契約魔法
花火が上がり、窓から黄色の光が射し込む。
光で浮かび上がったのは、魔術師長クイードだった。
クイードは、壁際の椅子に座って足を組んでいた。
次は赤い花火が上がって、彼の姿は赤に染まって浮び上る。
「魔術師長!」
護衛騎士のエルドが、クイードを睨みつけた。
カウティスは両膝を付き、四つん這いに近い姿勢で、エルドが後ろから腕を回して支えている。
立ち上がらなければと思うのに、床に付いた膝や掌から身体の力を吸い取られるようで、身体中が重くて動けない。
エルドに支えられているから、辛うじて床に伏せずに済んでいるという状態だった。
エルドも立ち上がらないということは、カウティスを支えるので精一杯なのだろう。
クイードは立ち上がると、魔術ランプに光を灯した。
抑えられた光で、ぼんやりと部屋が明るくなる。
明るくなると、カウティスとエルドの下に、複雑な紋様の魔術陣が敷かれてあるのが見えた。
大人が三人縦に並ぶ程の大きさで、血のような赤黒い光が紋様の上を波打っている。
「……っ! 王子、しっかりしてください」
エルドは、カウティスを支えていない方の手で、彼の肩を揺する。
「う……クイード……何を……」
カウティスが声を絞り出したが、声を出しただけで息切れした。
気付けばクイードが魔術陣の側まで来て、薄氷の冷たい瞳で見下ろしている。
垂れてきた銀色寄りの金髪を、ゆっくりと耳にかける。
「魔術師長! 王子に何をする!」
クイードは、叫ぶエルドを毛虫を見るような目で見て、机の下にまとめて立ててある、実技講義用の杖を一本手に取った。
項垂れて頭を下げているカウティスの、首に掛かった銀の鎖に杖先を引っ掛けると、乱暴に引き上げた。
空中に飛び上がったガラスの小瓶を、パシリと左手で受け止める。
「さあ、水の精霊よ。愛しい王子の危機だ。姿を現せ」
クイードが言い終わるより早く、ガラスの小瓶から淡い光が立ち昇った。
「……セルフィーネ」
何とか顎を上げたカウティスの目に、クイードが握った小瓶の、小さな水の精霊の姿が映る。
「カウティス!……クイード、そなた王族に手を出すとは何のつもりだ」
水の精霊がカウティスを目視し、クイードを詰問する。
長く美しい水色の髪は波打ち、立ち昇る魔力はうねる波のようだ。
クイードは水の精霊の言葉を無視し、小瓶を机に置くと、机の横の白い床に描かれた青い陣の上に立った。
その陣を見て、水の精霊が慄く。
「何のつもりか? 勿論、契約魔法ですよ」
クイードは、ニイと口角を上げて両手を広げ、自身の下にある魔法陣を示す。
その魔法陣は正に今、水の精霊が縛られている、精霊との契約魔法の陣だ。
過去この魔法陣で、水の精霊は竜人族に契約を課せられた。
ただ、魔法陣の要所要所に、複数の魔石が配置してあることだけは、あの時の魔法陣と違っていた。
「ご心配なく。重複契約すればあなたが消滅するだけですから、別の精霊と契約します」
「別の精霊とだと?」
「ええ、精霊同士は呼び合えるはず。……
火の精霊を
つまり、ここに火の精霊が
認識出来て、竜人語で呪文を唱えれば、
竜人族より劣る魔力量は、魔石で補えばいい。
窓から花火の光が入ってくる。
クイードには、ガラス小瓶の魔力が不安定に揺れたのが分かった。
「もう魔法は使わないと約束したはずだ。次は、そなたの命はないぞ」
クイードがうんざりしたような顔をして、フンと鼻を鳴らした。
「“精霊様”などと呼ばれても、やはりお前は、ただ使われるだけの精霊だな」
クイードの口調が変わる。
「届きそうで届かない宝を目の前に置かれ、生き続けねばならない人間の気持ちなど、到底理解出来まい。今持てる全ての物と引き換えにでも手に入れたい! そんな想いが分かるか!」
そう言って無表情で右手を振るえば、クイードの注意が反れている間に、何とかカウティスを魔術陣から出そうと足掻いていたエルドの首に、光る紐状の物が巻き付いた。
「ぐっ、が……」
首を絞められて、エルドの腕が緩み、カウティスが床に落ちた。
続けてエルドが床に伏せて藻掻く。
「よせ!」
水の精霊の声がする。
カウティスは顔を上げようとしたが、少し動かしただけで、脳を直接揺らされたようで吐き気が襲う。
右顔面を床につけたまま、目線を上げる。
机の上のセルフィーネと、無表情なのに目だけはギラギラと燃えているクイードが見えた。
