王太子の決定
風の季節、前期月の終わり。
早朝は随分冷えるようになった。
日課の型の練習を終えたカウティスが、水の精霊に話し掛ける。
「兄上と姉上は、明日、予定通り帰られるか?」
「予定通りに帰城するだろう。……毎日聞いても、早くはならないぞ」
水の精霊が楽しそうに笑う。
エルノート第一王子とフレイア第一王女が、今年の学業を終えて帰城する。
二人が乗った馬車が国内に入ると、水の精霊は馬車の列を見守っている。
カウティスはそれを知っていて、毎日水の精霊に、馬車の進行具合を聞いて確かめるのだ。
約一年ぶりの再会が待ち遠しかった。
翌日の午前。
馬車の到着が近いと知らされて、皆が城の正面入口前で待ち構える。
カウティスとセイジェは、少し後ろで待っている。
ふと見れば、母のマレリィが、今日も細身の紺色のドレスで立っている。
きっちりと結い上げられた髪には、銀色の蝶の髪飾りが刺されてあった。
カウティスが、マレリィの誕生日に贈った物だ。
マレリィはとても喜んでくれた。
王妃も我が事のように喜んで、『私の誕生日も楽しみにしています』とカウティスに笑いかけた。
カウティスは、難解な課題が出された気分だった。
王城の正門から、馬車と騎士の列が入った。
大型馬車の正面には、フルブレスカ魔法皇国の紋章である、赤い竜と月と太陽のシンボルが掲げられている。
王族の復路には、皇国の馬車を使用するのが慣例だ。
正面入り口前で馬車を降りた、エルノートとフレイアを皆が出迎える。
「父上、母上。ただいま戻りました」
「ただいま戻りました」
エルノートが立礼し、フレイアが膝を折る。
カウティスは目を見開いて見ていた。
一年弱会わなかっただけで、兄も姉も驚くほど大人びていたからだ。
フレイアは、昨年会った頃よりも更に女性らしくなった。
青味がかった艷やかな黒髪を編み込み、赤い唇を光らせて微笑んでいると、いつものように軽口を叩いて怒らせてはいけないような気がする。
エルノートは随分背が伸びていた。
しかも髪をかなり短く切っている。
あの明るい銅色の髪がふわふわと揺れないだけで、すっかり少年の雰囲気が消えてしまったようだ。
「よく無事に戻った」
「おかえりなさい、フレイア」
王とエレイシア王妃が声を掛ける。
側妃マレリィが声を掛け終わると、周囲の人々に囲まれたエルノートが、カウティスとセイジェを見つけて呼んだ。
「カウティス、セイジェ」
向けてくれた笑顔が、見慣れた尊敬する兄のもので、カウティスはやっと安心して挨拶ができた。
「兄上、姉上、おかえりなさいませ」
隣りにいたセイジェは、昨年と同じようにサッと乳母の後ろに隠れてしまった。
「息災だったか? 随分背が伸びたのでは……」
笑顔でカウティスの側に来て、肩に手を置いたエルノートの言葉が途切れる。
「兄上?」
首を傾げたカウティスの目に、エルノートの後ろで目を見開いているフレイアが映った。
一拍置いて、フレイアがエルノートを押しやる勢いで近付いたかと思うと、カウティスの頬を両手でムニムニと強く揉む。
「まあああ! そなた、こんなに背が伸びて!」
「あねふえ!!」
そうして、カウティスは今年も皆に笑われたのだった。
久しぶりの家族での晩餐をゆっくりと楽しみ、皆が大食堂を出たのは、日の入りの鐘も間近という頃だった。
日の入りの鐘が鳴る。
日を改めようか逡巡したフレイアだったが、帰城後何日かは、日中に様々な予定もあり、王と二人きりで話せる機会も早々ないかもしれないと思い切り、王の私室を訪ねた。
侍従に案内され、室内に入る。
父の私室に入るのはいつぶりだろう。
ダークブラウンの家具が配置された室内は、派手な物を好まない王らしく、華美な飾りは一切ない。
どちらかというと地味な印象だ。
フレイアは懐かしい香りに一度目を閉じた。
室内に入ると、フレイアは失敗したと思った。
王が一人きりだと思って訪ねたのに、部屋の中にはエレイシア王妃とエルノートがいたのだ。
親子水入らずのところを邪魔してしまった。
「フレイア。こんな時間にどうした」
