南部巡教 (1)
セルフィーネはネイクーン王国の空を駆ける。
様々な場所や人を同時に見ながら、南部へ向かう。
逃げるように、王城を出てきてしまった。
カウティスの澄んだ青空色の瞳を見てしまったら、もう一度『行きたくない』と言ってしまいそうだった。
水の精霊として、役割を果たすと明言しておきながら、後ろ髪を引かれている。
子供の我儘のようだ。
こんな気持ちが、自分の中から生まれたのかと戸惑う。
それでも、月明かりの中、エスクト砂漠に辿り着き、地中に潜る。
これ以上、砂漠化を加速させるわけにはいかない。
地中深くに潜ろうとするセルフィーネが、ピリッと一瞬弾かれた。
何だろう?
それは一瞬だけのことで、その後はいつも通り潜ることが出来たが、彼女の中に違和感が残った。
カウティスが、聖女一行と南部へ出発したのは、火の季節、前期月の最終週だった。
聖女は要人扱いなので、告知して国内を移動する時は、王城の騎士が護衛に付く。
更に移動する先の兵士が、一行の護衛に付いた。
今回の南部への巡教は、エルノートの近衛騎士から、カウティスとノックスが同行する。
ノックスは元々エルノートの護衛騎士で、以前泉の庭園でカウティスと対峙した者だ。
くすんだ灰色の長い髪を後ろで纏め、筋肉質な身体に生真面目そうな顔立ちをしている。
普段カウティスがエルノートの側に付くときは、ノックスと一組で動くことが多かった。
オルセールス神殿で、聖女アナリナを迎え、馬車にエスコートする。
アナリナは月光神の祭服を着て、青銀の髪を後ろで編んでいる。
「先日は無理なお願いを聞いて頂き、ありがとうございました」
式典後は毎日忙しく、アナリナが水の精霊を降ろしてから、直接会うのは初めてだった。
アナリナは頷いた。
「セルフィーネは、元気ですか?」
まるで人間の友達を気遣うようで、精霊に対する言葉ではない気がするが、アナリナが口にすると自然だった。
「はい。今は南部へ行っております」
カウティスの言葉に、アナリナが眉を寄せる。
「また、セルフィーネをこき使ってるんですか?」
「こき使う……、そのようなことはありません」
カウティスが引きつった顔で答えた。
「ん? もしかして、あなたに合わせて南部へ行っているとか?」
「偶然です」
「ふう~ん」
黒曜の目を細めて、横目で見て笑うアナリナに、カウティスは辟易した。
南部へは十日の予定で向かう。
途中の街や村に寄って行くので、日を多めに予定していても、慌ただしい。
南部最大の街、エスクトに着いたらそこで五日滞在する予定だった。
城下に帰る復路まで加えると、約一月弱の旅程だ。
太陽神と月光神の神官が三人乗った馬車が先頭を行き、その後にアナリナが乗った馬車が続く。
その左右に、馬に乗ったカウティスとノックスが付き、後ろに荷馬車と兵士が続いた。
小さな村や町に神殿はない。
旅程の街道沿いの村や町に寄る度、アナリナや神官達は
時には子供達に神話を聞かせたり、村人に神の教えを説いたりした。
小さな村で休憩中に、カウティスとノックスが話していると、アナリナが赤い果実を持って来て、二人に差出す。
「村長さんに頂きました。カウティス王子とノックスも、はいどうぞ」
「聖女様、今回は護衛騎士として同行しています。“王子”はやめて頂けますか」
カウティスが言い辛そうに言う。
「ああ、そうでしたね。じゃあ、カウティス、ノックス、どうぞ」
周囲がざわついた。
ノックスが引きつった顔でカウティスを見る。
カウティスは王太子の近衛騎士になったが、王族であることに変わりはない。
王子を呼び捨てにするなんて、不敬だと捕まってもおかしくなかった。
だが、相手は世界で唯一人の聖女で、彼女を咎められる者はこの場にいない。
皆の注目を浴びている意味が分からず、キョトンとしているアナリナの手から、カウティスが果実を受け取る。
「ありがとうございます」
ひとつノックスに渡し、黙っておくよう目で合図した。
「よろしいのですか、カウティス様」
聖女と離れてから、ノックスが言う。
「彼女に他意はないんだ。護衛に付いた身で、こちらから敬称を付けろとは言えまい」
カウティスが苦笑交じりに言った。
旅の行程は順調に進み、四日目の夕の鐘が鳴る前には、南部で二番目の大きさの街、アドホに到着した。
今晩からここに滞在し、明後日の朝に出発する予定だ。
明日は重病の者や、怪我や病気の後遺症で苦しむ者達に、神殿で“神降ろし”が行われる予定だった。
告知されている旅程から外れた、近隣の町や村からも、“神降ろし”に縋るためにやって来る者がいるはずだ。
アドホの街のオルセールス神殿は、城下の神殿よりずっと小さかったが、基本的な造りは同じ様だった。
