第一王女の帰国
風の季節、前期月の終わり。
火の精霊の影響が強いネイクーン王国でも、朝晩は肌寒く感じる。
昼間になって温んだ気温に、更に熱気を加えていたのが、ネイクーン王城の前門に繋がる城下の大通りだ。
民が大通りの両側に連なって、馬車を待っている。
「来たぞ!」
誰かの声がして、皆が色めき立つ。
先頭に護衛騎士の乗った騎馬が二頭。
続いて、細かな装飾のされた大型の馬車が一台と、小型の馬車が三台、更に後ろにも護衛騎士が二人、大通りを城に向かって進んで来た。
馬車の正面には、フルブレスカ魔法皇国の紋章である、赤い竜と月と太陽のシンボルが掲げられている。
大型の馬車の窓が開き、黒髪の少女が顔をのぞかせると、大通りに集まった民は手を振り、歓声を上げた。
「王女様!」
「おかえりなさい、フレイア様!」
民の歓声に笑顔で手を振り、フレイア第一王女はネイクーン王城に帰城した。
城の正面入り口前で馬車を降りたフレイアを、家族や馴染みの臣下達が出迎える。
フレイアは皆を一度見回して、旅装のスカートを摘むと軽く腰を落とす。
「父上、王妃様、ただいま戻りました」
青味がかった艷やかな黒髪がサラリと流れた。
知的な黒い瞳を輝かせ、赤い唇を上げて微笑む。
マレリィに似て美しい顔立ちのフレイアは、実際より1、2歳上に見られることが多い。
「よく無事に戻った」
「おかえりなさい、フレイア」
王と王妃が声を掛けると、周りの人々が次々にフレイアの帰国を喜んで声を掛けた。
笑顔で皆に応えていたフレイアが、人々の間に母親を見つけて駆け寄る。
「母上」
「おかえりなさい、フレイア」
側妃マレリィは、今日もきっちりと黒髪を結い上げ、装飾の少ないドレスを身に着けていた。
久しぶりに見る娘の姿に目を細め、頬に優しく指を添わせて微笑む。
「息災で何よりでした」
「はい」
フレイアは、パッと腕を広げて母の胸に飛び込んだ。
「まあ、幼い子のように」
「今は子供でよいのです」
母を見上げて微笑む最愛の娘の背を、マレリィは優しく叩いた。
人垣の後ろから、三人の弟王子が進み出た。
先頭のエルノートとフレイアが仲睦まじく言葉を交わす。
セイジェは、約一年ぶりに会う歳の離れた姉と、周りを囲む大人達に竦み、何も言えずに乳母の後ろに隠れてしまった。
「おかえりなさいませ、姉上!」
カウティスが元気に声を掛けた。
「ただいま、カウ………んんん!?」
カウティスに笑顔を向けたフレイアだったが、その笑顔が固まり、数度瞬く。
そして素早く両手でカウティスの頬を挟むと、ムニムニと強く揉んだ。
「しばらく見ないうちに、何と逞しくなっているのです! あの可愛くてヤンチャな弟は何処にいったのですか!?」
「み、みながみてまふ、あねふえ……」
何とか姉の手から逃れようと藻掻くカウティスを見て、エルノートが笑いを堪えられないまま言う。
「姉上、カウティスは今年、剣術に目覚めたのです」
「そうです! 毎日欠かさず鍛練しているのですよ」
やっと手から逃れたカウティスが、頬を擦りつつ胸を張った。
「まあああ!……もしやそなた、何時ぞやのようにおかしな物でも食べたのではないでしょうね?」
「姉上!」
顔を真っ赤にしたカウティスの抗議に、皆が笑った。
フレイアの帰国を祝う宴は、あらためて明後日に行う旨が王から伝えられ、その場は解散された。
カウティスは泉に来ていた。
最近は勉学の時間も増えたので、午前中の休憩時間に、ここに来ることができなくなった。
そこで、早朝鍛練と午後のニの鐘が鳴る前の四半刻程、一日に二回訪れるのが日課だ。
午前に来るか午後に来るかは変わっても、菓子を持参するのは変わらないようで、カウティスは今日も砂糖菓子を包んで持って来ていた。
泉の縁に腰掛け、菓子を口に入れる。
そして楽しそうに、水の精霊に話し掛けた。
「今日、姉上が帰って来られたんだ」
「知っている」
水の精霊はいつものように美しい姿で直立不動だ。
「魔術素質の高い王女だったが、この一年で更に魔術士としての力をつけたようだ」
水の精霊はカウティスを見下ろす。
