友達ではない
今日は王城の大広間で、午後のニの鐘から、フレイア王女の帰城と、共に皇国に留学していた子息子女達の帰国を祝う宴が開かれる。
王族の居住区。
フレイアの部屋の続き間で、フレイアが社交用のドレスに着替えて準備をしている。
柑子色の胸元から、裾に向かって赤に変わっていくドレスには、大きな花の刺繍が施されていて、とても華やかだ。
艷やかな黒髪は緩く編まれ、小さな花が散りばめられている。
宝飾はなく、美しいながらも少女らしい姿だった。
「とてもキレイです、姉上。英雄物語に出てくるお姫様のようです」
姿見の前でフレイアが侍女と細かな調整をしているのを、後ろで眺めているのはカウティスだ。
ソファーの肘掛けで、頬杖をしてニコニコと眺めている。
「生まれたときから、ずーーーっとお姫様なのですけれど」
フレイアは呆れた声を出して、鏡越しにカウティスを見た。
「そういうことではありません……。もう、喋るといつもの姉上ですね」
「どういう意味ですか」
器用に片眉を上げてフレイアが振り返る。
入り口がノックされて、侍女の開けた扉からマレリィが入って来た。
今日もきっちりと黒髪を結上げて、細身のドレスを纏っている。
宴の場に向かうとあって、深紅の小振りの宝飾を身に着けていて、漆黒の瞳と髪が一層引き立つ。
「まあ。女性の身支度の場に入り込むとは、はしたないですよ、カウティス」
ソファーのカウティスを見つけて、マレリィは眉を寄せた。
カウティスはソファに縮こまる。
「すみません、母上。でもちゃんと着替え終わっているのを確認してから入ったのですよ」
「当然でしょ!……母上、私が良いと言ったのです。この子は宴に出られないのに、美しく着飾った私を、どうしてもっ! 見たいと言うものですから」
早口に言い訳するカウティスを、フレイアが擁護する。
カウティスは姉の言葉に一瞬微妙な笑顔になったが、ウンウンと頷いた。
マレリィは、仕方ない子達ねと言うように、眉を下げて笑った。
「とても綺麗だわ、フレイア」
マレリィは娘を見て微笑む。
「皇国に行っている間に、背も伸びて。きっと後三年の間に、すっかり大人になってしまうのでしょうね」
マレリィは娘の頬にそっと触れる。
蕾が花開く時期の我が子の成長を、間近で見ることができない切なさに、胸が痛んだ。
それを強いる皇国が、この時ばかりは恨めしく思う。
フレイアは、頬に触れる母の手に自分の手を重ねた。
「どれほど大人になっても、母上の自慢の娘であって見せますわ」
「今でもそうです」
二人は微笑み合う。
カウティスは何となく居心地悪くなって、ソファーから立ち上がった。
マレリィが気付いて、手を差し出す。
カウティスが控え目に近付くと、彼女はフレイアにしたようにカウティスの頬を撫でた。
「毎日鍛練を欠かさないと聞いています。よく頑張っていますね。身体を痛めないように、充分気を付けるのですよ」
「はい、母上」
マレリィは、嬉しそうなカウティスの額に口付けた。
今日は宴の開催の為に、午後の勉学も剣術の鍛練も休みだ。
母に褒められたことで、とても気分が良くて、セルフィーネに話したくなった。
庭園に向かおうとすると、護衛騎士のエルドが笑い含みに言う。
「勉学の休憩時間でなくても向かわれるので?」
「た、ただの習慣だ」
顔を赤くするカウティスを見て、エルドが口を押さえる。
「笑うな!」
階段を降り、広い内庭園を進む。
こちらはエレイシア王妃の好みで、濃い香りの鮮やかな色彩の花が多く植えられている。
今は風の季節で大振りな花は少ないが、水の季節には、花々が競うように咲き誇る。
内庭園の先に温室があり、その更に奥に行けば大樹で隠されるように、泉の庭園がある。
居住区から見れば、温室と大樹で隠されているかのようだ。
あの日、カウティスが護衛を撒いて探検しなければ、発見できなかっただろう。
慣れた道のりを早足で進み、大樹の脇を抜ける。
