過去の影

火の季節前期月、三週四日。

昨日から、季節外れの雨が降り続いている。

式典は、三週目の最終日、明日だ。




聖女アナリナは、王城に来ていた。

前期月の終わりから南部に巡教に行く予定で、途中の村や町に滞在して活動する許可を取りに来たのだが、馬車を降りると、雨の中、前庭でカウティスが待ち構えていた。



「ひどい顔色ですね。水の精霊と、喧嘩しました?」

会った早々に、ズバリ直球で尋ねるアナリナに、カウティスはぐっと息を詰めて眉根を寄せる。

「してない。していないが……聖女様にお聞きしたいことが」

カウティスは、丁寧に立礼する。

アナリナは暫くカウティスを眺めていたが、青銀の髪を揺らして頷いた。

「いいですよ。中に入りましょう」



「それで、何を聞きたいんですか?」

王城の前広間から続く応接室に通され、緋色の豪華なソファに座るなり、アナリナが聞く。

雰囲気に棘がある。

「聖女様は、水の精霊を呼び出すことが出来るでしょうか」

カウティスが、アナリナの黒曜の瞳を見て言う。

いくら王族が呼んでも現れない水の精霊に、他に手段はないかと探した。

魔法が使えれば精霊を呼べるが、ネイクーン王国に魔法が使える者はいない。

水の精霊は月光神の眷族だ。

そこで、月光神の神官や司祭ならどうかと考えた。


思い詰めたようなカウティスの様子に、アナリナは小さく溜め息をつく。

青い糸で細かく刺繍された、白い祭服の袖を掴み、広げて見せる。

「一応、月光神の最高司祭で聖女なので、出来ますね」

「では! 呼び出して頂けないでしょうか」

アナリナは、前のめりになっているカウティスの額を力一杯押しやる。

部屋の外に出されている女神官が見たら、また倒れていたかもしれない。


「呼び出して、どうするつもりですか? 頼むんですか、王城に帰って来てくれって? 国の災厄から、民を守れって?」

カウティスは眉根を寄せる。

「……話したのですか?」

「話してません。でも、この国で水の精霊がどういう働きをしているかは、知っています。……彼女ずっと泣いてるんですよ」

アナリナには、水の精霊の声のような音のようなものが、ずっと聞こえている。

それは、とてもとても小さいが、アナリナの心はそれに引きずられて、自分の気持ちでないはずなのに、苦しくて苦しくて、寂しくてやりきれないのだ。


だから、腹が立つ。


アナリナは両手をギュッと握る。

「私、この国の水の精霊が好きだったんです。だって、他の国とは全然違う。貴方には見えないでしょうが、とっても綺麗な魔力が空に広がってるんです。きっと、水の精霊はネイクーン王国この国を大切に思ってるんだ、この国の人は、水の精霊をとっても大切にしてるんだって思ってました」

アナリナは顔を上げて、カウティスを大きな黒曜の瞳で睨んだ。

「カウティス王子に会って、水の精霊がどれだけ貴方を大切に思ってるか分かって感動したのに、どうしてこんなに苦しめてるの? 彼女、もう消えてしまいたいって、泣いてるの」

