収穫祭 (3)
その後も、時間いっぱいまで、三人は色々な所を見て回った。
刺激の多い一日は、あっという間だ。
そろそろ夕の鐘が鳴る。
馬車が迎えに来る、裏通りに向かわなければならない。
大きな網目のような通りの一本裏に行けば、表通りとは雰囲気が違う。
表の賑わいに比べ、裏通りは静かだった。
とは言っても、祭の日にこんなに人がいない通りは珍しい。
男が数人歩いているだけだ。
「……待ち伏せか」
エルドが、ちらりと後ろを見て言った。
三人が入ってきた所を塞ぐように、ガラの悪そうな男が数人陣取る。
通りの先に歩いていた数人の男も、三人を囲うようにして、ニヤニヤ笑いながら近付いてきた。
「こそ泥の仲間か」
「見張りがいたのは気付きませんでしたね」
仲間がやられた仕返しか。
それとも、財布に入っていた重い金貨に釣られたか。
エルドとクイードの顔色は変わらない。
もう王城に帰るつもりの今、ここで大きな騒ぎを起こして、時間を取りたくはない。
エルドが、近くの店舗前にあった、露店のテントを張るための棒を蹴り上げた。
左手でパシリと受け止め、カウティスに渡す。
「走り抜けましょう。王子、前を塞ぐ者だけを打ちます。落ち着いて、訓練通りに」
カウティスは、小さく頷いて右手で棒を受け取った。
空いた手で、左胸の小瓶を確かめる。
クイードがカウティスを見て、目を細めた。
「……では、目眩ましをしましょう。少し屈んで下さい」
クイードの言葉が合図だったかのように、前後の男達が向かってきた。
クイードがくいっと顎を上げると、薄氷の瞳を光らせて、聞き慣れない音を紡いだ。
〘 - - - - - 〙
瞬間、水の精霊が喘いだ。
突然、腰から上の空間に霧が発生した。
視界を急に奪われた盗人達が、つんのめったり急ブレーキをかける。
カウティスとエルドは、腰を落とした体勢で前に走り出す。
一番近くにいた男の腰骨を、カウティスは手にした棒で打つ。
そのまま走り抜けながら、隣の男の腹を突いた。
エルドはカウティスから離れずに、走り抜けるのに邪魔な位置にいる男だけを、素手で的確に倒した。
クイードが二人の後ろを付いて走り抜ける。
霧が散じた時には、倒れた男が数人と、何が起こったか分からず、呆然とする者達が残されていた。
角を幾つか曲って、足を止める。
「撒けたようですね。迎えの場所はもう近くですから、急ぎましょう」
殆ど息が上がっていないエルドが、走ってきた方を見て言う。
後ろを付いて走ったクイードは、普段、走ることはないので、息も絶え絶えの様子だ。
カウティスは呼吸を整えながら、高揚感に包まれていた。
「できた……」
「はい、王子。的確な動きでしたよ」
エルドが笑って言った。
毎日の鍛練が、全くの無駄ではなかったと感じた。
興奮して、頬を紅潮させたまま左胸を見ると、水の精霊の姿がない。
急いで内ポケットから小瓶を出すと、ガラスの小瓶は、水の精霊が
「セルフィーネ!?」
カウティスが呼ぶと、彼女が不明瞭な声で応える。
「……月光の魔力が切れる。私は王城に先に戻る」
「そうか……」
カウティスはホッと息を吐く。
「今日は一緒に来られて良かった。また、明日に」
小瓶の淡い光が消えた。
何とか息が出来るようになったクイードが、背筋を伸ばして髪を撫で付ける。
走ったからか、彼もまた紅潮した様子だったが、深く長く息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「有意義な時間でした。帰りましょう」
行きと同じように馬車に乗り、王城に帰った。
通用門から入り、待機していた侍従に荷物を渡して、王族の居住区に向かう。
クイードが、立ち止まる。
「王子、私は一度、魔術士館に戻ります。陛下への報告は、身なりを整えてから致します」
王城に戻ると、クイードはいつもの素っ気ない調子に戻ったようだ。
カウティスは、首から下げた銀の細い鎖を引っ張り、ガラスの小瓶を軽く振る。
「今日はご苦労だった。おかげで楽しい時間だった。感謝する」
「勿体ないお言葉です」
カウティスの言葉に、クイードは胸に手を当てて立礼すると、サッサと立ち去った。
隣でエルドが、平民仕様の帽子を脱いで、ほっと息を吐く。
「魔術師長と一緒だと聞いた時は、どうなるかと思いましたが、意外と気安い方でしたね」
「そうだな。それにしてもそなた、今日はだいぶ笑ってくれたな」
カウティスがじろりとエルドを睨む。
エルドは、口に手を当てて目を逸らした。
建物の中に入るとすぐ、王が宰相のマクロンと侍従を連れて待っていた。
通用門に繋がる広間にいるとは、珍しい。
カウティスとエルドは、居住まいを正した。
「ただいま戻りました、父上」
「おお! カウティス、戻ったか!」
王は両手を広げカウティスを迎える。
「城下はどうであった? 実りある時間になったか?」
「はい、父上。わがままを許してくださり、ありがとうございました」
カウティスは満面の笑みで答えるが、王の後ろで笑いを噛み殺しているマクロンに気付く。
「マクロン殿、どうなさったのですか?」
マクロンは王をちらりと見て、口髭を撫でる。
「カウティス王子、王は王子が帰るのを、まだかまだかと、ウロウロ、ウロウロ。落ち着かなくて、こんな所まで迎えに降りてこられたのですよ」
「マクロン、余計なことを言うな」
王が首を捻って鼻にシワを寄せる。
「陛下、今頃になって、先代のお気持ちが分かりましたなぁ」
王が子供の頃にヤンチャしていた頃、先代王はさぞ心配したのだろう。
王は盛大に顔をしかめ、マクロンは気持ち良さそうに笑った。
父の子供時代を知らないカウティスにはよく分からなかったが、父が自分を心配して、ここで待っていてくれたのは分かる。
嬉しくて、皆と一緒に笑った。
魔術士館の最奥に、魔術師長室がある。
王城に勤める者達は通いの者もいるが、役職付きの者は大概、使用人棟の別棟に部屋を与えられている。
魔術師長クイードにも部屋が与えられていたが、魔術師長になってからは、魔術師長室の隣の続き部屋で、殆ど寝泊まりしていた。
城下から戻った今も、身仕度を整える為に帰ったのは魔術師長室だった。
キツく縛っていた髪を解き、シャツのボタンを外していると、窓際から小さく水音がした。
「これは水の精霊様」
クイードは冷ややかな薄氷の瞳を、窓の方へ向ける。
窓際には、王の執務室に置いてある水盆より、一回り小さな造りの銀の水盆が置いてあった。
有事の際に、水の精霊から声が届くよう、魔術師長室には常に水盆が置かれてあるのだ。
今、そこには小さな水柱が立っていた。
「これまで、何度呼び掛けても姿を現して下さらなかったというのに、今日は自らお出ましですか」
クイードは着崩れたシャツのまま、水盆に向かって姿勢を正し、無表情に立礼する。
彼には水の精霊の美しい女性の姿は見えない。
ただ、水盆の水柱が纏う、青白いぼんやりとした魔力が見えるだけだ。
その水柱から、幾度となく聞いてきた、不明瞭な女性の声が響く。
「……そなた、
クイードは薄っすらと笑みを浮かべた。
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