使節団
午後の二の鐘が鳴る。
王城の謁見の間で、ザクバラ国の使節団との謁見が行われていた。
王と側妃マレリィが壇上に座り、一段下に王太子エルノートが立つ。
その下に、宰相セシウム、騎士団長バルシャーク、魔術師長ミルガンが控える。
向かって反対側に、貴族院の面々と、書記官などが揃う。
ザクバラ国の使節団は七人。
全員黒髪に黒い瞳の、生粋のザクバラ国民ばかりだ。
二人は格好から護衛騎士の様で、残り五人が使者だった。
一人は女性で、男性四人の内の一人が主使だ。
「久しいな、リィドウォル卿。健勝の様子で、何よりだ」
王が王座から声を掛けると、頭を下げていた主使が顔を上げた。
切れ長の漆黒の目が光る。
右目の下に、葉の形に似た痣がある。
緩くクセのある青味がかった黒髪を後ろでまとめ、長身に黒一色を纏った男は、その顔立ちがマレリィと良く似ている。
「お久しぶりでございます、陛下。益々御壮健のことと、お慶び申し上げます」
リィドウォルと呼ばれた主使は、王に挨拶をすると、王妃の座を空けて、その隣に座したマレリィを見る。
「マレリィ妃も、御息災で何よりでございます」
「兄上様も。久しぶりにお元気そうなお顔を見られて、嬉しく思います」
二人は表情を変えずに挨拶を交わす。
リィドウォルはザクバラ国王の甥で、マレリィの兄だ。
彼が王と会うのは、四年前の停戦協定を結んだ時以来だった。
「ザクバラ国王からの親書でございます」
リィドウォルが差し出した書簡を、文官を経由して、王が受け取る。
「確かに受け取った。長旅で疲れたであろう。今夜はゆるりと休んでくれ」
使節団のために離宮が準備されていて、そこで三日間、新たに二国間の休戦協定を結ぶための会談が開かれることになっていた。
使節団が頭を下げると、王が立ち上がる。
続いてマレリィが立ち上がろうとすると、リィドウォルが言った。
「陛下、久し振りに顔を合わせた兄妹に、少しお時間を頂きたく存じます」
王がマレリィと目を合わせると、マレリィは目礼する。
「積もる話もあろう。水入らずでゆっくりすると良い」
王はマレリィの肩に手を置いて横を通ると、魔術師長ミルガンに何かを指示してから、広間を出て行った。
謁見の間から出て、兄妹は控えの間である応接室に入る。
リィドウォルとマレリィに続き、それぞれの護衛騎士が入室し、続けて一人魔術士が入り、脇に控えた。
侍女達がお茶の準備をする。
厚みのある深紅のソファに座ると、マレリィが口を開いた。
「陛下も、王太子殿下も御息災ですか」
ここで言う“陛下”と“王太子”は、ザクバラ国のものだ。
向かい合う席に、深く腰を下ろしたリィドウォルが足を組む。
「陛下は相変わらずお元気だが、王太子は長く患っておられるままだ。今回の会談にも関係してくるので、詳しくは言わぬ」
リィドウォルの声音も喋り方も、情の籠もらない平坦なものだった。
「会談に関係が?」
マレリィは目を細める。
侍女がお茶を運び、二人の間の机に、湯気の上がるカップが置かれた。
「親書を読んだ後で、王に聞け。それよりもマレリィ、そなたは何故王妃の座に就かぬ」
リィドウォルの漆黒の瞳が昏く光る。
「……王妃の座は、エレイシア王妃様だけのものです」
「ザクバラ国の利を考えれば、亡くなった王妃に義理立てするよりも、そなたがその座を得るべきであろうが」
マレリィは拳を握り、兄を睨みつけた。
「私はもう、ネイクーン王国の人間です」
はっ、とリィドウォルは鼻で笑う。
「『ネイクーン王国の人間』だと? 真にネイクーン王国の為を思うなら、それこそ王妃の座を奪い取って、両国間の和平の為に尽力すれば良かったのだ。中途半端な女の友情で、どちらの国の利も見ぬふりをしおって」
マレリィが息を呑む。
リィドウォルが瞳の色を増して、マレリィを射る。
「そなたは、この三十年近く何をしていた。我等が尊い血を流して国を守ろうとしていた間、両国の板挟みで苦しいと、ただ嘆いていただけか」
