王族の職務
神殿の隣の治療院で、兵士達が息も絶え絶えで寝転がっている。
貧民街から患者を担架に乗せて、運んで来た者達だ。
何とか半刻に間に合わせ、患者を引き渡した後は、今の有様だ。
カウティスも壁に凭れてしゃがみ、項垂れて息を整えていた。
「大丈夫か?」
俯いたちょうど鼻先に、心配そうな顔をした小さなセルフィーネがいる。
「……大丈夫。アナリナは“神降ろし”を行えただろうか」
「先程、月光神様の御力が降りた。無事に終わったのだろう」
「そうか」
安堵すると、小さなセルフィーネがじっとこちらを見ている。
「……さっきはすまなかった。その、そなたのことを、自分のものみたいに呼んで……」
カウティスがバツが悪そうに言うと、セルフィーネはふわりと微笑む。
「私は嬉しかった」
その顔を見て、ようやくホッと息をついて、彼女に言った。
「おかえり、セルフィーネ」
彼女は嬉しそうに、笑みを深めた。
「あー、カウティス様。
カウティスが弾かれた様に顔を上げると、無精髭の顎を掻きながら、呆れ気味に見下ろしているラードがいた。
「……気を付ける」
カウティスは顔を顰めて立ち上がり、緩めていた首元を締める。
セルフィーネは姿を消した。
ラードには南部で辺境警備に就いていた時から、恥ずかしいところばかり見られている気がする。
ラードは、カウティスを見ながら、自分の左胸の辺りを指で突付く。
「無事に
「幻じゃない。……だが、ラードのおかげだ。あの時のことは感謝している」
カウティスが焦って周りが見えなくなった時、砂漠から王城に戻るのを助けてくれた。
「お役に立てたんなら、良かったですよ」
ラードが器用に口の片端を上げて笑った。
「ネイクーン王国に、貧民街のような所があったとは知らなかった」
ラードからアドホの現状の報告を受けて、カウティスは顔を曇らせる。
「まあ、何処の街にも、貧困層が暮らす地域は多少なりともありましたけどね。アドホは、ここ数年で悪化したようです」
フォグマ山の噴火で、被害が大きかったのは北部と西部だ。
続いて中央部で、東部と南部は火山に関係した被害はなかったが、水の精霊が眠ったことにより、火の精霊が勢いを増し、年々様々な影響が出てきた。
南部は砂漠の拡大が一番の問題だったが、気温の上昇と、数年前に発生した疫病とで、大きな痛手を受けた。
疫病は、南部のみで抑えられた小流行で、今は収束している。
しかし、初手の対応に遅れがあり、貧困層の犠牲者が多く出たらしい。
アドホはその典型だった。
「調べたところアドホでは、国からの補助金が、疫病被害を受けた平民の為には使われていないようです」
カウティスが眉根を寄せる。
「……領主か」
「はい。ほぼ、領主の懐に入っていたようですね」
ねっとりと笑っていた領主の顔を思い出し、歯ぎしりする。
領民を守るべき立場にありながら、責任を放棄するだけでなく、私利私欲を貪るとは。
「僅かなりとも放置は出来ない。すぐに傭兵ギルドと魔術士ギルドに向かう」
カウティスは緩めていた黒いマントを留め直すと、翻して出て行く。
「お供しますよ」
ラードが後に続いた。
魔術士ギルドでは、王城の魔術士館や、各地域に派遣されている魔術士達と、風の魔術陣で通信を行える。
カウティスは王城と連絡を取り合い、アドホの現状対策を取り急ぎ纏めた。
傭兵ギルドと自警団に連携を取り、聖女の“神降ろし”が必要と判断されなかった、他の患者達の救済に努めるよう指示する。
王城からの官吏が到着するまでに必要なこと、出来る事を聞き取り、それぞれに指示を出し、翌日の日の出の鐘が鳴るまで、一睡もせず、王子として今できることに尽くした。
日の出の鐘が鳴って、半刻。
カウティスがオルセールス神殿に戻ると、まだ前広場には多くの人がいた。
午前に聖女一行が出発するのを、見送るために留まっている様だ。
聖女や神官の救済を受けて、そこで一晩明かしたものもいたようだった。
しかし、その表情は皆一様に明るい。
カウティスは広場を通らずに、裏口から入る。
月光神殿に入ると、広間にいたノックスが気付き、駆け寄った。
「カウティス様、中々戻られないので心配しておりました」
ギルドに向かう際にノックスには伝言を頼んだが、朝まで戻らなかったので、気を揉ませたようだ。
「すまない。慣れないことも多くて手間取った。あれから問題はなかったか」
「はい。“神降ろし”は無事に行われました。その後は、深夜まで神官達の救済も続けられ、特に大きな騒ぎもありませんでした」
カウティスは安堵の溜め息をつく。
「お疲れでしょう。聖女様には私が付いておりますので、出発まで少しお休み下さい」
カウティスの疲れを見て取って、ノックスが言った。
「聖女に会ってから休憩させてもらう。何処におられる?」
確かに疲れていたが、出発までにアナリナに話しておかなければならないこともある。
「祭壇の間に。水の精霊様と会っておられるようです」
「何?」
カウティスは、祭壇の間の扉を勢い良く開ける。
神殿の扉を、そんなに乱雑に開けようものなら、普通は白い目で見られるものだ。
王子としては、かなり行儀が悪い。
