収穫祭 (2)

精霊像から離れて広場の外周にくれば、人はさほど多くない。




「先程の会話は何だ」

水の精霊が、クイードに静かに尋ねた。

「お二人の噂のことですか? 城勤めの者から広まったのでしょう。お二人の仲は王城では周知のことですから」

クイードがきつく縛った髪を撫でつけながら、興味がなさそうに言う。

「そうではない。私がザクバラに持っていかれると……」

「民は契約の詳しい内容など知りません。水の精霊様あなたがネイクーンを出られないことなど知らないのです」

クイードは、無知な奴らだと言わんばかりの態度だ。


カウティスが固い表情で口を開く。

「母上が嫁いで来られるまで、我が国とザクバラ国は争っていたらしい。今でも母上とザクバラを良く思わない者も多いと聞く」


隣国のザクバラ国は、ネイクーン王国のフォグマ山に源流を持つ、ベリウム川の下流に位置する。

過去にベリウム川の氾濫を巡って小競り合いが頻発し、その後大きな争いになった。

十五年ほど前、フルブレスカ魔法皇国の介入により、ザクバラ王族の血筋を引くマレリィが側妃として嫁いで来て、争いは収束した。

だが、まだその頃の記憶を鮮明に持つ者、特に国境の西部出身者の中には、ザクバラ国に敵愾心を持っている者も少なくない。


「だが、そなたはネイクーンの王子だ」

水の精霊は眉を寄せる。

理解できない。

周りを見れば、こんなに豊かで皆幸せそうに見えるのに、何故人間は争いの種を捨てることが出来ないのか。


「そうだ。だからいつか、オレがこの国の王族に相応しいと、誰もが認めてくれるようにならなければいけないんだ」

水の精霊が見上げれば、カウティスは真剣な表情で、精霊像に供物を供える人々を見ている。



『オレは将来、王となった兄上の助けになりたいのだ』



出会って間もない頃、カウティスがそう言っていた。

尊敬する兄に追随しているのかと思っていた。

勿論それもあるだろう。

だが、この国になくてはならない王子になるのだと、覚悟を決めているようにも思える。

カウティスが時々大人びて見えるのは、生まれ持った事情を飲み込んでいるからなのかもしれない。


カウティスは、彼を見つめる水の精霊に微笑みかける。

彼女はカウティスに、静かに微笑みを返した。





中央広場を出て、一本奥の通りに入る。

大きめの宝飾店が並んでいて、今日は店の前に出店がある。

ここも人が多く歩いていたが、先程の通りよりは少なかった。



カウティスは、髪留めが並んでいる所で足を止めた。

蝶の形をした銀の髪飾りが目を引く。

羽根の模様が細かく彫られ、小さな赤い宝石が散りばめられている。

「気になる物がありましたか?」

横からエルドが覗き込む。

カウティスは、質の良い木箱に収められた髪飾りを手に取る。

「母上のお誕生日に贈ったら、喜んで下さるだろうか」

マレリィの誕生日は、風の季節の前期月初日。

「よろしいのでは? 黒髪に映えそうですよ」

エルドの感想に、カウティスは満足気に頷いて、それを購入することにした。

今日の為に用意した財布から代金を払い、店主が髪飾りを箱に入れ直して、紐をかけるのを見守る。



その時、走ってきた子供がエルドにぶつかってよろけた。

咄嗟にエルドが子供の腕を取った。

その隙きを狙って、後ろを通っていた背の低い男が、勢いよくカウティスの手から金貨の入った財布を奪う。

突然の出来事で、カウティスは全く反応出来なかった。


男が財布を奪った瞬間、エルドがひゅっと短く息を吸った。

走って逃げようとした男の足を、彼は素早く払った。

バランスを崩した男の背中に、肘から体重をかけて押し倒す。

男は倒れて、顔面を強かに地面に打ち付け、その拍子にカウティスの財布を落とした。



あっという間の出来事に、周囲が静寂に包まれた。

一拍置いて、ワッと騒がしくなり、周りの店舗の人間や、通行人達にエルドと盗人が囲まれる。

クイードは、男が落としたカウティスの財布を拾い上げた。

そして、口の中で何か呟いて、財布を持っていない方の手を軽く振る。

「わあ!」

声がした方を見れば、エルドにぶつかった子供がコッソリ逃げようとしていて、足に光る紐のようなものが巻き付いて転んでいた。

クイードの魔術のようだ。

「あれも仲間でしょう。お怪我はありませんか」

クイードは、涼しい顔をして財布をカウティスに渡す。

あっという間の出来事に、呆然としていたカウティスは、我に返って頷いた。


エルドは店舗の人間に盗人達を任せると、すぐにカウティスの側に戻って来た。

「お側を離れて申し訳ありません。人が増えました、行きましょう」

髪飾りを受け取り、すぐに歩き出す。

三人は周囲の人々に声を掛けられたが、エルドが愛想良くかわして、通りの角を曲がった。

今来た方からは、衛兵が到着して怒鳴っているのが聞こえてくる。




暫く歩いて、搾りたての果汁を売っている露店を見つけると、エルドはカウティスを休ませた。

「カウティス様、顔色が良くありません。大丈夫ですか」

長椅子に腰掛けたカウティスは、表情を固くし、俯いていた。 

「……オレ、何もできなかった。毎日あんなに鍛練しているのに……」


剣術の才能がある、成長が早いと言われて自信を持っていたが、突発的な出来事になんの反応も出来なかった自分に、カウティスは愕然とした。

「カウティス様はまだ7歳ですよ。実戦経験だってないのですから、仕方がありません」

エルドが慰めようとすれば、余計にダメージを受けたらしい。

顔を顰めて、悔しそうに呟く。

「早く大人になりたい。もっと強くなりたい」


土の季節の終わりに、カウティスは8歳になる。

まだまだ大人の歳には遠い。

カウティスの胸の辺りから見上げていた水の精霊が言った。

「急いで大人にならずとも、ゆっくりで良い」

カウティスは水の精霊をちらりと見て、唇を歪ませる。

「……早く大人になりたいのだ」

「何故?」

「……」

やり取りを聞いていたクイードが、溜め息をついて首を振る。

「大好きな水の精霊様あなたに、子供扱いされたくないからでしょう」

「っ! な、何を言ってる!?」

一瞬で頬を紅潮させたカウティスが、クイードに食って掛かる。

「おや? 男とはそういうものですよ。お二人はそういう関係では?」

クイードがあっさりと言い放ち、後は知らんぷりだ。

カウティスは狼狽える。 

「ちがっ、違うからな、そういうことではなくて!」

狼狽えながら左胸の水の精霊を見ると、彼女は真剣な顔でカウティスを見つめていた。


「私にとっては、そなたはそなただ」

彼女は小さな手を伸ばして、そっとカウティスの顎のあたりに添える。

「人間にとっては子供でも、私はそなたが好きだが」 

彼女の言葉に、カウティスは一瞬で耳まで真っ赤になった。

頭の上から湯気が立ちそうだ。


 

会話がよく分からなくて、目を瞬いて見ていたエルドと、カウティスの目が合った。

「見るな!」

エルドには水の精霊は見えないのだが、真っ赤になったカウティスが、両手で左胸の辺りを隠すので、笑いを堪えるのが大変だった。


何はともあれ、カウティスの自信喪失は何処かに行ったらしい。

関係ない顔をしてそっぽを向いているクイードに、エルドは小声で言う。

「クイード様、いい仕事しますね!」

「……何の事か分からん」

クイードは、毛虫でも見るような目でエルドを見た。






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