誕生日

土の季節も終わりに近付いた。

今日はカウティスの8歳の誕生日だ。


昨夜から大雨で、せっかくの誕生日だというのに、今日は早朝鍛練に出られなかった。

昨年のように、朝一で水の精霊に『おめでとう』と言ってもらいたかったのに。

カウティスは、侍女達に着替えさせてもらいながら、窓の外の雨を見て唇を軽く尖らせた。





侍女のユリナが、マレリィの来室を告げた。

「母上が?」

朝食より前に、母が部屋を訪ねてくるなど、いつぶりだろう。

怖い夢を見て、泣いて起きていた頃が最後ではなかろうか。



カウティスの指示で、母のマレリィが部屋に通される。

いつものように、青味がかった黒色の髪をきっちりと結い上げて、細身の青紫色のドレスを纏っている。

マレリィは、カウティスの側まで来ると、そっと彼の頬を撫でる。

「どうなさったのですか、母上」

「今日は皆がそなたを祝うでしょうから、その前に二人だけで話がしたかったのです」

マレリィは、侍女から美しい模様の付いた、手の平ほどの大きさの小箱を受け取ると、皆を下げる。

部屋には母と子、二人だけになった。


マレリィはカウティスに小箱を差し出した。

「母からの贈り物です」

「開けてもいいですか?」

空色の瞳を輝かせてカウティスが聞くと、マレリィは頷く。

カウティスは、小箱を受け取る。

美しい染め模様の布張りの小箱を、そっと開いた。

中には小振りなマント留めが入っていた。

丸い銀色のマント留めには、美しい流水紋が彫られてあり、カウティスの瞳の色と同じ、空色の小さな宝石がはめ込まれてある。

「ありがとうございます、母上。大事に致します!」

カウティスは満面の笑みを母に向ける。

マレリィは、その場にそっと膝をつく。

「母上!?」

カウティスは驚いた。

王族女性が、人前で膝をつくことはない。

マレリィが膝をつくと、カウティスの方が少し目線が高かった。

彼女は、カウティスの澄んだ青空色の瞳を見上げ、口を開いた。



「カウティス、そなたが水の精霊様と心を通わせることが、この国にとって良くない事だと考える者達がいます」

カウティスは小さく息を呑んだ。

「母上、私は……」

言葉を詰まらせるカウティスに、マレリィは首を振る。

「ですが、私はそうは思いません」


マレリィも最初は良く思わなかった。

敵国から嫁いだ女の生んだ王子が、自国の正当な血筋の王子二人を差し置いて、水の精霊と心を通わせる。

それはカウティスにとって、害にしかならないのではないかと考えたからだ。


マレリィは、目の前に立つ我が子を見つめる。

国と国との事情を、生まれたときからその身に背負う運命だった、フレイアとカウティス。

しかし二人共、素直に真っ直ぐに成長している。

それがどれだけ、敵国に嫁いだマレリィの心を救ってきたか。

この二年弱で、カウティスは更に強く逞しく、そして優しくなった。

それはきっと、水の精霊に強く影響を受けているのだと思う。


「そなたは、この国を大切に思っている。きっと水の精霊様も。その二人が心を通わせて、何の害がありましょう」

マレリィは優しく微笑んで、カウティスの頬を撫でる。

「そなたが大事だと思うなら、水の精霊様との縁を大切に守りなさい」

「母上……」

「お誕生日おめでとう、カウティス。愛していますよ」


カウティスは、そっと母に抱きついた。

小さな頃によく嗅いだ、香油の柔らかな香りがして、胸が詰まる。

そして、ハッとして急いで離れた。

「も、申し訳ありません、小さな子供のような……」

顔を赤らめて謝るカウティスを、マレリィは漆黒の瞳を潤ませて、そっと引き寄せ抱きしめる。

「まだ子供で良いではないですか」

彼女は、自分と同じ色のカウティスの髪を、優しく撫でる。



早く大人になりたいと思っているのに、母の腕の中があまりにも優しくて、カウティスは暫くそのまま母に身を預けていた。




