水の精霊への感謝
午前の二の鐘が鳴る。
聖女一行が出発するのを見送るために、神殿前広場には多くの人が集まっていた。
「事後処理もありますから、暫くはアドホにいます。王城から官吏が来るまでは任せて下さい」
一行が準備している側で、カウティスとラードが話している。
カウティスは聖女一行とアドホを出るので、ラードと傭兵ギルドに後を任せていた。
「その後はエスクトの街に戻るのか?」
「聖女様がエスクトに着く頃には、俺も戻ると思います。また、報告に上がりますよ」
聖女一行は途中の村や街に立ち寄るので、エスクトの街までは五日かけて移動する予定だ。
「頼む」
言って、カウティスはフードを被る。
昨日あれだけ大っぴらに動いたのだから、第二王子だとは周知されてしまい、黒髪を隠す必要もないが、南部の日差しは強いのでフードは必須だ。
ラードが立礼をして離れると、待ち構えていたように、周囲から声が上がった。
「カウティス様!」
「カウティス第二王子!」
温かく手を振られ、カウティスは戸惑った。
季節ひとつ前までは、水の精霊を失った黒髪の第二王子は、忌避される存在だった。
「この街の者は、そなたのことを正しく理解したのだな」
左胸から、静かな声がする。
下を見ると、小さなセルフィーネがカウティスの胸に添って、満足気に手を振る人々を見ている。
昨夜は小瓶の魔石を月光に当てられなかったので、その姿は朧気だった。
カウティス達が出発すれば、王城へ戻るらしい。
「手を振り返してやるといい」
セルフィーネに言われて、カウティスが躊躇いがちにそっと手を上げると、歓声が上がった。
ふと、小さな少女が、人々の間からカウティスを見つめていることに気付いた。
その身なりからは、貧民街からやってきたことが分かる。
小さな白い野の花を握りしめて、カウティスに何かを言いたそうにしている。
カウティスは気になって少女に近寄り、少し前屈みになる。
王子が側に来たので少女は途端に緊張した様子だったが、少しモジモジした後、意を決した様に口を開いた。
「カウティス王子様は、水の精霊様と仲良しだと聞きました。本当ですか?」
思わぬ質問に面食らうが、カウティスは頷いた。
少女は顔を輝かせて、手にしていた花を差し出す。
「これを水の精霊様に差し上げたくて!」
カウティスは瞬いて、その小さな花と少女を見る。
「理由を聞いてもいいかい?」
少女は緊張した様子のまま、言葉を探すように話す。
「あの、前にお父さんと妹が病気になったんです。今はもう元気になったんですけど、その時診てくださった薬師様が言ってたんです」
『病が流行っても、清浄な水がいつでもたっぷり使えるから、この国では快方に向かう人が多いんだ』
「だから王子様に、どうしても水の精霊様にお礼を伝えて欲しくて」
少女は花を掲げる。
カウティスは少し考えて、一歩前に出て膝を折る。
人々がどよめき、後ろでノックスが制止の声を上げたが聞き流す。
カウティスは、首に掛かった銀の細い鎖を引いてガラスの小瓶を出し、少女に見せた。
「これは特別な小瓶だ。これに話し掛ければ、君の声が直接水の精霊様に届く。どうか、君の言葉を届けてくれないか」
少女はカウティスと、彼の手の上の美しいガラスの小瓶を見比べて頷く。
「水の精霊様。精霊様のおかげで、お父さんも妹も、他にも沢山の人が元気になりました。これ、私が毎日お水をあげて育てたお花です。水の精霊様に差し上げます。いつも、みんなを見守ってくださって、ありがとうございます」
少女はガラスの小瓶に向かってそう言うと、小瓶の横に花を添え、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。水の精霊様に、きっと伝わった」
カウティスは少女に礼を言うと、小瓶と花を大事に持って立ち上がった。
