家族の朝食
カウティスは大食堂へ向かう廊下で、躊躇って立ち止まる。
自室で朝食を摂るつもりだったが、朝は大食堂で皆に顔を見せるように、と王から通達された。
ユリナに準備されたのは、昨日まで着ていた辺境の兵士服ではなく、詰襟の騎士服だ。
藍色に白い刺繍がされてある。
合わせてマントも用意されていたが、身に付けなかった。
「カウティス兄上!」
声を掛けられて振り返ると、喜色を浮かべたセイジェが駆け寄る。
ふわふわと柔らかい蜂蜜色の長い髪を後ろで束ね、濃い蜂蜜色の瞳を優しく細めると、その美しい顔立ちは亡くなったエレイシア王妃によく似ている。
セイジェは手足が長く、肌は白く指も細い。
ふわりと微笑んで立っていると、子供の読む物語の挿絵から、そのまま王子が出てきたようだった。
「おかえりなさい、兄上!」
「セイジェ、久しぶりだ。体調はどうだ?」
「ええ、すっかり良くなりました」
セイジェはニッコリと笑う。
幼い頃から身体の弱かったセイジェは、数年前、エレイシア王妃が亡くなった原因と同じ病にかかり、闘病生活を続けていた。
昨年の風の季節に、聖女アナリナがネイクーン王国を訪れ、彼女の行う“神降ろし”によって快癒していた。
弟の元気そうな笑顔を見たのも久しぶりで、カウティスは嬉しかった。
そのまま話しながら、二人で一緒に大食堂に入った。
大食堂には、上座に王が座り、右手に王太子エルノート、王太子妃フェリシア、第三王子セイジェが座る。
左手に、王妃の席を空けて、側妃マレリィとカウティスが座った。
「カウティスが戻り、久しぶりに家族が集まったな」
王が食堂を見回す。
「エレイシアがいれば、喜んだことだろう」
彼が空席を愛おしそうに見れば、マレリィはそっと目を伏せた。
「皆知っての通り、一昨日、水の精霊が戻った。既に各地の貴族には伝わっているだろう。暫くは王城も騒がしくなる」
食事もあらかた終わり、給仕が食後のお茶を運ぶ頃、王が皆の顔を見て言った。
「エルノートは、本日の政務より私の執務室の続き間に移れ」
「はい、父上」
エルノートは少しも動じず、了承する。
セイジェが驚いた顔をして、腰を浮かす。
「父上、譲位なさるのですか?」
「今すぐのことではない。だが、水の精霊が戻れば、そうするべきだと思っていた」
王が一口お茶を飲む。
「問題山積のまま、エルノートに継がせるのは本意ではないからな、これから手を尽くさねばならん。良いな、エルノート」
「精一杯務めます」
とっくに覚悟は出来ている様子で、エルノートは頷いた。
王が席を立つ。
「カウティスもこの後、執務室に。マレリィ、王太子妃の教育を急ぐように」
「承知いたしました」
マレリィが答え、王が扉を出ると、エルノートとカウティスも席を立つ。
エルノートは隣の席に座る、王太子妃のフェリシアを見下ろす形で、彼女を見た。
フェリシアは赤褐色の丸い瞳で、薄く微笑んでエルノートを見上げる。
「聞いての通りだ。貴女も覚悟をお決めなさい」
エルノートの言葉に、フェリシアの微笑が消え、壁際に控えていた彼女の侍女が高い声を上げる。
「皇女様に、なんと無礼な……」
「誰の許可を得て口を挟んでいる」
エルノートが侍女に、薄青の冷えた視線を向ける。
その冷たい圧力に、侍女が竦んで言葉を失う。
「輿入れして早二年、いつまでも皇女気分では困る。この国の王妃になるつもりがあるのなら、そろそろ幼子のような甘えは捨てなさい」
エルノートは言い捨て、扉を出て行く。
カウティスも、先に席を立つ挨拶をして扉を出た。
残されたフェリシアは顔色を失くし、小さく震えている。
マレリィは立ち上がり、フェリシアに声を掛ける。
「フェリシア妃、共に参りましょう」
「……気分が悪いので、講義は休みます」
フェリシアは顔を上げず、固い声で答えた。
マレリィは漆黒の美しい眉を下げる。
フェリシアの王妃教育は遅々として進んでいない。
彼女は国政はおろか、王城内の事にさえ殆ど興味を示さなかった。
エルノートがフルブレスカ魔法皇国の皇立学園に在学中、皇国の高位貴族の目に留まり、そこから彼の名が皇帝の耳に入ることとなった。
皇帝はエルノートを気に入り、皇国に縁付けようとしたが、既に彼は母国で王太子に確定していたために、皇女を娶らせることにした。
それがフェリシア第六皇女だ。
フルブレスカ魔法皇国の第六皇女として生まれたフェリシアは、幼少の頃より不自由な事など何もなく、蝶よ花よと甘やかされて育ってきた。
辺境の小国に嫁ぐなど嫌でたまらなかったが、何度か顔を合わせた見目麗しい
しかし現実は、彼女の思い通りにはならず、日々の王妃教育と慣れない他国の様式、そしてフォグマ山噴火の過去に続く災害や困窮の噂に、すぐに嫌気が差した。
そして何より、夫となったエルノートには少しも甘やかなところがなく、彼女ではなく常に国と民を優先することが、彼女には耐えられなかった。
「国民に愛される王妃になるには、もう少し、努力なさらねば。私もお手伝い致しますので……」
マレリィが静かに声を掛ける。
「側妃の貴女に、何が分かると言うの!」
フェリシアがマレリィを睨みつけた。
皇女のフェリシアにとって、夫の母でもない側妃など、教えを請うべき者ではない。
マレリィはフェリシアの態度に、僅かにも表情を変えない。
それがまた、フェリシアには気に入らなかった。
「ああ、そうだ。内庭園の蕾が、そろそろ開いているかもしれません」
のんびりとした声を上げたのは、フェリシアの隣に座っていたセイジェだ。
柔らかい笑みを浮かべて、フェリシアの方を向く。
「今から見に行きませんか、義姉上。朝露に濡れた花は美しいですよ」
そして、立ち上がる。
「マレリィ様、義姉上と庭園を散歩してきます。気分が変われば、講義にも向かわれるでしょう。ねえ、義姉上」
微笑んで美しい仕草で手を差し出されると、尖っていた心が不思議と和らいだ。
「……そう致します」
フェリシアはそっとセイジェの手を取った。
「良かったのですか?」
王の執務室へと向かいながら、カウティスはエルノートに話しかけた。
「何のことだ?」
「先程の、王太子妃様のことです」
エルノートは小さく溜め息を付いた。
その薄青の瞳には冷たい色しかない。
「お飾りの王妃では、民の為にならない。彼女もそのくらいは分かるはずだ」
兄は昔から、努力する者には優しいが、自分の責務を疎かにする者にはとても厳しい。
どうやら、夫婦間は上手くいってなさそうだった。
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