王が立ち上がってフレイアの側に来れば、王妃も立ち上がる。
「陛下に何かお話があるのでは? 私とエルノートは下がりますわ」
王妃はふわりと微笑んで、エルノートを促した。
エルノートは姉の顔を見て、口を開いた。
「姉上は、カウティスのことでお話があるのでしょう」
「カウティスの?」
王妃が濃い蜂蜜色の目を瞬く。
「カウティスの魔力のことです。そうですよね、姉上」
フレイアは赤い唇を引き結ぶ。
王は静かに言った。
「聞こう」
「カウティスの纏う魔力は、とても大きくなっています。そのうち身体に触れなくても、魔術士であれば気付くようになるでしょう」
円卓を囲んで、四人が座っている。
王が、王妃とエルノートに残るよう言ったからだ。
「クイードから報告が上がっている。既に数人の魔術士は気付いているようだ」
「そうなのですか?」
王妃も話には聞いていたが、それ程とは知らされていなかったようだ。
「私もカウティスに触れて驚きました。一年で随分魔力が大きくなっています。水の精霊様は何か仰らないのですか?」
エルノートは王を見る。
「水の精霊は、聞いてもカウティスのことについては何も話さぬ。カウティスもまた、周囲の目に気付いているのだろう。早朝以外、あまり泉に行っておらぬようだ」
王は目を閉じる。
カウティスの纏う魔力に気付く者が増える程、水の精霊の恩恵を受ける彼への関心が高まる。
そのうち、カウティスを取り込もうという貴族が現れるかもしれない。
それは、ひいては継承問題にも発展するだろう。
暫く目を閉じて黙っていた王が、覚悟を決めたように目を開けた。
翌日、朝の公務開始の時間に合わせて、王座の間に貴族院が集められた。
緊急召集であったが、翌日に行われるエルノートとフレイアの帰城を祝う宴に参加する為、城下に主要貴族が滞在しており、多くは召集に参じた。
明日顔を合わせるというのに一体何事かと、ザワザワと落ち着かない雰囲気の中、側妃マレリィが入室し、王座の下段に立った。
更にその下に宰相マクロン、騎士団長バルシャーク、魔術師長クイードが控えた。
驚いたのは、その後に正装したエルノートが続いたことだ。
背も伸び、短髪にし、正装に身を包んだ彼がマントを翻し毅然と歩くと、少年の気安さはない。
エルノートは王座の下段、マレリィの隣に控えた。
最後に王と王妃が登壇し、王座に着いた。
「急な召集に応じてくれたことに礼を言う」
王のよく通る声が王座の間に響く。
「本日は、急ぎ通達する事があってこの場を設けた」
王はマクロンに合図する。
マクロンは頷くと、手にしていた式辞用巻紙を開いて一つ咳払いをし、読み上げる。
「本日、風の季節後期月、第一週一日を以て、ネイクーン王国第二子、エルノート·フォグマ·ネイクーン第一王子を王太子として決定する」
貴族院の者達がざわめいた。
「陛下、エルノート王子はまだ未成人ですぞ」
「成人前に後継を指名するなど、前例がありません」
様々な声の中、ひとつの声が聞こえた。
「水の精霊様が選ばれたのは、第二王子なのでは……」
すう、と、王の手が上げられ、皆が口を噤んだ。
「王の決定だ。これは要らぬ後継争いを防ぐ意味もある」
王は、先程水の精霊を引き合いに出した者を冷たく見る。
「国内を乱さぬ為に、敢えて明日の宴で貴族に向けて発表する。立太子の儀は、エルノートが成人してから行う」
王はこの場にいる者達を、ゆっくりと見回す。
「異議は認めぬ。エルノート」
呼ばれたエルノートが、純白のマントを翻して王の前に立った。
「そなたを正式に王太子に任ずる。更に精進し、この国を担うに相応しい王子となることを願う」
「謹んで承ります」
エルノートが膝を折って掌を胸に当て、頭を下げる。
マレリィが静かに膝を折って礼をする。
波を打つ様に、王座の間にいた者達が次々に立礼した。
翌日の宴で、エルノート第一王子の立太子が国内の貴族全てに発表された。
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