聖女の息抜き (前編)

もうすぐ午後の二の鐘が鳴る。


大通りを二人の若者が歩いている。

通りの両側には大型の店舗が並び、馬車が通りの中央を行き来する。

二人は、馬車道と店舗の間にある、歩道を歩いていた。


背の低い方の若者は、髪の毛を全て覆う形の、白布の丸いひしゃげた帽子を被り、成人前の平民がよく着る、簡素なシャツと短いベストを着けている。

下は、裾の広がったズボンを履いていて、女性のようだった。

背の高い方は男性で、南部の砂漠でよく見る、深いフード付きのケープを着ている。

ケープの下に見える服装から、兵士のようだった。




暫く大通りを歩くと、二人は一本裏の道に入る。

表通りよりは道幅が狭く、馬車は通らないので多くの露天が並んでいた。

夕飯時に合わせて、食事処も準備がされていて、辺りは美味しそうな匂いが漂う。

二人の内の女性の方が、露天でタレがたっぷりかかった串焼きを二本買った。

「はい、一本どうぞ!」

振り返った彼女の瞳は、大きな黒曜のようだ。

串焼きを突き出された方の男性は、困惑顔で青空色の瞳を瞬く。

聖女アナリナとカウティスだった。





聖女アナリナは、少しでいいので一人で街に出たいと前々から主張していた。

神殿関係者が付いて出ると、好きなように街を見て歩けないらしい。

しかし、聖女ともなると、易々と一人歩きもさせられないのだ。

今回、エルノート王太子に援護してもらい、王城の護衛騎士を一人付け、夕の鐘までという条件で、女神官がしぶしぶ折れた。

そこでアナリナは、カウティスを護衛に指名したのだった。


王子を護衛になんて、と女神官がまた倒れそうになったが、先に腕の青あざを見せてお願いされていたカウティスが了承した。

そうして二人は、平民の様相で街に出たのだった。





「タレが垂れちゃいます、早く持って持って」

アナリナが急かすので、カウティスは仕方なく串焼きを受け取る。

アナリナは自分が手にしている串焼きに、大きな口を開けてかぶりついた。

「ん~~、この味。懐かし!」

口元にタレを付けて、幸せそうにもぐもぐしていたが、カウティスが食べていないのに気付いた。

「早く食べないと、冷めちゃいますよ」

「……私は結構ですが」

アナリナは驚いたように目を見開く。

「まさか、持たせただけだと思ってます? 一緒に食べるから二本買ったのに」

今度はカウティスが驚く。

まさか、女性に買って与えられるとは。

「もう~、これじゃカウティス王子を指名した意味がないじゃないですか。辺境で兵士をしていた王子なら、こういう事にも付き合ってくれると思ったのに……」

アナリナが眉を寄せて、タレの付いた口を尖らせた。

平民出身の彼女には、こういう食べ物がとても懐かしいらしい。


まだ食べるのを躊躇っているカウティスに、左の二の腕を、串焼きで指し示す。

「ああっ、まだ痛いです」

「……はあ」

カウティスは溜め息をついて、辺境で兵士に交じっていた時のように、串焼きにかじりついた。

確かに、兄の護衛騎士では、誰もこれに付き合えまい。

アナリナは串焼きを食べたカウティスを見て、満足そうに笑った。




アナリナがあちこち見て回り、露店の店主と雑談して笑っている。

「聖女様は、こういうことがしたかったのですか?」

露店を離れたところで、カウティスは聞いた。

アナリナは立ち止まってカウティスを見る。

「アナリナって呼んで下さい。皆が“聖女”とばかり呼ぶので、自分の名前を忘れそうです」

「……アナリナ様は、こういうことがしたかったのですか?」

言い直したカウティスを、まだアナリナはじっと見つめる。

「“様”はいらないです。それに、兵士の格好なんですから、平民っぽく喋ってください」

「さすがにそれは」

「いいじゃないですか、たった鐘一つ分の自由です。王子も息抜きですよ。…………あ~、まだ腕が痛い」

「分かった! 分かったから」

カウティスが片手で額を押さえた。

アナリナはニンマリ笑う。

「じゃあ、私も王子を名前で呼んでもいいですか?」

「ああ」

半分諦め顔のカウティスが了承すると、アナリナは跳ねるように次の露店へ向かう。

「カウティス、こっちこっち!」

「よ、呼び捨てか……」

家族と水の精霊以外に、呼び捨てになどされたことがない。