リィドウォルの右目に紅い光が滲むと、マレリィの顔色が変わる。
「おやめください、兄上様」
「マレリィ様」
控えていた魔術士が防護符を持ち、マレリィの護衛騎士と共に間に入る。
即座にマレリィは視線を外した。
リィドウォルは魔眼の持ち主だ。
魔眼持ちは一様に、魔術素質が高く、魔術士になることが多い。
彼も魔術士として学んではいるが、文官を肩書にしていた。
魔眼にも様々あるが、リィドウォルの魔眼は見た者の精神を混濁させる。
マレリィは昔から、兄の目が恐ろしかった。
リィドウォルは何事もなかったかのように、お茶を一口飲んで、立ち上がる。
「…………兄上様、どうかこれ以上の争いはおやめ下さい」
マレリィは、兄と視線を合わせずに言う。
「それは、私が決めることではない。勿論そなたでもない」
リィドウォルは黒いローブを翻して踵を返し、出口に向かい、彼の護衛騎士が続く。
ふと足を止め、扉を開けようとした侍女を手で制し、肩越しに振り向いた。
「そういえば、我が甥は会談に参席するのか」
マレリィは眉根を寄せる。
「……カウティスは諸用あって、遠方に出ております」
「ほう、それは残念だ」
言い捨てて、リィドウォルは部屋を出て行った。
執務室では、王が窓際で腕を組んで、日の入り前に赤い光に染まる空を見ていた。
その顔は険しい。
ザクバラ国から届けられた、国王の親書を読んでいたエルノートが、眉根を寄せた。
宰相のセシウムが溜め息をつく。
「賠償金も、国境地帯の利権も、予想以上の幅で要求してきましたね」
騎士団長バルシャークと魔術師長ミルガンも、揃って険しい顔をしている。
「先代の結んだ条約がある限り、全て突っぱねることもできん」
王が苦々しく吐き出す。
先代王の治世でも、ザクバラ国とはベリウム川の氾濫を巡って小競り合いが頻発し、その後大きな争いになった。
フルブレスカ魔法皇国の介入により、争いは収束し、和平条約が結ばれ、両国の結びつきの証としてマレリィが輿入れした。
その条約の重要な一部に、“水の精霊によるベリウム川の氾濫抑制”があった。
「あの頃は水の精霊様が、まさかあれ程長く眠るような事態があろうとは、想定しておりませんでしたからな」
バルシャークが太い腕を組んで言う。
「今ほどに、水の精霊様と意思の疎通も出来ませんでしたし……」
ミルガンが口髭を指でしごく。
条約を結ぶ前、先代王が両国間の争いを収めるために、ベリウム川氾濫抑制を任せられるか、水の精霊に確認をした。
その際、当時の魔術師長に加え、水の精霊の声を聞ける魔術士達が立ち会った。
ミルガンはその内の一人だった。
王の質問と願いに対し、水の精霊が答えたのは『了承した』の一言だけだった。
フォグマ山の噴火という、想定外の災害が原因だとしても、条約に明記されている“ベリウム川の氾濫抑制”を、ネイクーン王国が一方的に破った、というのがザクバラ国の主張だった。
「要求全てに悪意を感じますね」
手にしていた親書を、パシリと執務机の上に置いたエルノートが、薄青の瞳を険しくする。
「しかも、再び政略婚を求めて来るとは」
親書には、国家間の繋がりを修復するために、政略婚を求める要項があった。
「あの老害め、一体何を考えている」
王が鼻の上にシワを寄せ、唸るように言った。
ザクバラ国王は、70歳を優に越える。
ザクバラ国では、不慮の事故や病気で亡くなる王族が多く、現国王の子は王太子唯一人だ。
親書によれば、王太子は長く患って後継は難しく、王太子の娘であるタージュリヤ王女を次期女王に決定づけたとある。
そして、その王配にネイクーン王国の王子を求めてきたのだった。
タージュリヤ王女は今年19歳。
彼の国が求めてきたのは、カウティス·フォグマ·ネイクーン第二王子だった。
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