「その魔術陣は、要人の暗殺に使われるものだ。寝台の下に仕込んでおいて、徐々に生気を吸わせる」
クイードは、カウティスとエルドの下に敷かれた魔術陣を指す。
「効果を最大にしてあるぞ。王子ほどの子供なら、四半刻は保つまいな」
水の精霊がカウティスを振り返る。
カウティスの青空色の美しい瞳が、曇りかけている。
水の精霊は震えた。
「人間に触れることも出来ないお前に、王子は救えない。
クイードが冷たくガラスの小瓶を指す。
「さあ、火の精霊を呼べ」
「……よせ、そなたに魔法は使いこなせない。カウティスを離せ」
水の精霊が絞り出すように震える声を出した。
クイードの表情が一変し、怒りの形相になった。
「使いこなせるかこなせないかは、私が決める!」
ギラギラと光る瞳でカウティスを睨みつけ、手を振った。
カウティスの首に光る紐が巻き付く。
「あ、ぐっ……」
突然首を締められ、喘ぐのに少しも空気が入ってこない。
首に手を持っていっても、指に力が入らない。
クイードが叫んだ。
「火の精霊を呼べ!」
カウティスの苦しくて涙で潤む瞳に、懇願する水の精霊の悲痛な顔が映った。
« や め て ! »
それは水の精霊の叫びだった。
突如、王城の上空に熱風が吹き、周囲の火という火が、全て爆ぜた。
講義棟の最上階に、窓も開いていないのに熱風が吹き込み、クイードの立つ魔法陣の上で渦巻いた。
クイードが上を向き、薄氷の瞳を狂気に輝かせる。
銀色寄りの金髪が風に散る。
火の精霊が魔法陣に入ったのを感じ、クイードは呪文を竜人語で詠唱した。
熱風が魔法陣に飛び込み、設置された魔石が次々に深紅の光を放つ。
複雑な魔法陣の紋様が、青から赤に変わっていく。
全て赤に変わると、クイードの足元から熱風のような魔力が頭に向かって上がってきた。
「ははははは! どうだ、これで私は火の精霊の
湧き上がる魔力に、クイードが恍惚とした表情で己の両手を見た時だった。
ピシリ、と音を立てて、魔法陣の魔石が一つ割れた。
連鎖するように、次々と赤い魔石が割れる。
まずいと思ったクイードが、目を見開き、何かを言おうと口を開いた。
しかし声を発する前に、彼の身体の内側で何かが大きく爆ぜた。
クイードの口から赤い鮮血が吹き出す。
咳き込みながら、手を振って何かの魔術を発現しようとしたが、魔法陣の中に渦巻く魔力に邪魔され、なんの意味も持たなかった。
『人間に魔法は使えない』
クイードの生涯に、呪いのように付いて回った言葉が、頭の中でこだました。
身体中から熱い魔力と共に血を吹き出し、魔術師長クイードは絶命した。
王城のあちこちで悲鳴が上がった。
暗闇にならなかったのは、各所に魔術ランプが設置されていたからだ。
「今のは一体何だ……。状況を確認せよ! 怪我人がいれば優先的に救助だ」
混乱の中、指示を出し始めた王に、フレイアがしがみ付く。
「父上! 水の精霊様の声が聞こえました! 水盆を!」
魔術素質の高いフレイアには、水の精霊の叫びが聞こえた。
王と護衛騎士を連れて、大広間から近い王座の間に急ぐ。
王座の間に入ると、ガラスの水盆に張られた水が、小さく波打っていた。
水の精霊の姿はなく、不明瞭に震える声だけが、王とフレイアに響く。
「講義棟の……最上階……いる、カウティス……助けて!」
王とフレイアは息を呑んだ。
講義棟の最上階で、首を絞められていた魔術が突然消えたエルドは、急に身体に入ってきた空気に激しくむせた。
一気に身体中に熱が回ったように、汗が噴き出る。
空気を貪るように吸い込んで喘ぐと、隣で同じようにむせているカウティスがいることに気付いた。
突如、エルドは状況を思い出した。
周囲は血と、焼け焦げた様な匂いが充満していた。
クイードの死で、首を絞められていた魔術は解けたが、足元の魔術陣は動いたままだ。
このままでは王子の命が危ない。
エルドは、鉛のように重い身体を気力で持ち上げる。
両肘と両膝で四つん這いになり、動くと激しい吐き気が襲うのを飲み込んで、ぐったり横たわるカウティスの身体を、自分の身体で押した。
「王子……死んでは、なりません……」
魔術陣から出るだけの僅かな距離が、果てしない距離に感じた。
カウティスの身体が、全て魔術陣から出た。
脂汗で全身濡れたエルドは、それを見届けると力尽きて倒れた。
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