第二王子の帰城

日の入りの鐘も鳴った後、王の執務室で、カウティスは王の前に立っていた。


王の後ろには宰相セシウムが控え、右手には王太子エルノート、左手には騎士団長バルシャークと魔術師長ミルガン。

そして、後ろには側妃マレリィが立つ。

完全に囲まれた状態だ。




王が執務机に肘を付き、手に顎を乗せ、上目にカウティスを睨む。

「そなた、帰城命令を出した私を無視し、帰城報告する前に水の精霊に会いに行ったな」

「…………………………申し訳ありません」

カウティスは目を閉じたまま、謝罪する。


落ち着いて思い返してみれば、エスクト砂漠で水の精霊の目覚めを知った後からの自分の行動が、かなり自分勝手で恥ずかしいものだったのでは……、と思い至り、冷や汗をかいているところだ。

目を開けるのが恐ろしい。


「王よ、カウティスのせいではない。私のせいだ。すまない」

水の精霊の声がする。

カウティスが目を開けると、窓際に置かれてある銀の水盆に、小さく水柱が立っていて、うっすらと水の精霊の姿が見えた。

真っ直ぐに立っていて動かないが、僅かに俯いている。

カウティスが水盆に向かって首を振った。

「違う、俺が……私が自分勝手な行動を取ったのだ。決してそなたのせいでは……」

「あー……」

カウティスの言葉を、王が額を押さえて遮った。

「そういう、付き合いたての恋人同士のようなやり取りは、親の前でしてくれるな」

「……恋人同士……」

カウティスがぱしりと口を押さえる。

「そこに反応するな!」

王の突っ込みに、周囲は唖然としているし、マレリィは気まずそうに目線を逸らす。


エルノートが堪えきれずに笑い出した。

笑い出すと止まらない。

笑い続ける兄に、カウティスがどうしたら良いか分からず戸惑っていると、涙が滲んだエルノートが言う。

「そなたと父上の、そういう顔を見るのは本当に久しぶりだ」

そして、不意にカウティスを抱き締めた。

「おかえり、カウティス」

「兄上……」

兄の肩越しに見える水の精霊が微笑んだ。


王が不満気に眉を寄せて言う。

「エルノートよ、そなたはいつも、私がしたいと思う事を横取りするな」

カウティスから離れたエルノートが、カウティスと顔を見合わせて、久しぶりに二人は一緒に笑った。



「カウティス王子、よくここまで耐えてこられましたな」

騎士団長バルシャークが、陽に焼けた顔を震わせる。

マレリィは、カウティスの骨ばった手を両手で包んだ。

「お帰りなさい、カウティス……」




フォグマ山が噴火してからの四年間は、カウティスにとって辛いものだった。

地震は収まっても、それに続く災害に、各地から水の精霊への救済を求める声が届くが、それに応えることができない。

水の精霊はフォグマ山を鎮めるために向かったのだと説いても、カウティスが『行くな!』と泣き叫んだ事実が広まり、実は水の精霊は第二王子を見限って国を去ったのではと噂された。

元々ザクバラの血を引く王子として、色眼鏡で見られていたカウティスは、偏見が増長されるままにフルブレスカ魔法皇国への留学期間に入る。

そして、在学中に王妃が病で亡くなったことで、更に反感が強まった。

マレリィは、自身が王妃の座に上ることを拒んだが、擁護してくれる王妃がいなくなったことで、王妃派の貴族達がカウティスの廃嫡を望んだ。


卒業後、カウティスは騎士団の所属となるが、その殆どが貴族で構成される騎士団では、孤立するだけだった。

これ以上の諍いの種になるのを避けるため、カウティスは18歳になってすぐ、自ら辺境警備へ赴いたのだった。





今後の事は、明日以降に話し合うことにして、とにかく今夜は休めと部屋を出された。

躊躇いながら自室に向かうと、突然帰って来たというのに、部屋は整えられ、軽食と湯浴みの準備がされている。

侍女のユリナが微笑んで待っていた。

「おかえりなさいませ、カウティス王子。お戻りをお待ちしておりました」

自室にゆっくり戻るのは、実に三年半振りだ。

王城に呼び出されることがあっても、夜はずっと、城下の宿で寝泊まりしていた。


成人すると、男性王族は侍女を一人二人残して、後は侍従に切り替える。

18歳から辺境警備に出たカウティスは、王城にいることが殆どなくなったので、侍女も侍従も全て放そうとした。

だがユリナだけは、カウティスの専属でいることを希望し、彼が王城にいない間は別の部署で働いていた。

今日、カウティスの部屋を整えてくれたのは、殆どユリナがしてくれたはずだ。


「水の精霊様のご無事のお戻りも、嬉しく思います」

ユリナが目を潤ませてカウティスを見る。

「……ありがとう、ユリナ」

ユリナはカウティスの一番辛い時期に、側で支えてくれた者の一人だった。




湯浴みを済ませ、用意してくれた軽食を食べ、疲れた身体を寝台に横たえる。

ここ最近は、砂の上に寝床を設えて寝ていたので、身体が沈み込むような柔らかい寝床は返って落ち着かなかった。

昨夜は結局一睡も出来なかったし、横になればすぐに眠れるだろうと思ったのに、気が昂ぶったままなのか、少しも眠気がこない。


カウティスは身を起こし、寝台の端に腰掛ける。

水でも飲もうとグラスを手にして、ふと、バルコニーに続くガラスの扉を見た。

月は今日も雲で覆われていて、外は薄暗い。

しかし、王城には各所に魔術ランプが灯されているので、砂漠の夜の様には暗くなかった。


グラスを片手にバルコニーに出る。

月明かりもないのに、何をやってるんだと思いながらも、カウティスはグラスを掲げて呼んでみる。

「セルフィーネ」

グラスの水は、ほんの僅かに揺れた。

「……どうした?」

水の精霊の姿は見えず、グラスの水から水柱が立ち上がることもない。

それでも確かに、水の精霊の声だった。

「……夢じゃないな」

「夢ではない」

不明瞭だが、とても優しい声だった。



ああ、そうか。

眠れないのではなく、眠ったら全て夢だったことになりそうで、怖かったのか。

カウティスは自嘲気味に笑った。



「もう眠れ。人間は休まなければ生きていけないのだろう」

「すまない。そなたに会いたくて、呼んでしまった」

侘びて、カウティスは部屋の中に戻る。


水の精霊が、そっと小さな声で言った。

「……グラスを寝台の側に置いて欲しい。……朝までそなたの側にいる」

カウティスは首を横に振る。

「俺の我儘だった。セルフィーネも回復しなければならないと言っていたのに」

月光のない夜では、水の精霊が消耗するばかりになってしまう。

それなのに呼んでしまった。


「今夜は、カウティスの側にいたい……。駄目だろうか」

カウティスは息を呑む。

姿は見えないのに、その声だけで彼女の切ない表情が見えたようで、カウティスはグラスを持っていない方の手で、顔を覆った。

そんなふうに言われて、断れるはずがない。



寝台横の小さな机にグラスを置き、カウティスは横になった。

サラサラと、何処からか静かな水音が聞こえる気がする。


安らかな心地で、夢も見ず深い眠りにつき、日の出の鐘が鳴るまで、カウティスは一度も目を覚まさなかった。




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