昼間には、祝いの宴が行われた。

未成人なので、昼間の一刻に大広間で行う。

その後、王城の正面広場が一部開放され、バルコニーから国民に向けて姿を見せる。

その頃には雨は止んでいて、カウティスがバルコニーに出ると、ちょうど陽が差して、雨に濡れていた周囲がキラキラと輝いた。

今年は、エルノートとフレイアが皇国に行っていて不在の為、国民にはカウティスの成長が強く印象付けられた。






今日は皆に祝われ、幸せな一日だった。

しかし、多くの貴族と挨拶を交わし、国民の前に出て、緊張し続けだったので、とにかく疲れた。

日の入りの鐘が鳴る前に休むことにして、就寝準備をして侍女を下げる。

部屋の外の護衛騎士の気配を探ってから、カウティスはそっとバルコニーに出た。


昼から天気は回復して、今夜の空は雲もなく、月が美しく輝いている。

カウティスの手には、水の入ったグラスがあった。


そっと、華奢なガラステーブルにグラスを置くと、小声で水の精霊の名を呼ぶ。

「セルフィーネ」

一拍置いてグラスの中の水が揺れ、淡い光と共に、小さな水柱が立った。

光はぼんやりとした人形ひとがたを作り、月光を吸い込むようにして徐々に明瞭な輪郭を作る。

月光の下、輝く水の精霊の姿が現れる光景は、何度見ても息が止まりそうな程に美しかった。



「呼んだか」

水の精霊の第一声はそれだ。

カウティスは唇を尖らせる。

「『呼んだか』、じゃない。今日はオレの誕生日だというのに、一度も会わずに済ますつもりだったのか?」

水の精霊は、小さく首を傾げる。

「一日ずっと、王城を見ていた。そなたは凛々しくて、とても立派な王子だった」


朝から俯瞰で王城を見ていた水の精霊は、カウティスの誕生日を、王城の皆や国民が祝うのを感じ、喜ばしく思っていた。


「それでは、オレがセルフィーネに会ったことにはならないだろう」

凛々しいと言われて嬉しかったが、頬は緩めないように気をつける。

「朝からずっと会いたかったのに」

カウティスがわざとらしく、小さな溜め息をつくと、水の精霊は目を瞬く。

そして少し目を逸らした。

「今日は、そなたは忙しいのだろうから、煩わせてはいけないと思ったのだ」

カウティスは彼女を見る。

目を逸らした小さな水の精霊は、少し拗ねているようにも見える。


カウティスは彼女を見ながら言った。

「……今日で8歳だ」

「そうだな」

水の精霊が、やっとこちらを向いた。

「早く大人になりたいな」

「そなたはそなただ、と言っただろう」

水の精霊は、長い水色の髪をサラサラと揺らして微笑む。

カウティスが僅かに眉を寄せた。

「以前から気になっていたが、セルフィーネは何故オレの名を呼ばないんだ?」

水の精霊は目を瞬く。

「名を呼ぶ許可を得ていない」

「はあ!?」

思わず大きな声を出してしまって、カウティスは急いで口を押さえた。

暫く気配を探るが、どうやら気付かれなかったようだ。


カウティスは声を抑えつつ、早口で水の精霊に詰め寄った。

「そんな理由で呼ばなかったのか? 良いに決まってるだろう」

呆れ気味のカウティスの様子に、水の精霊は、また拗ねたように目を逸らす。

カウティスは小さく息を吐いた。

「セルフィーネ、オレの名を呼んで良い。……というか、呼んで欲しい」

そっと視線を彼の方へ戻す水の精霊に、カウティスは笑って見せる。

「……カウティス……誕生日おめでとう」

水の精霊は紫水晶の瞳を揺らし、彼に微笑みかける。

カウティスは笑みを返した。



早く大人になりたい。

せめて、拗ねた水の精霊を“かわいい”と躊躇わず言えるくらいには。


月光が、ただ静かに二人を照らしていた。




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