御迎祭の花火
風の季節の後期月も半ば。
今年も、いつもの年の様に年末年始の準備で皆忙しく、慌ただしい雰囲気だ。
カウティス自身は、後半になればなるほど講義が休みになるものも多く、寧ろ時間ができるくらいだ。
空いた時間に、久しぶりに帰城した兄姉達とお茶をしたり、セイジェとカードゲームをしたり、エルノートに剣術の稽古をつけてもらったりして過ごしていた。
年末の月光神の感謝祭と、年明けの太陽神の御迎祭用の衣装合わせは、この時期の恒例だ。
去年よりも成長したのを確認出来て、嬉しくもある。
衣装合わせをしながら、今年こそは水の精霊と花火が見られるだろうかと、カウティスは期待していた。
今日はカウティスの、今年最後の魔術講義の日だ。
カウティスが講義室で準備をして待っていると、時間前に部屋に入ってきたのは、いつも講師をしている魔術士ではなく、濃緑色のローブを着た魔術師長クイードだった。
彼は入ってくるなり、講義に使う本を机の上に狂いなく直線に並べ、銀色寄りの金髪を神経質そうに耳に掛ける。
「いつもの講師は今日、別の任務で出ておりますので、私が講義を行います」
彼は一礼して、淡々と講義の用意をする。
カウティスは突然の事に驚いたが、クイードとはお忍びの時に一緒に城下に行った事もあり、昨年ほど緊張せずに講義を受けることが出来た。
「……では、ここまでにしましょう」
講義の終わりの時刻になり、クイードが本を閉じた。
ふうと息を吐いて、カウティスも本を閉じる。
クイードが本を集めてきっちりと揃えながら、カウティスを見る。
「王子はとても熱心に魔術講義を受けておいでのようですね。魔術素質のない方にしては、珍しい」
魔術素質の無い者は、努力しても魔術は使えない。
そこで、実技はなく講義だけを受けるのだが、どれだけ学んでも魔術を使えないとなると、講義も最低限の項目で終わらせる学生も多い。
「私は王族に生まれたのだから、学べるものは全て学んでおくべきだと思っている。それがいつ何時、どんな役に立つかも分からないだろう?」
カウティスは真剣に答える。
「王太子はエルノート第一王子に決定しましたが、それでも王子は努力なさるのですね」
クイードは冷たくも聞こえる声で言い、カウティスの表情を窺うように見ていた。
「当然だ。元々、兄上が王座を継がれると思っていた。私は兄上の役に立つ者になりたい」
カウティスは、青空色の瞳で真っ直ぐにクイードを見て答えた。
クイードは、暫くカウティスを無表情に見つめたままだったが、唐突に微笑んだ。
「感服致しました。陛下もさぞお喜びでしょう」
クイードの雰囲気が和らいだので、カウティスはこころなしかホッとした。
カウティスが立ち上がる。
講義も終了し、カウティスが動くのを見て、護衛騎士のエルドが、侍女に声を掛けるため入口側へ動いた。
クイードが、不意にカウティスに近寄る。
カウティスとの間にある机の上に、彼はカチリと音を立てて、極小さな石を置いた。
「これは……」
それは、お忍びで城下に水の精霊を連れ出した時に、ガラスの小瓶に入れた魔石だった。
あの日の後、魔術士館に返却した物だ。
怪訝な顔をして、カウティスがクイードの方を向く。
「密会には必要でしょう?」
「み、密会っ……!?」
カウティスの顔に血が上る。
クイードが、さも可笑しそうに薄氷の瞳を細めて、人差し指で上を指す。
「講義棟の最上階から、屋上に上がれるのをご存知ですか? 花火を見るには特等席ですよ」
魔術講義を行う講義棟は、図書館と魔術士館の間にある。
三つの建物は王城の裏側に位置し、間には低木しかないので、花火を見るのに遮蔽物はない。
月光神の感謝祭から、太陽神の御迎祭が終わるまで、図書館と講義棟は締切られ、魔術士館だけは魔術士達が出入りするが、花火の打ち上げと王城警備等に出払って、殆ど人はいない。
関係者以外の出入りがなければ、必然的に人気はなかった。
「当日、講義棟の鍵は開けておきましょう」
クイードが企んだような顔でカウティスを見下ろす。
エルドが戻ってきて、カウティスの様子の変化に、警戒心を露わに近寄る。
「王子、大丈夫ですか……って、あれ?」
声を掛けるが、カウティスは顔を赤くして俯いている。
エルドは、カウティスの手元に小さな魔石があるのを見て、目を眇めた。
「魔術師長殿、これは……」
「おや、護衛騎士殿に見つかってしまいましたね」
クイードは肩をすくめる。
「日々努力を惜しまない王子に、僭越ながら私からご褒美ですよ。使う使わないは、王子の自由ですから」
では、とクイードは一礼して部屋から出て行った。
「王子、もしかして、それ何処かで使われるつもりなのですか?」
カウティスは急いで魔石をポケットに入れて、本を抱える。
「別に、み、密会とか、考えてない」
カウティスがツンと赤い顔を背ける。
