父母の思い
エルノートとカウティスが王の執務室に入ると、中では宰相のセシウムが、既に何かの書類を整えていた。
続き間の扉が開け放たれていて、侍従が細々としたものを運び入れている。
エルノートは王と少し話し、そちらへ入って行った。
王がマントを外して侍従に渡しながら、カウティスに声を掛けた。
「昨夜はよく眠れたか?」
「はい」
日の出の鐘が鳴るまで気付かず寝ていたなど、一体いつぶりだろうか。
「そうか、それは良かった」
王は革張りの椅子にドッカリと座ると、青空色の瞳で、じっとカウティスを見る。
「何故マントを着けない。用意するよう伝えたはずだが」
式祭典以外で、王城内で丈の長いマントを着けるのは、王族の成人男性だけに許されている。
王は侍従にすぐ用意するよう指示する。
「必ず着用せよ」
「……はい、父上」
「ところで、一昨日水の精霊が戻った際、恐慌状態に陥って城は大騒ぎになったのだが」
「恐慌状態? 何があったのですか」
カウティスが表情を険しくする。
「それは私が聞きたいことだ。あの場に居合わせた聖女の言うことには、水の精霊は、そなたが国内に見つからないので捜し回っていたとか」
恐慌状態の水の精霊のせいで、王城の井戸は一時水位が極端に下がり、水瓶は割れ、噴水は水を吹き上げ、あらゆるところで騒ぎになったらしい。
おかげで、水の精霊の帰還を、いち早く城中の者が知ることになった。
「それで、その時そなたは何処にいたのだ」
王が目を細める。
「…………国境を越えて、隣国におりました」
「……そんな許可は与えた覚えがないのだが」
カウティスは事情を説明する。
王が深い深い溜め息をついた。
「そなたは我が国に出没した魔獣討伐に赴いたはずなのに、何をしているのだ」
「……申し訳ありません」
王は、言い訳をしないで立っているカウティスを見る。
理不尽な悪意に晒され、辛い思いも随分してきたはずなのに、目の前に困った者がいれば放っておけない、そんな優しい息子を誇らしく思う。
しかし。
「魔獣討伐はもう良い。そなたは今日より王城に留まれ。南の辺境警備には、別の騎士を隊長として派遣する」
カウティスが眉を寄せる。
「お待ち下さい。まだ向こうでやるべきことは残っています」
「それは他の者がやる。そなたは騎士団に復帰せよ。近く、王太子専属の近衛隊を作る。そなたはそこに就ける」
王がセシウムから書類を受け取る。
話を終えようとする王を見て、カウティスは執務机に手を付いた。
「父上、辺境には魔獣が頻繁に現れるようになっています。今離れることは出来ません」
水の精霊が眠っていた十三年の間に、辺境には何処からか魔獣が出没することが増えた。
大陸中を鑑みても、今までネイクーン王国は魔獣の出没頻度が低かったので、これにも水の精霊の護りが影響していたことが分かる。
「水の精霊が戻ったのだ、少しずつ減っていくだろう」
王は手元から顔を上げない。
「父上!」
「そもそも魔獣討伐は、王子のそなたがすべきことではない!」
王が書類をパシリと叩いて顔を上げた。
カウティスと同じ色の瞳が、圧を強める。
カウティスは奥歯を噛み締めた。
一度目を閉じて、もう一度開けると、曇りのない青空色の瞳で、父王を見つめる。
「民の為に戦うことが、王族のすべき事ではないとは思いません。私には、戦うに足る力があったから、それを国の力として使っているだけです」
机から手を離し、姿勢を正す。
「水の精霊に頼るだけの王子でいたくありません。
カウティスは胸に手を当て立礼すると、踵を返した。
「辺境に戻ることは許さん」
背後から王の固い声が掛けられれた。
肩越しに振り返ると、王が苦痛に歪んだ顔でカウティスを見つめている。
「……そなたが討伐で怪我を負ったと知る度、どれ程胸が潰れる思いだったか。十三年間、水の精霊の帰りを待っていたのは、そなただけではない」