皆が荷解きをする中、女神官を連れて、アナリナが何処かへ行こうとする。
「同行します。何処へ行かれるのですか」
カウティスとノックスは、彼女の隣に行く。
「治療院です」
治療院は、神殿の隣に建っている建物だ。
予定では、移動続きで疲れているので、今日は休んで、明日治療院に神官が出向くことになっていた。
「明日の予定では?」
カウティスの問いに、アナリナは溜め息を付く。
「すぐそこに治せる者が居るのに、明日まで痛みに耐えろって、拷問でしょ?」
アナリナは、当然の事を聞くなと言うような顔で、カウティスを見上げた。
治療院では、病気や怪我をした患者に囲まれて、女神官とアナリナが神聖魔法を施す。
カウティスは、神官が傷を治すのを見たことがある。
それは不思議な光景だった。
“神の救い”と呼ばれるだけあって、時間が巻き戻るかのように傷が治っていくのだ。
女神官は、首から下げた銀の珠を左手で握り、右手をかざして、月光神に祈りを捧げている。
右手が、月光のような青白い光を薄く放ち、患者の膿んで傷んでいた傷口を、みるみる癒やしていく。
しかし、アナリナは違った。
祈りを捧げる様子もなく、寝台に横になる患者の側に行き、身体に手を添えて笑顔で雑談をしている。
いつか城下街に出た時に、露店の店主と話していたように。
そうして、次々患者の間を進むと、患者も気付かない内に治っているのだ。
カウティスは内心舌を巻く。
これが月光神に愛された、“聖女”というものなのか。
治療院の入口が騒がしい。
どうやら、聖女がこちらにいると聞いてやって来た者がいるようだ。
殆どの患者を診て終わったアナリナが、後は女神官に任せて立ち上がり、入口に向かおうとした。
治療院の責任者らしき男が、アナリナを止めた。
「あれは、貧民層の者です、聖女様」
アナリナが黒曜の瞳で睨んだ。
「それ、何か関係ありますか!」
怯んだ男を放置して、アナリナは入口に向かう。
入口では、薄汚れたシャツとズボンの少年が、治療院の職員に止められていたが、祭服のアナリナが出てくると職員を振り切って膝をついた。
「聖女様! 聖女様、どうか母さんを助けて下さい! 早くしないと死んじゃうよ!」
少年は切羽詰まった様子で、汚れた顔には涙の跡が幾筋もあった。
アナリナは少しも迷うことなく、少年の元に行く。
「案内して。カウティス、ノックス、一緒に来てくれますか」
二人は頷いてアナリナに続いた。
治療院から出て、市街地からどんどん街の外周へ進む。
裏道へ、裏道へと進めば、市街地との差は歴然としてくる。
建物は薄汚れ、どことなく据えた臭いが鼻を突く。
豊かだと思っていたネイクーン王国に、こんな場所があったのかと、カウティスは衝撃を受けた。
少年の家は、辛うじて家と呼べる形態をしていたが、
「母さん! 聖女様が来てくれたよ!」
少年が家に駆け込み、ノックスが先に入って、続いて息を切らしたアナリナが入った。
カウティスが最後に入ると、それだけでいっぱいになるほどの狭い一部屋だった。
壁際の寝台に、痩せこけた母親が寝ていた。
母親に縋る少年の隣に、滑り込むようにして、アナリナが触れる。
「早く母さんを助けて!」
だがアナリナは、それ以上動かない。
カウティスも、ノックスも動けなかった。
母親はどう見ても、もう息をしてはいなかった。
「聖女様!」
少年が涙を流して叫ぶ。
アナリナは唇を噛み、俯いた。
「……ごめんね。私でも、もう治してあげられない」
月光神の元に旅立った魂は、聖女にも降ろせない。
少年は涙に濡れた瞳を見開き、荒い呼吸を繰り返す。
「……うそつき。聖女様はどんな病気も治せるって、皆言ってたのに」
少年が、隣で膝をついて俯くアナリナを拳で打った。
「やめろ」
ノックスが少年を引き剥がす。
「母さんはさっきまで生きてたんだ! 何でだよ! 何でもっと早く来てくれなかったんだ!」
少年は泣き叫び、アナリナは俯いたまま動かない。
その少年の叫びに、カウティスは覚えがあった。
悲しみなのか、怒りなのか分からない。
抗うことのできない強大な力に押し流されて、理不尽な痛みに、苦しくて叫ばずにいられないのだ。
カウティスは膝を折る。
ノックスが捕まえている少年を引き寄せ、抱きしめた。
薄汚れた少年は、藻掻いて泣き叫びながらカウティスを拳で打ち、汚れた爪で彼を掻いて傷つける。
ノックスが止めたが、それでもカウティスは離さなかった。
歯を食いしばり、ただその叫びを聞いていた。
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