「密会って、……
エルドは眉を下げて額に手をやり、ちらりとカウティスを見た。
「昨年、花火の最後に抜け出して、泉に行かれたでしょう。護衛に付いた者が撒かれたと言って嘆いてましたよ」
昨年は、カウティスの夜番護衛に付いたのがエルドではなかった。
カウティスは口を尖らせる。
「今年は撒かなければ良いのだろう。
水の精霊様と花火が見たい事は隠さないのだなと、エルドが内心笑いながら、赤毛の頭をポリポリ掻く。
「……今年は私です。でも王子、今年は感謝祭から御迎祭の終了まで、庭園は全面封鎖が決まっていますよ」
カウティスが勢いよく振り向いた。
「聞いてないぞ!?」
「昨年、ひどく酔った貴族が、王妃様の庭園に迷い込んで粗相をしたとかで」
カウティスが盛大に顔を顰める。
では、セルフィーネと花火が見たいなら、どうすればいいだろう……。
彼はそっと、ポケットの上から魔石を握りしめた。
久しぶりの家族の幸せな時間は、あっという間に過ぎる。
年末に、月光神の感謝祭は清廉と行われた。
カウティスは、今年も最後まで王族の席で、祭事が終わるのを見届けた。
そして年が明け、御迎祭が始まる。
祭事は滞りなく進み、祝詞奏上の後は王城の前庭が一部開放される。
王族は民に姿を見せ、新年を祝う。
今年は、エルノートの立太子を祝う民達が溢れた。
カウティスは、祭事の衣装に凛々しく身を包んだ兄が、笑顔で民に手を振るのを誇らしく思った。
夕の鐘が鳴る前に、護衛騎士のエルドは騎士棟で手早く夕食を済ませ、カウティスの下に戻るため席を立つ。
今は食事交代で、別の護衛騎士がカウティスに付いている。
後ろを通った同僚が、エルドに声を掛けた。
「エルド、夜番を替わってもらって悪いな」
「気にするな。ほら、早く行かないと。恋人と花火を見るんだろう」
本来、今日カウティスに付く護衛騎士の夜番は、エルドではなく同僚の騎士だった。
夕の鐘が鳴って半刻ほど経ち、御迎祭が終わりに近付くと、花火が打ち上がり始めた。
色とりどりの美しい花火に、皆が歓声を上げる。
カウティスは、王とバルコニーで花火を見上げていたが、王が侍従に耳打ちされて席を外した。
周囲を見ると、フレイアはマレリィと笑い合っている。
普段より華美な衣装に身を包んだ母の黒髪には、今日も、カウティスが贈った蝶の髪飾りが輝いていて、ふわりと温かい気持ちになる。
セイジェは王妃にじゃれついて、花火に歓声を上げていた。
こうして折りに触れ、仲睦まじい様子を周囲に見せるのも、実は王族の大切な務めだ。
エルドは、カウティスがバルコニーの手摺にもたれ掛かる、その後ろ姿を見下ろす。
こころなしかソワソワしている王子の首に、銀色の細い鎖がちらりと見えて、眉を下げた。
今日、夜番を交替したのも運命か、と小さく息を吐く。
「行きたいのですか?」
顔を近付けて小声で聞けば、カウティスは上目遣いにエルドを見た。
「……見逃してくれるのか?」
「既に、お忍びで出掛けた時から共犯ですよ。護衛を撒いて行かれなかっただけ、ありがたいです」
“共犯”と聞いて、カウティスが可笑しそうに笑う。
「では、今回も頼む」
「御意」
わざとらしく畏まって答えるエルドを叩いて、カウティスはそっと広間を出て行った。
護衛騎士を連れていると、人を避けたり隠れたりしなくて済んで、難なく講義棟に辿り着いた。
クイードの言うとおり、入り口の鍵は開いていた。
カウティスとエルドは、無人の廊下を通り、最上階まで階段を登る。
時々窓から、色とりどりの花火の光が入り、白い廊下を鮮やかに染めた。
最上階の一番奥に、管理室があり、そこから梯子で屋上に上がれる。
カウティスは、左胸の内ポケットに入れてあった、美しい彫りの入ったガラスの小瓶を出す。
中には泉の水と、昨夜月光を当てておいた、小さな魔石が入っている。
屋上に着いたらセルフィーネを呼ぼう。
共に花火を見上げて、新しい年を祝おう。
ワクワクしながら管理室前に着き、ドアノブを回す。
ここも鍵はかかっていない。
次にクイードに会ったら、礼を言わなければ。
そんなことを考えながら、カウティスはドアを開け、部屋に足を踏み入れた。
踏み入れた瞬間、足元を何かに引かれてよろめいた。
勢いで反対の足を踏み出した時、立ちくらみのように血の気が引く。
「王子!」
前を行くカウティスが、突然前屈みによろけたので、エルドは反射的に飛び出して、後ろから彼の身体を抱えるように支えた。
途端にエルドも、すっと貧血のように力が抜けて、一緒に倒れそうになる。
何とか片膝を付いて踏ん張り、カウティスを支えた。
「おやおや、密会に護衛騎士を連れてくるとは。王子は無粋ですね」
暗い部屋の奥から、冷たく平坦な声がした。
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