王として、息子を守ることよりも国をまとめることを優先した。
だが、カウティスを守りきれず、辺境に出さざるを得なかった己が恨めしかった。
カウティスが自ら兵士と同じ待遇を望んだと聞き、彼の重圧を取り除いてやれない不甲斐なさに苦悩した。
勝手かもしれない。
それでも、ようやく手の中に戻ってきた我が子を、再び危険な地に送り出すことは出来ない。
「父と母を、これ以上悲しませるな」
絞り出した父の言葉に、カウティスは答えることが出来なかった。
内庭園に降りると、フェリシアとセイジェの侍女が控えているのが見えた。
どうやら二人は、庭園を散策中のようだ。
セイジェの侍女の中には、乳母もいた。
幼い頃から度々体調を崩していたセイジェは、彼の身体のことを一番良く知る乳母を付けたままだった。
カウティスは邪魔をしないよう、庭園と温室を大きく迂回して、泉の庭園に向かった。
泉の庭園への小道は、花壇が白く小さな花で一杯で、風で揺れる様が美しい。
大人になって、改めて明るい中で見ると、この庭園はとても小さくて、何かを隠すために造られたように思えた。
カウティスが庭園に入ると、泉の水が盛り上がり、小さな水柱が出来る。
そこにガラス人形のような、美しい水の精霊が姿を現し、カウティスを認めると、魂が吹き込まれるように柔らかい表情に変わる。
「カウティス」
この声で名を呼ばれることが嬉しく、自然とカウティスも微笑んだ。
泉の縁まで近付くと、水の精霊が言う。
「背が伸びたな」
「まあ、十三年も経ったからな」
カウティスが軽く笑う。
「そなたがゆっくり大人になるのを見るつもりだったが、見損ねたな」
彼女の細く長い水色の髪が、サラサラと揺れる。
カウティスは躊躇うことなく手を伸ばし、あの頃願ったように、彼女の髪先に触れた。
「俺は、早く大人になりたかったよ」
カウティスの手には何の感触もなかったが、彼女の髪先が掌の上で揺れていることが嬉しかった。
水の精霊が、カウティスの青空色の瞳を見つめる。
「浮かない顔だ。何かあったか?」
カウティスは自嘲気味に笑うと、泉の縁に腰を下ろし、先程の執務室での遣り取りを話した。
カウティスはすっかり大人になったつもりだったが、父や母の気持ちを推し量れてはいなかったのだと気付いた。
一昨日からの事といい、思っていたより、自分はまだまだ子供かもしれない。
「何故そなたが、辺境に行くことになったのだ。この十三年間、どう過ごしたのか聞いても良いか?」
水の精霊がカウティスの側に座る。
紫水晶の瞳が、彼を静かに見つめた。
カウティスは暫く考えてから、水の精霊が眠っていた十三年間の事を話した。
水の精霊がいなくなった後、なかなか体調が回復しなくて、剣の腕が落ちたこと。
皇国の学園での生活。
無我夢中で剣術を鍛え、
姉のフレイア第一王女が、大恋愛の末に、大陸最北端のフォーラス王国に嫁いだこと。
辺境地域を巡り、魔獣討伐を行ってきたこと。
辛かったことはできるだけ避け、事実だけを端的に話した。
「そうか……」
水の精霊はそれ以上何も言わなかった。
カウティスが特に説明しなくても、彼が辛い少年時代を送った事は、容易に想像できた。
だがそれを掘り返しても、意味はない。
過ぎた時には、どうやっても寄り添えないのだから。
水の精霊は手を伸ばすと、カウティスの陽に焼けた頬に細い指を添わせる。
「セルフィーネ」
彼女の紫水晶の瞳が、カウティスを映している。
彼女のものよりも大きくなった手で、カウティスは彼女の白い手を包んだ。
過去ではなく、今、そしてこれから先に添えることが、何より大事だった。
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