花壇の小道の手前に人がいて、カウティスはドキリとして足を止めた。
第三王子付きの侍女だ。
侍女はカウティスを確認すると、腰を落として頭を下げる。
どうして侍女が……。
カウティスは、小道の向こうの泉に顔を向ける。
泉には、今日も涼しげに水の精霊が立っていた。
そして泉の前には、第三王子セイジェがいた。
「セイジェ……」
「兄上!」
カウティスが小道を抜けると、興奮気味のセイジェが近寄った。
「どうしてここに?」
「兄上がよくここに寄ると聞いて、どんな所かと来てみたのです」
セイジェから数歩離れた所には、セイジェの護衛騎士と、顔色の悪い乳母が立っていた。
セイジェは、水の精霊を見上げて目を輝かせる。
「水の精霊はとてもキレイですね! びっくりしました!」
カウティスも水の精霊を見上げる。
彼女はいつも通り、長い水色の髪をサラサラと揺らし、何の感情も籠もらない瞳で空を見ていた。
カウティスは、さっきまでの胸の中にあった温かい気持ちが、みるみる萎んでいくのを感じた。
水の精霊はいつも通りだ。
立っている場所も、その美しい姿も。
カウティスに見せる姿、そのままだ。
王城の庭園なのだから、自分以外の誰かが訪れるのは不思議じゃない。
ましてや、最近のカウティスの行動で、この小さな庭園は周知されてしまった。
それなのに、なぜ自分だけの場所のような気がしていたのだろう。
なぜ、水の精霊が自分だけに姿を現してくれるような気がしていたのだろう。
カウティスは、じわじわと苦いものが口の中に広がるような気分になってきた。
そんなカウティスの気持ちを知らず、はしゃいだ調子で、セイジェが水の精霊に言った。
「水の精霊はカウティス兄上と友達なんでしょう? それなら、私とも友達になって下さい」
「私は第二王子と友達ではない。故に、そなたとも友達にはなれない」
水の精霊が空を見つめたまま答えた。
強く、頭を殴られたようだった。
『友達ではない』
水の精霊の淡々とした涼しい声が、カウティスの耳にこだまする。
カウティスは胸の辺りをギュッと握った。
何か言いたいのに、握った辺りが熱く詰まって出てこない。
「ええ? そうなのですか?」
「王族は契約の
水の精霊は同じ調子で続けた。
セイジェが濃い蜂蜜色の瞳を瞬いて、カウティスと水の精霊を交互に見る。
そして、カウティスの袖を引いた。
「兄上、友達ではなかったのですか?」
反射的に、カウティスは袖を引かれた腕を払った。
力一杯払ってしまい、身体の小さなセイジェがよろけて尻餅をつく。
「痛いっ」
「セイジェ様!」
互いの護衛騎士が二人の間に滑り込んだのと、乳母がセイジェに駆け寄ったのは、ほぼ同時だった。
瞬間、カウティスが我に返った。
「すまない、セイジェ!」
セイジェに手を伸ばそうとしたが、乳母がセイジェを引き寄せてカウティスをきつく睨んだ。
「弟王子に手を上げるとは! なんと野蛮な!」
「そんなつもりでは……」
乳母の剣幕に、カウティスが怯む。
「ソル殿、王子ははずみで転ばれただけです」
セイジェを後ろに庇うように立った護衛騎士が、乳母を窘める。
乳母は護衛騎士とカウティスを黙って睨めつけてから、セイジェを抱き起こして服を払った。
「乳母の分際で……」
「エルド、よせ」
乳母の不遜な態度に、カウティスを庇うように立っていたエルドが口を開いたが、カウティスはエルドを控えさせた。
膝を曲げ、セイジェの目線に高さを合わせて言う。
「本当にすまない、セイジェ。痛かったか?」
「大丈夫です、兄上。驚いただけです」
セイジェは可愛らしく笑う。
ふと、二人が泉を見ると、そこにはもう水の精霊の姿はなかった。
中心で細く噴水が上がり、小さく水音を響かせている。
王城の鐘塔から、午後のニの鐘が鳴り響いた。
カウティスの胸に、何かが詰まったままだった。
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