聖女アナリナと神官達が神殿から出てくると、一層周囲が騒がしくなる。
カウティスは、アナリナの方へ行きながら、小瓶を服の中に入れる。
「……カウティス」
セルフィーネの小さな声がして、カウティスは左胸を見る。
彼女は頬を染め、胸を押えていた。
「胸が熱いのだ……どうすれば良い……」
『水の精霊様、ありがとうございます』と、今まで何度言われただろうか。
しかし、こんな気持ちになったことはない。
いや、一度だけ。
まだ7歳になる前のカウティスが、彼なりに水の精霊の気持ちに添って考え、『ありがとう』と言ってくれた時だ。
あの時、初めて心が震えた。
戸惑い、胸を押さえた指を震わせるセルフィーネを見て、カウティスが微笑んで言う。
「そのまま、温めておけばいい」
少女に貰った花を胸に刺し、見上げるセルフィーネに軽く頷いて、カウティスはアナリナの護衛に付く。
セルフィーネは、暫く胸を押さえたまま、側で揺れている白い花を見ていた。
そして、そっとカウティスの胸に頭を寄せる。
「そなたはいつも、私に与えてばかりだ……」
出発を惜しまれながら、アナリナは馬車に乗り込み、一行はアドホの街を出て、更に街道を南下する。
旅程通り、途中のいくつかの村や街に立ち寄り、神官達と
アナリナは平民に囲まれ、よく笑い、よく喋る。
聖女の特別な力を手にし、周囲から“聖女様”と崇められても、驕ることもなければ、力をひけらかすこともない。
誰かと一緒に、笑って喋っている時の方が余程嬉しそうだった。
『私、本当は、
城下街からの帰り道で、アナリナはそう言った。
あれこそが正直な気持ちで、今こうして世界を巡教している彼女に、月光神はどれ程の犠牲を強いているのだろうか。
カウティスは苦い思いで彼女を見ていた。
アドホの街を出てから、四日目。
夕の鐘が鳴る前に、今夜泊まる村に到着した。
既にエスクト領に入っており、ここで一泊して、明日の昼の鐘が鳴る頃には、エスクトの街に到着する予定だった。
この村には重病の者はおらず、二人いる薬師が普段から村民をよく診ているようで、神官の救済も必要ないくらいだった。
おかげで一行はゆとりを持って過ごすことが出来、旅装を解いて一息つく。
村長と村民に歓迎され、広場に用意された場所で、和やかな雰囲気で夕食を摂った。
カウティスは少し離れたところで食事を済ませ、アナリナの護衛に付いていたノックスと交替する。
アナリナは、村の子供達に神話を語っていて、ちょうど世界を融合する場面を語っていた。
偉大なる太陽と月の兄妹神は、七つの世界を創り、それぞれに別の生き物を育てた。
それぞれが進化した頃、七つの世界を融合させて、一つの世界にしようとする。
一つは融合出来ずに消滅し、一つは部分的に融合し、残りの五つが溶け合い、融合した。
それがこの大陸である。
カウティスは御迎祭で司祭が語る神話を聞いたことがあった。
未だ進化は続いており、我々人間は、太陽神と月光神の完全な世界に向かう途中である、と神話は結ばれるのだ。
何度聞いても、気の遠くなる話だとカウティスは思う。
神話など、そういうものかもしれないが。
語り終えて顔を上げたアナリナと、目線がぶつかる。
彼女は曖昧に笑うと、ぎこちなく目線を逸した。
その時、近くにいた村の薬師の一人が、村長の娘に呼ばれて村長宅へ駆けて行った。
「病人かしら……」
アナリナは立ち上がる。
「私の母を診に行ったのでしょう。もうすぐ月光神様の元へ旅立つと聞いています」
少し離れた席から、アナリナが神話を語るのを見ていた村長が言った。
アナリナは眉を寄せる。
「もうすぐって……では、私が診ます」
アナリナの言葉に、村長は立ち上がる。
「母は元神官なのです、聖女様。お会いになりますか?」
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