魔術講義

風の季節も後期月半ばになると、国中が忙しない様子だ。

王城でも、年末の月光神への感謝の祭事と、新年の太陽神を迎え入れる祭事の準備で忙しい。





水の精霊と気持ちを伝え合ってから、十日ほど経ったこの日は、カウティスの今年最後の魔術講義だった。


カウティスと講師の魔術士が講義を始めようとした時、部屋に入ってきたのは、魔術師長のクイードだ。

「講義の進行状況を確認に来ただけです」

普段使いの深緑のローブを翻し、早足に窓際まで行くと、勝手に椅子を引っ張って来て腰を下ろした。

神経質そうに、銀色寄りの金髪を右耳にかけると、腕を組む。

「お気になさらず、続けてください」

すました顔で言うと、そのまま動かない。


『お気になさらず』と言われても……。

カウティスと講師の魔術士は、顔を見合わせて困惑気味だ。

入口付近の、護衛騎士のエルドと侍女のユリナも、目を合わせて微妙な表情を浮かべている。

コホン、とクイードが咳払いをする。

我に返った講師が講義を始めた。

上司が側で見ていては、さぞかしやり辛いだろう。



魔術講義で、カウティスは今、魔術の基本を学んでいる。

竜人族やエルフが使う“魔法”と、人間が使う“魔術”は根本的に違う、という内容だ。


講師の話の区切りがついた時、窓際から声がかけられた。

「カウティス王子は、水の精霊様と交流されているとか」

カウティスが、窓際のクイードの方を向く。

クイードは、座った時と同じ体勢でカウティスを見ていた。


「精霊を見ることができ、こちらの意思を伝えられること。それは魔法を使う上での必須条件だそうですよ。……王子は魔法を得たいとは思われませんか?」

「魔術ではなく、魔法をですか?」

カウティスは突然の問いに、目を瞬く。

「そうです。人間では使うことができないとされる、“魔法”です」

クイードの薄氷のような瞳は、カウティスの心の中を窺うようだ。




カウティスは、暫く黙って考えていた。

そして、しっかりとクイードに向き直ると、澄んだ青空色の瞳で、真っ直ぐ彼を見て言った。

「思いません」

クイードが僅かに目を細めた。

「……それは、何故ですか?」

「“魔法”は、精霊を魔力として消費するのだと先生に教わりました」

カウティスは講師を見上げる。

講師の魔術士は、汗を拭きながらコクコクと頷く。

「私は、精霊をそのようにして使う魔法ものを得たいとは思いません」

きっぱりと言い切ったカウティスを、クイードは黙って見つめた後、細く細く息を吐く。

そして作り物の微笑みを浮かべた。

「講義を中断させてしまい、申し訳ありません。どうぞ、続きを」



その後、暫く講義の続きを見てから、クイードは来た時と同じように、ローブを翻すようにして部屋を出ていった。

後を任せると、部屋を出て行く間際に言われた講師役の魔術士は、脱力して盛大に息を吐いていた。


一体、何だったんだろう。

カウティスは不思議に思ったが、魔術士が講義の続きを始めたので、気にするのをやめた。



クイードは、廊下に出て魔術士館の方へ歩いていたが、ピタリと足を止め、振り返る。

「……宝の持ち腐れだな」

彼は冷ややかな目で、今出てきた扉を睨んだ。





午後の講義が終わって、午後の二の鐘まで休憩だ。

ユリナが、銀の盆に菓子を盛って入って来た。

カウティスは、迷わず幾つかナプキンに包むと、軽い足取りで部屋を出て行く。

エルドとユリナが、ちらりと顔を見合わせて微笑んだ。



泉に着いて、水の精霊を呼ぶ。

「セルフィーネ」

一拍置いて、水の精霊が美しい姿を現した。

今日も涼しげに髪を揺らした彼女は、カウティスが泉の縁に腰掛けると、膝を折って彼の側に座る。

そして、カウティスが今日の出来事や、侍女から聞いた噂話など、他愛ない話をするのを薄く微笑んで聞いていた。




カウティスが、ふと水の精霊を見て黙った。

「どうした?」

水の精霊が聞く。

「セルフィーネ、そなた、もう少し笑ったら良いのに」

「……笑っていると思うが」

カウティスの言葉に、彼女は首を傾げる。

カウティスは、うーんと唸る。

「笑ってはいるが……もっと、こう、楽しそうに」

カウティスはニッと笑って見せる。


水の精霊は目を瞬いて、そっと柔らかく笑みを深めた。

「ずっといい!」

柔らかさを増した彼女の微笑みを見て、カウティスは頬を染めて身を乗り出した。

その顔を間近に見て、水の精霊が言う。

「……そなたは、すぐ赤くなるな」

彼女がスイと指を動かすと、カウティスの顔に泉の水が、水鉄砲のようにピュッとかかった。

「わぷっ! つ、冷たいっ!」

外気に晒されている泉の水は、とても冷たい。


「ふ、ふふ……」

慌てるカウティスを見て、水の精霊が笑っていた。

控えめに微笑むのではなく、とても楽しそうに。

紫水晶の瞳をキラキラと輝かせて。



水の精霊のイタズラに、文句を言おうとしたカウティスだったが、彼女の輝くような笑顔を見て、息が止まった。

顔に血が上り、心臓が大きく突き上げる。


なんだ? なんだ?……どうしよう。

息が苦しくて、思わず顔を背けて深呼吸する。

「怒ったのか?」

「お、怒ってない……」

水の精霊に声をかけられて、カウティスはそっと振り返る。


彼女は柔らかい微笑みのまま、カウティスを見つめている。

心臓が落ち着かないまま、ぼんやりと、セルフィーネの揺れる長い髪に触れてみたいと思った。




カウティスが、そっと右手を持ち上げた時、背後から複数の足音が近付いてきた。





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