再会

生温い風が吹いてゆく。

辺りを包んでいた不思議な気配は消え、普段のオアシスに戻った。

薄闇に返った水の湧き出る泉を前に、カウティスは右手を宙に伸ばしたまま立ち尽くしていた。


確かに、水の精霊だった。

……それとも、会いたいと願いすぎて、幻を見たのか。




「水の精霊様が、戻って来られた……」

後ろで、小さくマルクが呟いた。

頭が痛い程の音は消えていて、ようやく両手を耳から下ろした。

カウティスは勢いよく振り向くと、座り込んでいるマルクに詰め寄る。

「それは確かか!?」

「え? は、はい。王子の周りに魔力が強く残ってます……」

不安定だが、辺りに水の精霊の魔力を感じる。

それに、カウティスが身体に纏う魔力が、水の精霊の帰還を示している。

元々、カウティスの身体はずっと水の精霊の魔力が薄く包んでいたが、今ははっきりしている。

さっきのように、カウティスを覆い隠すようなものではなく、水色と紫が薄く薄く重なり合って揺蕩う、美しい魔力だ。

マルクはぼんやりと見惚れて、“隊長”呼びから“王子”に戻ってしまったのにも気付かない。



「すぐに王城に戻る」

カウティスは立ち上がって、落としていた荷物を拾うと、水袋を出して湧き水を補充し始めた。

三人は我に返る。

「ちょっと待って下さい、隊長。今からは無理でしょう」

パリスがカウティスを止める。

マルクも急いで立ち上がり、砂を払う。

「そうですよ。第一、討伐報告だってまだ……」

「俺一人で戻る。ラードとパリスは明日ギルドに戻れ。報酬は予定通りに支払うから心配するな。報告はマルクに任せる」

カウティスは顔も上げずに指示を出し、荷物をまとめようとする。

「待って下さい、王子。いくらなんでも無理……」

「無理でも何でもいい!」

マルクの言葉を遮って、カウティスが大声で言った。

唖然とするパリスとマルクを置いて、荷物を背負う。




「マルク、北のオアシスにいる部隊に、日の出の時刻に馬を二頭準備するよう伝達しろ」

今まで何も言わなかったラードが、パリスの後ろから突然言った。

「王城までの拠点の街に、全部同じように伝達しておけ。水と携帯食も二人分準備させろ。パリスとマルクは、明日エスクトの街に戻って、その後マルクは討伐報告だ」


指示を出し始めたラードを、カウティスが睨む。

「ラード、何のつもりだ」

「日の出前に出発しましょう。そのくらいの明るさなら走れる。馬を乗り継げは、明日の夕の鐘には王城に着けますよ」

ラードはカウティスの背負っている荷物を取り上げる。

カウティスは怒りを露わにする。

「俺は今から帰城するんだ!」

「無理です」

ラードは一言で切り捨てた。

灰色の瞳は真剣で、普段の軽い雰囲気は鳴りを潜めている。

「馬も人も、食って休まなけりゃ走れません。ましてやこの空だ。王子一人、砂漠で遭難するつもりですか?」

ラードが顎をしゃくって空を示す。

月は雲で覆われ、辺りは薄闇、星も見えない。


カウティスはそれでも何か言おうと口を開いたが、ラードの正論に返す言葉が見つからず、彼を睨みつけて奥歯を噛みしめる。

「明日、日の出前に出発です。それまで、少しでも食べて寝て下さい」

ラードはカウティスの胸に、荷物を押しやった。





日の入りの時刻から、二刻は経った。


マルクは砂の上に、通信に使う風の魔術陣を敷いて、他の部隊との通信を繰り返していた。

一息つこうと、カップを持って焚き火の方を向く。

少し離れた所に、フードをすっぽりと被って、座り込んでいるカウティスがいた。

泉を見つめている横顔が、焚き火の暖かい色に染まっている。

マルクは小さく息を吐いた。

もう一つカップを出して、煮出してあったお茶を注ぐ。


「王子、どうぞ。温まりますよ」

マルクはカウティスに、湯気のたったお茶を差し出した。

カウティスは少し躊躇ってから、カップを受け取って両手で挟む。

「飲んだら、少しでも横になって下さいね」

立ち上がろうとしたマルクに、カウティスが聞く。

「マルク、俺の身体に……魔力は付いてるのか?」

「はい、王子。とても美しい魔力です」

マルクには、カウティスが纏う魔力がよく見える。

「俺にも見えればいいのに……」

初めて聞く、カウティスの自信なさ気な声だった。

王族は水の精霊の姿を見ることができるというが、それは水の精霊が姿を現した場合だ。

魔術素質がなければ、水の精霊が姿を現さないと、近くにいても魔力を感じない。


クイードが事件を起こした時、マルクは魔術士館に入館したての新人だった。

水の精霊が去った後、憔悴しきった幼い王子を王城で何度も見て、痛々しく感じた。

マルクは、カウティスの不安気な横顔を見つめる。

顔立ちはすっかり大人のものなのに、まるであの頃の王子に戻ったようだ。



砂の上の魔術陣が、波打つように明るく光った。

マルクが急いで陣の上に手を翳す。

