致します」

神官が言うと、領主は破顔する。

「聖女様や神官様には、我が領地に救いを施して頂くのです。こちらが出向くのは当然のこと。領地に滞在の間、不足のことがあれば、何なりと仰って下さい」

冷たい飲み物や果物などを、差し入れだと運び込み、明日に向けての準備に手助けをと、下男達に指示をする。

その様子から、普段から領民と交わることが多いのだろうと推測できた。




聖女一行に挨拶を終えて離れると、領主とラードはカウティスの下に来た。

二人は姿勢を正し、掌を胸に当てると頭を下げる。

「カウティス王子、騎士団復帰と帰城をお慶び申し上げます」

領主は顔を上げ、カウティスを見る。

濃い灰色の瞳は優しい色をしている。


「そして、長くその身を以て民を守り続けて下さったことに、領民を代表してお礼申し上げます」

領主は再び頭を下げ、カウティスは面食らう。

「よせ。そのように頭を下げられるようなことを、私は王子として、まだ何も成せていない」

領主は再び頭を上げると、困ったように微笑んだ。

「何を仰るのですか。王子がどれだけその身を削って、民を守って下さったか、私が知らぬとお思いですか?」

カウティスが、各地の辺境警備で三年強、魔物討伐をしていた事を指しているのだろう。

カウティスは目を逸らし、眉根を寄せる。

「水の精霊が眠っている間の、埋め合せをしようとしていただけだ。褒められたものではない」


「いいえ、王子」

エスクト領主の声に力が籠もった。

「不測の事態は誰にでも、いつでも起こり得るものです。しかし王子は、今までずっと“民の為に力を尽くす”という、ともすれば忘れられがちな王族の務めを一度も投げ出されなかったではありませんか」

廃嫡を望む声が上がった時、ほとぼりが冷めるまで、他国へ留学させる話も出た。

しかし、カウティスは続く困難に喘ぐ国民の為、僅かなりとも力になろうと奮闘した。

それを理解している者もいる。


「貴方は、我等ネイクーン王国民が誇るべき王族です」

カウティスは領主に向き合う。

「カウティス王子。帰城を、心よりお慶び申し上げます」

改めて、力強く言われた言葉が、カウティスの胸に響いた。



「……感謝する」

領主の言葉を正面から受け止め、カウティスは真摯に答えた。



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