寒空の下のお茶会 (前編)
カウティスが午後の休憩をしている時にやってきたのは、フレイアとエルノートだった。
後ろに、それぞれの護衛騎士、侍女と侍従、その更に後ろに、荷物持ちの下男がぞろぞろと続く。
呆気に取られているカウティスを、知ってか知らずか、フレイアは泉に立ち上がった水の精霊を見て声を上げた。
「まあ! まああ……なんて美しいの……」
エルノートも言葉を失って立ち尽くす。
二人共、幼い頃に何度か水の精霊を見たことがある。
乳母に連れられて、離れた所から祭事を見せてもらったのだ。
水盆に浮かんだ水の精霊の姿は、遠目に見ると輝く人形のようで、ただただ不思議だった。
しかし今、目の前に佇む水の精霊は、これまで見たこともないような美しい女性で、透き通って輝く姿は神秘的だった。
フレイアは一拍置いて我に返り、コホンと一つ咳払いしてから、スススと泉の近くまで進み出て挨拶した。
「水の精霊様。ネイクーン王国、第一王女フレイア·フォグマ·ネイクーンでございます。成人前にお目にかかる無作法をお許し下さい」
基本的に、王族が水の精霊に接見するのは、成人して公式行事に参加するようになってからだ。
隣にエルノートが並び、続けて挨拶する。
「第一王子エルノート·フォグマ·ネイクーンでございます」
水の精霊はコクリと頷く。
「第一王女、勤勉なる日々で賢明な魔術士におなりだ。第一王子、廉直な心を以て国民に沿おうと努めておられる。頼もしい後継を二人も持たれて、王も心安かろう」
水の精霊は、紫水晶の瞳で、静かに二人を見下ろしている。
サラサラという水音と共に、揺れる細い髪が光に透けて輝いている。
フレイアはスカートを持って膝を折り、エルノートは掌を胸に当て、礼を述べた。
カウティスは、二人の改まった挨拶に目を瞬いていたが、水の精霊の威厳ある姿に更に驚いた。
水の精霊が、そんなカウティスに気付く。
「どうした?」
「そ、そなた……オレと初めて会った時には、そのように畏まった挨拶をしなかったではないか」
水の精霊が小さく息を吐く。
「挨拶も何も、そなたは最初、ここに菓子を投げ入れたではないか」
「うっ……」
確かに飴を放ってしまった。
フレイアは形の良い眉を釣り上げた。
「カウティス! そなた、そんな無礼な事をしでかしたのですか!?」
エルノートは、フレイアの隣で口を押さえて肩を震わせている。
「事故ですよ、姉上! 事故!」
「ふふ……」
両手を突き出して、慌てて弁解するカウティスの姿に、水の精霊が笑う。
カウティスでもまだ一度しか見たことがない、水の精霊の楽しそうな笑顔に、エルノートもフレイアも目を見開いて頬を染める。
「微笑む姿もお美しい……」
フレイアが呟く。
その内、“おねえさま”とでも呼び出しそうな様子だ。
「……笑うな」
笑われたのも恥ずかしければ、その笑顔を他の人に易々と見せたくなくて、カウティスの口から思わず出た言葉がそれだ。
「……笑えと言ったり、笑うなと言ったり。そなたは難しい」
水の精霊は小さく首を傾げた。
今日はとても天気が良いとはいえ、風の季節の後期月も半ばである。
屋外でお茶をするのには、向いていない時期だ。
にも関わらず、泉の庭園では小さなお茶会の状態になっていた。
「カウティスが、泉の縁に座って菓子を食べていると聞いたので、私もそうしようと思ったのですけど。侍女達がどうしても駄目だと言うのです」
フレイアは最初、バスケットに焼き菓子を詰めて、それだけ持ち出そうとしたようだ。
侍女に止められて、結局テーブルやら椅子やらを運び込むことになったらしい。
侍女がお茶を入れて、強く頷く。
「当然でございます。王子と王女が平民のような真似を……」
その平民のような真似を、毎日している弟王子が目の前にいることに気付き、侍女の声は尻窄みになった。
「……申し訳ございません」
侍女は小さくなって謝る。
カウティスはバツが悪そうに、苦笑いで頬を掻いた。
「エルノートも行きたいと言うので一緒に来たのですが、こんなに大仰な事になってしまい……。静かな庭園を騒がしくしてしまって、申し訳ありません」
フレイアが、水の精霊を上目遣いに見て言う。
水の精霊はいつものように、真っ直ぐに立っていて、美しい姿だが何の表情もない。
「構わない。ここは王城の敷地内だ」
「それにしても、私はここに泉があることを知りませんでした」
エルノートが周囲を見回しながら言った。
「王城の見取り図を見たことがありますが、ここに庭園は描かれていなかったと思います。まるで、意図的に隠されていたかのようです」
「私も知らなかったわ」
フレイアが同意する。
カウティスも頷いた。
あの日探検していて、この場所を偶然発見したのだ。
水の精霊は目をやや伏せて、黙っていた。
ふと、首を巡らせて王城の方を見る。
「もうすぐ鐘が鳴る。そなたはそろそろ訓練場に向かった方が良い」
午後の二の鐘が鳴れば、カウティスは剣術の鍛練だ。
この時間は訓練場で、騎士見習いに交じって段階的に訓練している。
年齢が上がるごとに、王族として様々な事を学んでいくが、カウティスには、剣術が今一番楽しい学びの時間だ。
「お行きなさい。私達は折角用意したから、もう少しここでお茶を楽しんで帰るわ」
フレイアがひらひらと手を振る。
「私も姉上に付き合いましょう。カウティス、励めよ」
エルノートも、爽やかに微笑んで手を振る。
一人だけ退席なんて。
後ろ髪を引かれる思いだが、剣術の鍛練は欠かしたくない。
カウティスはキリッと表情を引き締めると、掌を胸に当てる。
「では、先に退席させて頂きます。お二人共、ごゆっくりお過ごし下さい」
一礼して姉と兄に挨拶した後、水の精霊を見上げ、ニコリと笑う。
「また明日に」
水の精霊は小さく頷く。
カウティスはエルドを従え、花壇の小道を通って行った。
「まあ。本当に、暫く見ない内に随分成長したこと」
カウティスの後ろ姿を見ていたフレイアが、眉を上げた。
エルノートは頷く。
「姉上が皇国に行かれている間に、カウティスはたくさん努力したのですよ。それも、水の精霊様の影響でしょうか?」
エルノートが水の精霊を見上げた。
水の精霊は、カウティスが去って行った小道をまだ見ていた。
サラサラと軽い水音だけが響く。
「……水の精霊様は、カウティスを随分気にかけて下さっているのですね」
フレイアが呟いた。
水の精霊は、静かに視線を戻す。
そして、何の感情も乗らない声で言った。
「今日は
そして、フレイア達の返事も聞かず、パシャンと小さな水音をさせて、あっさりと姿を消した。
エルノートとフレイアは、目を瞬いて顔を見合わせた。
「ははっ!」
エルノートが堪えきれずに笑いだした。
「いっそ清々しい程に、我々に興味を示されませんでしたね」
「もう少しお話ししたかったわ」
フレイアは小さく溜め息をつき、すっかりぬるくなってしまったお茶を一口飲んだ。
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