そして大きく息を吸うと、興奮気味にカウティスを振り返った。

「王子! 王城から伝達です! 水の精霊様が戻られたと! 王子に急ぎ帰城するようにと!」

思わずマルクはカウティスに駆け寄って、肩を揺する。

カウティスの手のカップから、お茶が溢れた。

「水の精霊様は、やっぱり本当に戻って来られたんですよ! 良かったですね!」

「ちょっと、王子に失礼だろ」

パリスが、苦笑いでマルクのローブを引っ張った。

カウティスが骨ばった両手で、顔を覆う。

パリスとマルクが顔を見合わせた。

「……泣かせちゃった?」

「あー……そうかも」

二人がヒソヒソと言う。

「泣いてないっっ!」

カウティスが勢い良く立ち上がって、大股で木々の間を抜けて行った。

二人はポカンと口を開けて見送り、その後顔を見合わせて笑った。


ラードは少し離れた所から、ずっとカウティスの様子を見ていた。

今の三人のやり取りを見て噴き出す。

「ぶははっ、何だ今の。まるでガキだぞ」

若いながらもソードマスターの称号を持ち、辺境で魔物討伐をする変わり者の王子。

癪に障るところもあるが、どうにも人を惹き付ける、歳よりも大人びた王子だと思っていた。

それがどうしたことか、水の精霊が関わった途端にこの変わり様。

ラードはくっくっと可笑しそうに笑った。

「面白すぎだろ、王子」




生い茂る木々の間を抜けて、カウティスは下流の泉で足を止めた。

鼓動が早い。

深く長く、息を吐き出す。

「……夢じゃない」

明日、会える。





日の出の時刻になる頃、空に光が増し始める。


カウティス達はオアシスを出発し、北のオアシスを目指した。

北のオアシスに着くと、カウティスとラードは馬を取り替え、パリスとマルクを置いて、すぐに砂漠の境界を目指す。

カウティスは一人で王城を目指すつもりだったが、護衛も側近もなしで、一人で街道を行かせられないと、ラードが付いて来た。

二人は、街道沿いの街で何度か馬を取り替え、少しの休憩を取り、夕の鐘が鳴る前に王城に帰り着いた。


王城の門より少し手前で、ラードは馬の脚を緩めた。

カウティスはラードを振り返る。

彼は面白い物を見るような顔でカウティスを見て、促した。

「ここからはお一人でどうぞ」

「……感謝する」

カウティスは頷き、一人王城に入った。





前庭を馬で突っ切り、城に入ると、警備兵士や侍従達に声をかけられるのをやり過ごして、居住区に入る。

近道で下男達が通る通路を通り、働く者達を驚かせたが、それも全て「すまない」で済まして走り抜けた。


内庭園には、大振りな花が咲き乱れ、甘く濃い香りが立ち込めている。

早足で通り抜けようとすると、背の高い花に隠れて人がいるのに気付かなかった。

「きゃあ!」

ぶつかる寸前で止まる。

高い声を出して驚いたのは、エルノート王太子の正妃、フェリシアだった。

フルブレスカ魔法皇国の第六皇女の彼女は、赤褐色の巻毛を垂らし、鼻先のツンと上がった美人だ。

カウティスより一つ下のはずだが、まだ成人したての若い娘のようだ。


フェリシアはカウティスを見ると、細い眉をあからさまに寄せたが、カウティスは全くそんなものは目に入らなかった。

「驚かせてしまい、申し訳ありません、王太子妃様。失礼致します」

立礼だけはして、直ぐに横をすり抜けた。

「まあああ! なんですの、あの態度は」

側にいる侍女が憤慨する。

フェリシアは顔色を悪くして、扇を持つ手を震わせていた。




カウティスは、その先の温室を駆ける。

大樹を過ぎ、花壇の小道を通った時には、心臓が破裂しそうだった。


庭園の小さな泉には、細い噴水がサラサラと水音を立てていた。

泉の側に魔術士が二人立っていて、カウティスに気付くと一人が声を掛けた。

「カウティス王子、今、水を入れ替え終わったところ……」

「おい、待て、静かに!」 

もう一人が止めて、泉を示し、二人は数歩下がる。

泉には、小さな水柱が立っていた。





カウティスは立ち止まって、ただ目の前の光景を見つめていた。


サラサラと小さな水音がする。

澄んだ水の美しい波紋の中に、水の精霊が佇んでいる。

腰まである細い水色の髪。

柔らかな曲線の肢体に、ドレスの細かな襞が揺れ、白い肌が見え隠れしている。

長いまつ毛が揺れる、目尻の下がった紫水晶の瞳。

その瞳が、柔らかく細められ、一筋の雫が流れた。


「カウティス、そなたは、変わらないな」

「……はは!」


上っていた息をようやく整え、カウティスは笑った。

泉に近付き、手を伸ばす。

伸びた背は、泉に立つ水の精霊と目線が同じ高さだ。

カウティスは大きくなった手で、彼女の頬を包み込み、名を呼んだ。

「セルフィーネ」



夕の鐘が鳴る。

二人は長い間、そのまま動かなかった。





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