痛い頭を抱えて、カウティスは彼女に続いた。





露店を巡って、中央広場に出た。

ここに来るのは、子供の頃、収穫祭の時に訪れて以来だ。

一緒に来たのは、当時の魔術師長クイードと、護衛騎士のエルドだった。

思い出して、胸に苦いものが込み上げる。


広場の中央に一段高い台があり、四方に向かって四体の精霊像が立っていた。


剛健な火の精霊の男像。

ふくよかな土の精霊の男像。

涼やかな風の精霊の女像。

優しげな水の精霊の女像。


アナリナは、精霊像に近寄って眺める。

「ふぅん。ネイクーン王国では、こんな感じなんだ」

カウティスは精霊像から目を離した。

精霊像は造り手の想像で決まるので、国によって顔も姿も様々だ。

「アナリナの祖国は何処なんだ?」

「ザクバラ国です」

彼女は自分の黒曜の瞳を指差す。

黒い目と髪は、ザクバラ国出身の者に多い特徴だ。

「聖女になる前は、髪も黒かったんですよ」

アナリナは、四体の精霊像の周りを歩きながら、笑う。

「フォグマ山が噴火して、ベリウム川が酷いことになって、それでまた争ったでしょう」


フォグマ山の噴火に伴い、北部に続く深刻な被害を受けたのがベリウム川周辺地域だった。

灰や毒素を含む水が流れ、水の精霊が眠った為に、下流では大規模な氾濫が起こった。

下流に位置するザクバラ国は、これをネイクーン王国の責任だとして、賠償を請求する。

それが発端で、国境付近で小競り合いが始まり、何度か大きく衝突していた。

カウティスが成人した頃には、川の水質が戻り、氾濫も収まったので徐々に休戦状態になったが、国家間の協議は今も続いている。


「その争いの中で、私は“神降ろし”をして聖女になりました」

彼女は左腕の袖を捲くる。

その白い二の腕には、カウティスが付けた青あざがある。

「綺麗なものでしょ」

「本当にすまないと……」

アナリナが腕を示すので、カウティスは恐縮しながら謝罪するが、アナリナはキョトンとした顔をしてから、ああ、と笑う。

「ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて。ほら、この腕、傷痕なんてないでしょ。でも、本当は六年前、兵士にざっくり斬られたんですよ」

カウティスは眉根を寄せて、アナリナの白い腕を見直した。

そこにはカウティスの付けた青あざ以外、ほんの小さな傷痕もない。



アナリナの故郷は、ネイクーン王国とザクバラ国の国境近くだった。

ベリウム川の度重なる氾濫で、住むところをなくし、川から離れた村で避難生活を強いられた。

それでも仲間で助け合い、何とか暮らしていたが、とうとうその村にも兵士達がやって来る。


月光冴え渡る夜。

その兵士達は、自国ザクバラの兵士だった。

しかし、ネイクーンとの戦いに敗れて逃走中だった兵士達は、村の僅かな物資を略奪する。

抵抗した村人に暴力をふるい、それでも引かないと見ると、剣を抜いた。

アナリナは左腕を斬られ、父は彼女を庇って目の前で刺された。



アナリナは袖を戻しながら、昏い瞳で精霊像を見つめる。

「私は、月光神を呪ったんですよ。どうしてこんな目にあわなければならないのか、私達が一体何をしたんだって」


身体中が痛み、血と泥と涙にまみれ、仲間達の叫びを聞きながら、アナリナは吠えた。

何故、私達が命を奪われる。

一体、何がいけなかったのか。

こんな目に合うために、私達は生まれてきたのか。

返せ! 私から奪った全てを!

言い様のない怒りと悲しみが、身体が裂けるような痛みと共に叫びになって出てくる。


『 月光神! 貴女はそこで何をしているのっ! 』


全ての力を吐き出して月に向かって叫んだ時、彼女の脳天に、一本の鋭い針を指したような、激しい痛みが落ちてきた。




「気が付いたら、兵士達は皆倒れていて。父も、怪我をした村人も皆、怪我が治っていて。私は聖女になりました」

“これで、お話はおしまい”と、子供の読む物語を閉じるように、アナリナは昔話を締め括った。


「皮肉だと思いませんか? 自国の兵士によって生み出された“聖女”が、敵国の王子の病を治すなんて」

肩を竦めて微笑む彼女の瞳は、何処か遠くを見ていた。





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