執務室にて

「南部のエスクト砂漠が広がっている。オアシスの地下水源が危ういので、私はそちらへ向かう」

水盆に姿を現した、水の精霊の第一声はそれだった。




いつも通り直立不動、無表情で、あまりにも淡々と言うので、この場にいた四人の内の三人は、一瞬呆けた。


王が我に返り、革張りの椅子から身を乗り出した。

「エスクト砂漠が広がっていると?」

水の精霊に向かって聞き返す。

クイード魔術師長もフレイアも、思わぬ事態に眉根を寄せる。


四人の内一人だけ、精霊の声を聞くことができない宰相マクロンが、遅れて顔色を変えた。

「今、何と? 砂漠化が進んでいるのですか?」

マクロンは、白髪の方が多くなった栗毛を逆立てんばかりの勢いで水盆に近寄った。

近寄ったからといって、魔術素質もなければ王族でもないマクロンには、水の精霊の声は聞こえないのだが。



水の精霊を迎え入れ、水源を保っているネイクーン王国。

だが、火の国であることは変わっていない。


水の精霊が王族と契約を交わすまでは、井戸が干上がったり、田園の作物が突然枯れることもあった。

今でも毎年、火の季節には猛暑が続くし、水の季節でも雨量が少ない。

空気が乾燥する時期には、大規模な火災が起こることも、そう珍しくはない。

だが、産業にも影響を与えており、フォグマ山の鉱山や、鍛冶業は火の精霊によって発展したと言っていい。


国中が、火の精霊の影響を受けているが、特に濃く受けている場所が二ヶ所ある。

王城の後方、北部にそびえるフォグマ山と、南部のエスクト砂漠地帯である。



「近年、砂漠化は進んでいなかったはずだな」

水盆に向かって前のめりになったマクロンを、王が押し戻しながら言う。

マクロンは頷いた。

髪と同じように、白い毛が混じった口髭を撫でながら言う。

「陛下が即位されてから、そのような報告が上がったことはありませんな」


「最近、南部で火の精霊が活発化している。その影響だろう」

水の精霊が静かに言った。

室内は風もないが、彼女の細い水色の髪は、サラサラと揺れている。

「暫く静かだった分、警戒した方が良い」


「クイード、土魔術が使える者を南部へ派遣せよ。砂漠化の進行を止めねばならん」

水の精霊の言葉を王がマクロンに伝え、対策を講じる。

クイード魔術師長が、魔術師を派遣するにあたっての具体的な話を始めた。




「……あの、陛下」


声を掛けたのはフレイアだ。

居心地悪そうに、三人を見回す。

濃い柑子色のドレスを軽く持ち上げ、膝を曲げる。

「図らずも、国政を論じる場に同席してしまいました。申し訳ありません。ここで退室致します」

三人は顔を見合わせて、何故この面子がここに集まったのかを思い出した。


王はフレイアに軽く手を上げて、待つよう指示する。

そして、水の精霊に向かって質問した。

「水の精霊よ、ひとつ聞きたい」

王の言葉に、宙を見つめていた水の精霊が顔を上げる。

「そなた、カウティスに加護を与えたとか」

クイードとマクロン、そしてフレイアの視線が水盆に集まる。



「私は王族があるじであると契約している。カウティス第二王子に、改めて加護を与える必要はない」

水の精霊は身じろぎひとつせずに言った。

クイードが盛大に眉根を寄せる。

王が続けて問う。

「与える必要がない、とは?」

「そなた等王族は皆、私の契約のあるじとなることで、“自国に枯れない水源を得る”という加護を生まれ持って得ている。更に加護を与えることはない」

王の問いかけに、水の精霊は淡々と答えた。


「そんなはずはありません。カウティス王子に、最近新たに加護が付いたことは、確認済みです」

不満気なクイードの声音に、水の精霊は長いまつ毛を揺らして目を細めた。

「契約の重複はできない。別の契約を結べば、私は消滅するだけだ」

クイードには水の精霊の姿は見えず、冷静な声が聞こえるだけだ。

彼は眉間のしわを一層深めて、苛立ちの混じる声で言った。

「契約ではなく、加護の事を聞いている!」


「控えよ、クイード」

食って掛かるクイードを、王が制止した。

マクロンが混乱気味に首を振る。

後で説明する、とマクロンの腕を王が叩いて、改めて水の精霊を見つめた。

「水の精霊よ。新たな加護を与えたのでないのなら、フレイア達が感じた加護のようなもの、とは何だろうか?」

「何のことか分からない」

王と目を合わせ、水の精霊は感情の乗らない声で答えた。


水の精霊は窓の外を見た。

「エスクト砂漠の地下水源へ向かう。国内への目は閉じないが、当分の間王城へは来ない」

「了承した。頼んだぞ」

王が頷くと、水の精霊は一度王を見てから消えた。

小さくパシャと音を立てて、水盆の水柱が落ちる。


水盆から水柱が消えたのを見て、クイードが王に詰め寄った。

「陛下、あれで済ますおつもりですか? もっと詳しく調べねば!」

「クイード魔術師長、今はそれどころではない」

マクロンがクイードを諌める。

しかしクイードは、水の精霊が事実を隠したのだと息巻く。

「第二王子に特別な力を与えたのであれば、放置しておける問題ではありません」

クイードは神経質そうに、指同士を擦り合わせて言い募った。




「履き違えるな、クイード魔術師長」

王の重い声が、執務室に響いた。


強い力の籠もった青空色の瞳で、王はクイードを見据える。

椅子の肘掛けに両腕を添え、深く腰掛けた王の顔に普段の朗らかさはない。

「我が国は水の精霊の恩恵を受けているが、この国の王は私だ。国の先は私が決めること。そしてその先も、この国の人間が決めるのだ」

王は言い放つ。

「決して、精霊の力によるものではない」


クイードはグイと唇を引き結び、姿勢を正し、掌を胸に当てて立礼する。

フレイアは、父王の王たる姿を、息を呑んで見つめていた。





庭園の泉で、カウティスが水の精霊を呼んだのは、いつもより早い時間だった。

いつもなら午後の勉学の時間だが、年明けの祝いの期間が過ぎるまでは、講義は全て休みだ。

但し、剣術の鍛練だけは、休まず行う。



カウティスは、セイジェを見舞ってから、そのままの衣装で泉までやって来た。

「セルフィーネ」

泉に向かって声を掛けたが、水の精霊がいつものように姿を現さない。

彼女が姿を見せたのは、カウティスが毎日ここに来る時間だった。

カウティスがホッとして名を呼ぶ。

「セルフィーネ。何度呼んでも現れないから、心配したぞ」



いつものように真っ直ぐに立って、表情なく現れた水の精霊が、目を瞬く。

「心配? そなたが、私を?」

「そうだ。何かあったのではないかと、心配していた」

泉の縁に手を置いて、カウティスは水の精霊を見上げた。

水の精霊は、彼の澄んだ青空色の瞳を覗く。


人間が精霊の心配をするとは……。


ふっと、水の精霊が柔らかく笑う。

カウティスは思わず、心臓の辺りを押さえた。

「それならば、城を出る前に会いに来ておいて良かった」

彼女は微笑んだまま告げた。



「私はこれから、南部へ向かう。当分の間会えないだろう」


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