第四十九話 城へ

「おっ! とっ! 痛たたたたた……畜生め!」


 猛スピードで駆ける箱型竜車クーペ豪奢ごうしゃな布張りの座席の上で、高齢の軽い身体は幾度となく宙に浮き上がり、そのたび口の悪いロデオ乗りのごとく銀次郎は悪態をついていた。


「ちっとばかりお優しくできねえのか、『』! 俺の可愛い孫娘の尻が割れちまうぞ!」

「なにぶん御者ぎょしゃ役をやるのははじめてだからなぁ! あと、尻ならはじめから割れてるだろ?」


 ふたりのいささか品のない会話に、竜車の中で顔をしかめたのは香織子かおりこだ。なにか言いたげに口を開いたが――どうせ聴こえっこない、と力なく首を振る。


 一方のシオンは上機嫌だった。


「す、凄いね! 凄いね、おねえちゃん!! こんな速い乗り物、この世にあるんだねえ!!」

「速さなら、もっと他にもたくさんあるじゃない。……って、シオンは見たことないんだっけ」

「えぇええええ!! ズルい! ズルいよう! 銀じいとおねえちゃんは知ってるってこと?」


 しまった――と思ったがもう遅い。

 興奮と嫉妬がないまぜになったシオンは、香織子の肩を掴みぐらぐら揺らして駄々をこねる。


 ――これ、乗り物酔いするんじゃないかしら。

 と、すべてを諦めた香織子がジト目で正面を見つめている頃である。




「ったく……! 見ちゃいらんねえなぁ! おい、王様、ちょいとその手綱たづなを貸してみろ!」


 そう聴こえたかと思うと、走る竜車のドアを開け、ひょい、ひょいっと、銀次郎が御者台までよじ登ってきたではないか。これにはさすがの豪胆なグレイフォーク一世も目をいた。


「お、おい! 馬鹿、よせ! ……ううむ、人の言うことを聞かぬじじいだ。心得こころえはあるのか?」

「んなもんあるわきゃあねえ。ま、そこでひとつ船でもいで見てやがれ。まあ大丈夫でぇじょうぶだ!」

「おいおいおい……おいおいおいおいぃいいいいいっ!!」


 ざ、ざざ、と頭のすぐ上を樫の丈夫そうな太い枝が通り過ぎ、王は精一杯身をかがめてなんとかやり過ごした。ふと、隣を見ると、手綱を握る銀次郎は平気な顔をして呑気に歌っている。



『千両万両 積んだとて

  ぜにじゃ買えねえ 人ごころ

 受けたなさけの 数々に

  上州子鴉 泣いてります』



 しまった――と思ったがもう遅い。

 自分の目指す城の位置すらろくすっぽ知らない年老いた御者にその身を任せることになったグレイルフォーク一世は、今まで乗り越えてきたどんな困難よりも命の危機を感じていた。


 ――ううむ、これで死ぬのはごめんだなぁ。

 しかし、すべてをあきらめ、一国の主らしく、どっか、と腕組みをして前を見つめる王であった。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「「ふう……助かった(な)(わ)」」


 グレイルフォーク一世と香織子――期せずしてふたりのか細いつぶやきがハーモニーを奏でたが、どちらも渋い顔をして知らぬフリをしてそっぽを向く。


「さあ、ここが俺の城だ」



 店を出たところからはるか遠くに見えていた風景が目の前にそびえ立っていた。天をかんと突き出た堅牢そうな石造りの塔が二つ。四角い四隅には張り出た見張り台があり、それぞれにそよぐ風を受けてはためく真っ青な旗が目を引く。その青々しさの中に、鮮やかな黄色の一対の剣と盾が描かれていた。大きさは――はて、どのくらいだろうか。一目では見当もつかない。



 感心しきりの銀次郎たちに今一度誇らしげに胸を張ってみせてから、王はこう付け加えた、


「……と、偉そうに言ったが、この城は国の皆の物でもある。さあ、遠慮せずに入ってくれ」

「お戻りですか、我が王!」

「なんだ、ハーランドか。出迎えなんぞ必要ないと言ってるだろう?」

「いえ。大層騒々しい騒ぎで、一体何事かと――」


 やけに見慣れた姿が息を切らせて駆けてきた時から嫌な予感がしていた香織子を目敏めざとく見つけ、近衛兵団の長、ハーランド・スミッソンはがっちりとした口元をわずかにゆるめ、会釈する。


「おや? いつぞやは失礼しました、ご令嬢……お、お元気でしたか?」

「あ、あの……はぁ。まあ、それなりに……」

「ほう! やっぱりそうか!」


 どうこたえれば良いのか見当もつかず、強張こわばった表情のまま真っ赤になっていた香織子の視界に、突然グレイルフォーク一世が飛び込んで来たかと思うと、同じように少し顔を赤らめているハーランドの肩を抱きかかえ、なんとも嬉しそうに会話に割り込んできたではないか。


「ハーランドはな? 先日店を訪ねてからというもの、そちらのお嬢様の話ばかりするのだ!」

「ちょ――!」


 さすがにそれはひどい……と香織子も我が事ながら同情してしまうほどのうろたえっぷりだ。


「や、やめて下さい、我が王! 決してそういうたぐいのものでは――!」

「そういう類じゃなけりゃなんだってんだ? おう、てめえさんがおっ返された団長殿かい」


 ぎろり、という視線にも物おじせず、ハーランドはかしこまって深々と一礼する。


「――!? ようやくお会いできましたね、マスター」

「おうよ。てめえさんとこの王様に連れられて来たぜ」


 それはさておき、と言わんばかりに頭ふたつ分は優に上背うわぜいのあるハーランドに近づき、分厚い胸元に、ぐりり、と人さし指をねじりこんで片方の眉を、ぴくり、と跳ね上げて言い放つ。


「……で? なんだか聞き捨てならねえ話してやがっただろ、おい? ウチの孫娘に――!」

「も、もう! なんでもないってば、銀じい! わざわざ掘り返さないでよ!」

「わ――分かった分かった! こっちゃあ生い先短ぇ年寄りなんだ! 小突こづくな小突こづくな!」


 最後に振り返り、噛みつかんばかりの怖い顔を茫然ぼうぜんと立ち尽くすハーランドにしてみせた銀次郎は、香織子に全力で背中を押されながら城の奥へと進んで行く。


 先頭に立つ王が言う。


「ちょうど例の『魔性の者たち』との次の会合に向けて、この国の主だった者を集めて話し合っているところなのだ。済まないが、そこに爺、あんたにも加わって欲しい。知恵を借りたい」

「なら――香織子、シオン、おめえたちもついて来い」


 どうしよう、と顔を見合わせていた時だった。

 銀次郎は、さも当然と言いたげに、ふたりを見てうなずいてみせる。


「おめえらにだって、言いてぇことがあるだろうしな。だろ? 構わねえ、存分に言ってやれ」



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