カウティスは衝撃を受ける。


アナリナはビシッとカウティスを指差した。

「何より腹が立つのは、それなのに貴方の周りだけ、物凄く綺麗な魔力が失くなってないってことよ!」

鼻息荒く言い切って、アナリナは肩の力を抜いた。

水の精霊の揺れる魔力に引っ張られて、ひどく感情的に捲し立てた事は分かっていた。

カウティスに護衛騎士が付いていたら、不敬だと取り押さえられたかもしれない。

カウティスは護衛騎士を付けない主義のようなので、助かった。



「……ごめんなさい。ちょっと、言い過ぎました」

少し落ち着いたアナリナが、ソファに倒れて息を吐いた。

顔色を失くしたカウティスが、掠れた声で言う。

「水の精霊は、本当に消えてしまいたいと願っているのか」

「……ええ。でも、王子の周りの魔力が少しも弱まってないのを見ると、未練があるんじゃないですか」

カウティスは拳を握り締める。

「頼む、セルフィーネに会わせてくれ」

「会ってどうするんですか。彼女が苦しんでいる理由は分かってますか? いたずらに呼び出しても、返って傷付けることにはならないんですか?」

アナリナは青銀の髪を揺らして首を振る。

カウティスは瞳の空色を強めて、自分の固く握った拳を見つめた。





昼の鐘が鳴り、自室に昼食を用意されても、口にする気にならない。

水だけ口にしていると、侍女のユリナがエルノートの来室を告げた。



「見て欲しいものがある」

エルノートは、純白のマントをなびかせて足早に入ってくると、人を下げて扉を締めた。

彼は机の上に、一冊の厚くて古い手記を置いた。

「これは?」

「王のみが見ることを許される、禁書庫の国史だ」

カウティスは思わず一歩下がる。

「そんな物を持ち出したりして、大丈夫なのですか?」

「そなたと私が明かさなければ、誰にも分からない」

エルノートは事もなげに言うと、ページを捲る。

「十八代アブハスト王。そなたはどれ程知っている?」


ここにきて、二日続けてその名を聞く。

何かの符号のような気がした。

「水の精霊の人形ひとがたを造った偉大な魔術士で、魔術に傾倒して国政を疎かにし、臣によって討たれたと学びました」

子供の頃、王国の歴史で学んだ。

エルノートは、見慣れない鈍く光る金の指輪をはめた指で、トントンと開いたページを叩いた。

「ここに、彼について書かれている。読んでみろカウティス」

カウティスは、何故エルノートがこれを見せようとするのか分からなかったが、机に近付き読み始めた。

そこに書かれてあったのは、彼が政変によって討たれるまでの事だった。




約三百年前、十八代国王のアブハストは、自らの魔術で水の精霊に姿と声を与える。

初めは、水の精霊を、目に見えて意思の疎通が出来る存在にするためだった。

だが彼の理想を反映して造られた人形ひとがたは、想像以上の清らかさと美しさで、彼の心を捉えてしまう。

彼は水の精霊に名を与え、彼と水の精霊だけの庭園を作り、日々の大半をそこで過ごすようになった。

その後、実体になることを望む水の精霊に肉体を与えるべく、国費を費やし魔術実験に明け暮れ、国政を疎かにし、臣に討たれる。

手記には、水の精霊は偉大な国王を惑わせた魔性の人形ひとがたであり、王の付けた“セルフィーネ”という名を使うことを禁ずる旨が書かれ、締め括られていた。



カウティスは本を閉じて呟く。

「ありえない……」

水の精霊が実体を望んで、人を惑わすなど、信じられたものではない。

「父上はこれを読んでいたから、水の精霊様に、そなたをアブハスト王と同じ道に連れて行くなと仰ったそうだ」

カウティスは目を閉じ、拳を握った。


「水の精霊様は、そなたをアブハスト王と同じ目に合わせたくなくて、そなたから離れようとしているのかもしれないぞ」

エルノートは静かに言って、バルコニーへと続くガラス戸を見る。

外ではまだ、雨が太陽の光でキラキラと輝いて見える。

「どうする、カウティス」

エルノートは腕を組み、俯いている弟を見た。

カウティスは大きく息を吸うと、目を開く。

「……取り戻します」

その青空色の瞳には、強い光が宿っている。





オルセールス神殿は、二つの建物が繋がっている。

東側が太陽神殿、西側が月光神殿だ。

日の入りの鐘が鳴って半刻程経ち、空には月が輝いているが、それでもサラサラと雨音が続いていた。



月光神殿の祭壇には、月輪を背負った静謐な月光神の像が立つ。

その前には、月光神の眷族である水の精霊の銀の水盆と、土の精霊の銀の稲穂が置かれてある。


聖女アナリナは、銀の水盆に、手にしていた聖水を満たした。

そして深呼吸を二度すると、目を閉じる。


周囲の魔力が集まり、アナリナの頭から爪先にかけて、一本の針を突き刺すような痛みが走った。

軋むほど歯を食いしばり、痛みに耐える。

脂汗が流れ、体温は下がり、息が苦しい。


唐突に痛みが去り、呼吸が楽になると、その場に膝を付いて喘いだ。

脂汗を流しながら顔を上げた先に、水盆に立つ水の精霊の姿があった。


「……水の精霊、つーかまーえた」

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