「そなたと似て、努力家だな。このままいけば、相当な実力の魔術士になれるのでは」
「セルフィーネ」
後ろ向きに首をひねって見上げていたカウティスが、彼女に声を掛けた。
水の精霊は軽く首を傾げる。
カウティスは、自分の座っている横をぽんぽんと軽く叩いた。
「そなたもこちらに座って話そう」
水の精霊は目を瞬く。
「……私は水から離れれば、姿を保てない」
「それは、離れなければ大丈夫ということだろう?水面ギリギリに座ればいいではないか」
期待に満ちた目をカウティスにむけられて、逡巡する。
泉に姿を現して、そこから動いたことはない。
「セルフィーネ」
カウティスは彼女を再び呼ぶ。
水の精霊は、サラサラと揺れていたドレスの襞から、白く細い足を出す。
水面を滑るように、初めての一歩を踏み出すと、すっとカウティスの隣に腰を下ろした。
視界がずっと低くなって、側の花壇の小さな花が、可憐に揺れるのがよく見えた。
カウティスが笑顔を輝かせて、彼女を見つめている。
まだ水の精霊の方が座高が高い分、視線は彼女が高かったが、立っている時よりカウティスの笑顔がずっとずっと近くにあった。
「この方がいいだろう?」
満足気に聞くカウティスに、水の精霊は小さく頷いた。
「……この方が、とてもいい」
翌朝の朝食は、大食堂にセイジェを除く家族全員が揃った。
フレイアは昨晩ゆっくり休めたようだ。
「久し振りの城はやっぱりいいですわ」
水の入ったグラスを置いて、ふうと息を吐く。
「やはり、学園の寮生活では落ち着かないか」
王が言うと、フレイアは眉を寄せる。
「寮生活にはすぐ慣れましたけれど、気候も食べ物も違って、最初は戸惑ってばかりでしたわ」
大人達は、自分も経験したことを思い出して、懐かしいと頷く。
「来年は私も入学ですから、この休みの間に色々教えて下さい、姉上」
「ええ、もちろん。各教科教授の傾向と対策も教えてあげるわよ」
エルノートの言葉に、フレイアは悪戯っぽく笑う。
エルノートは来年、光の季節に13歳を迎える。
フルブレスカ魔法皇国に属する国や自治区では、王族及び主要貴族の子息子女は、13歳を迎える年の光の季節前期月より、16歳の成人を迎える風の季節までの四年間、皇立学園で学ぶことを義務付けられている。
これは人質の意味合いもあり、特例を認められない限り、拒否することは許されない。
しかし、ただの人質として皇国に留学するわけではない。
皇国は、その広い知識と高い技術力、多岐にわたる魔術を、惜しげもなく各国の若者に学ばせる。
彼等の多くは、その知識や魔術を自国に持ち帰るために懸命に学び、他国や皇国と縁を結ぶために社交に励む。
そうして四年の間に、フルブレスカ魔法皇国は、各国の次代の指導者になり得る者達に、皇国の流儀を教え込むのだ。
皇国に魅了され、縁付き、そのまま留まる者も少なくない。
フレイアの土産話を中心に、和やかに食事が終わり、それぞれが退席する。
フレイアは食堂から廊下に出ると、後から出てきたカウティスを呼び止める。
「カウティスは、剣術だけではなく魔術も学び始めたの?」
「はい、姉上。私は魔術素質が無いので講義だけですが」
一般的に魔術素質が無い場合、実技鍛練を重ねても魔術を使うことができないため、講義のみで実技は行わない。
フレイアはカウティスの手をそっと取った。
「そう。では最近、精霊に関わるような何かがあったのかしら」
「え! どうして分るのですか!?」
カウティスが青空色の瞳を大きく見開いた。
そして嬉しそうに笑って言う。
「私は水の精霊と、友達になったのです」
「友達? 我が国の、水の精霊と?」
「はい」
カウティスは大きく頷いた。
「カウティスは毎日、勉学の合間に水の精霊に会いに行っては、こっそり甘味を食べているのです」
「兄上! そこは詳しく言わないで下さい!」
隣から口を挟むエルノートを、カウティスは軽く睨む。
「……そう、それで……」
フレイアは小さく呟いた。
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