祭壇には、月輪を背負った静謐な月光神の像が立つ。
像の前に置かれた水盆には、セルフィーネが美しく佇んでいて、その前には聖女アナリナが立っていた。
「カウティス」
カウティスの姿を認め、セルフィーネが柔らかく微笑むと、アナリナはその美しい変化に目を見開いた。
カウティスが大股で早足に近付き、アナリナに詰め寄る。
「何故、二人で会ってる? セルフィーネを“降ろす”ような事態があったのか?」
焦りすぎて、聖女相手に敬語で話すのも忘れる。
カウティスの勢いで、アナリナが祭服を着た身体を反らせた。
「別に降ろしてません。昨日のお礼を言いたくて、水盆で呼んだんです」
「呼んだ?……アナリナはセルフィーネを呼べるのか?」
カウティスは青空色の目を瞬く。
「呼ぶだけなら、水があれば誰でも出来るでしょう。セルフィーネが応えるかどうかは別として」
確かに、魔術士館にも水盆を置いてあるくらいだし、グラスの水でも呼べるのだ。
「……では、セルフィーネは君が呼んだら姿を現したと?」
「はい」
こっくりとアナリナが大きく頷く。
王族以外に呼ばれて、セルフィーネがすんなり姿を現したことに衝撃を受ける。
「アナリナの魔力は心地良い」
「そりゃあ、月光神に染められちゃってるもの。
二人が親しそうに話しているので、更に衝撃を受けた。
自分以外と、セルフィーネが楽しそうに話すところなど見たことがない。
何となくモヤモヤした気分になった。
「……何故そんなに親しげなのだ」
「それはもう、カウティスの寝顔を一緒に眺めた仲ですから」
アナリナが殊更にっこりと笑う。
カウティスは顔を盛大に顰めた。
思い返せば恥ずかし過ぎて、是非とも忘れて欲しい過去だ。
アナリナは息を吐いて、肩を竦める。
「心配しなくても、セルフィーネの特別はカウティスだけですよ。さっき、貴方が入ってきた時の顔、見ました?」
アナリナは、水盆の上で長く細い髪をサラサラと揺らすセルフィーネを見上げる。
「とっても綺麗だわ、セルフィーネ。カウティスの側にいられて、幸せなのね」
セルフィーネの頬に薄い桃色が差し、輝く瞳で微笑んで頷く。
カウティスはそんなセルフィーネを見て、微笑みを返した。
「……そういう顔は、二人だけの時にして下さい」
アナリナの声で我に返り、カウティスは咳払いを一つした。
「カウティスにも、お礼を言いたかったんです。まさか王子が、貧民街に率先して行って下さるとは思いませんでした。ありがとうございました」
アナリナが青銀の髪を揺らして、丁寧に頭を下げる。
カウティスが怪訝な顔をする。
「何故? 一昨日も、行っただろう」
「あれは、私が行くと言ったから。護衛騎士の職務だからでしょう」
カウティスは首を傾げる。
「それなら、民の為に動くのは王族の職務なのだから、当然ということになるな」
アナリナはカウティスの言い様に、ポカンとする。
「だいたい、目の前で困っている人がいれば、出来ることをしたいと思うのは当然だろう。違うか?」
「……違いません、けど……」
違わないが、王族の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。
不意にカウティスが、アナリナに向かって姿勢を正した。
「それから、昨日の領主邸での貴族達の振る舞いを謝罪する。アナリナの心を踏み躙る行いだった。本当に申し訳なかった」
カウティスが目を伏せるので、アナリナの血の気が下がった。
青銀の髪を散らして首を振る。
「どうしてカウティスが謝るの!」
「貴族を統括するのは王族だ。彼らを御しきれていないのは、王族の責任でもある。苦しんでいる民がいることにも、気付けていなかったのは恥ずべきことだ」
カウティスの表情は真剣だ。
「領主の権限は、昨夜、王命で全て差し押さえた。明日の昼の鐘までには、兄上の信用する官吏が代理の領主として来る手筈になっている。それまでは、ラード達に領主邸を押さえてもらって……」
「待って、待って!」
つらつらと話すカウティスを、アナリナが止める。
喋るのを止めたカウティスを、何度も目を瞬いて見つめた。
「そんなこと、一晩かけてやってたの……」
「ああ。早ければ早いほど、民が苦しまなくて済むはずだから」
カウティスの真摯な答えに、アナリナの喉の奥が詰まった。
王族や貴族なんて、みんな大嫌いだった。
色々な国を渡り歩くが、何処の王族もいかすけないし、聖女を国政に利用しようとした国もあった。
貴族だって似たようなものだ。
平民出の聖女を下に見て、悔しい思いをしたことだって、今回が初めてではない。
アナリナは、改めてカウティスを見る。
昨日から動き通しで、髪も乱れているし、服もあちこち汚れている。
今まで見てきた王族とは、全く違う姿だ。
こんなにも、民のことを身近に思ってくれる王族がいるなんて、知らなかった。
少しずつ傷付いてきた心に、こんなに添ってくれる人がいるなんて。
アナリナは、白い祭服の胸をそっと押さえた。
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