第五十話 選択の先には

「さあ、その中だ。もう皆集まっている」


 グレイフォーク一世直々じきじきに案内された先にあったのは、いくつも打ち込まれた鉄のびょうと使い込まれた表面の渋色が印象的な樫製の大きな扉であった。押すと、その見た目の重々しさに反して、すい、と音もひそやかに開く。


 しかし、突如耳を打ったのは激昂する男の声だった。


「なぜ、この場に王がおらぬのだ! それに、魔族の子とやらはどこにおる!?」

「遅れてすまんな、商人組合ギルドの長、エップシュタイン。俺はここだ」


 エップシュタインと呼ばれた恰幅の良い丸々とした男は、その声を耳にするなり苦虫を噛み潰したかのような顔になって居心地悪そうに腰を下ろした。そして言い訳のように付け加える。


「こ、これは失礼した……色々とせわしないもので……。ところで、王よ? 魔族の子は――」

「すまんが、その話なら無しだ」


 言い終えないうちに短くばっさりと両断した王の言葉に、エップシュタインはあんぐりと口を開け――途端に顔を赤く染めると、たるんだ喉肉を震わせながら早口でまくしたてた。


「無し? 今、王は、無し、だとおっしゃったのか!? 無しとは一体どういう意味で無しと――?」

「そこの『異界びと』であるじじい――ギンジローと約束してしまったのでな。だから、無し、だ」

「ど――どういうつもりか、『異界びと』! そんな勝手が許されるとでも思っているのか?」




 その時である。

 すう――。




「おう、勝手で結構。勝手なのはてめえさんたちじゃねえか、このすっとこどっこいどもめ!」


 一喝。小柄な老人とはとても思えないバリトンの声が広い執務室の空気をびりりと震わせた。一同が呆気あっけにとられる中、銀次郎はさらに一歩踏み出して、こう続ける。


年端としはも行かねえ子どもを差し出して、自分たちだけは助かろうだなんて心根してる奴らの方がよっぽど魔族じゃねえのか? どいつもこいつも雁首がんくび揃えて情けねえったらありゃしねえ!」


 怒りに打ち震える老人の厳しいひと言に、その場に集まった誰もが己を恥じるかのように項垂うなだれてしまった。


 しばらくは皆、声もなかったが、それでも――とエップシュタインが告げた。


「た――確かにごもっともだ。返す言葉もない、『異界びと』よ」


 誰もが頭の片隅で思っていることをえて口に出すのは、彼なりの勇気の示し方なのだろう。


「……だが、ならばどうすれば良いのだ? あんな連中相手に? 我らがどう挑もうが、あの『魔性の者ども』に勝つすべはない。……だからだ。だから我らは愚かにもすがってしまったのだ」

「そりゃ分からんでもねえさ。だがよ――?」


 銀次郎は先程よりは声を落とし、こう続けた。


「おめえさん方がおっぬか、可愛い可愛いおめえさん方の子どもが身代わりにおっ死ぬか、どっちか好きな方を選べ、と言われても、迷わず同じこたえができなさるのかね? ……俺ぁとてもじゃねえができねえな。ましてやこのシオンは、俺の大事な大事な孫娘なんだからよ」




 ――ざわり。




「その子が……」

「あれが……?」

「魔族の子……」




 銀次郎のひと言で、執務室に招かれた一〇名ばかりの目が、好奇と畏怖と邪念が入り混じった眼差しで一斉にシオンを見つめる。そのあまりの異常な空気に、シオンは目をつむってしまう。




 だが。




「ひと言、申しあげてもよろしいでしょうか――?」




 その視線を遮るようにシオンの前に立ったのは香織子だった。


 見ようによっては、むすり、とした顔つきで一同を見回して、香織子はこう言い放つ。


「人間だから、魔族だから、という言葉に、一体なんの意味があるのでしょう? あたしは、この子――シオンの姉です。血は繋がっていませんし、シオンの親に会ったこともありません」


 そこで香織子はわずかに言い淀んだが。


 ちらりと向けた視線の先で、銀次郎はその背中を押すようにゆっくりとうなずき返した。


 だから、こう言った。


「ですが……だからこそ申しあげたいのです。人として生まれたから、魔族として生まれたから――そんな下らない理由でみ嫌ったり争いあったりするのは、もうおしまいにしませんか?」


 なにも小難しい言い回しをひねくり出したつもりはない。

 自然と言葉が出るままに続ける。


「あたしは銀じいと同じ『異界びと』です。だから、この世界の『普通』や『常識』は知りません。けれど……向こうの世界にも、同じような理由で誰かが誰かを傷つけたり、悲しませたりすることがあるから分かっちゃうんです。そんな悲しい世界に――んだって」



 ごく普通の高校生として生きてきて。



 とりわけそんな話題に詳しかったり。

 何か具体的な活動や行動をしたことなんて一度もない。



 でも、それは香織子の心の奥底にずっとあった気持ちで、何ひとつ嘘などなかった。



「ここで一度選んでしまったら、さっき銀じいが言っていたような悲しい選択を許すことになるんです。あなたにとって大事な存在でも、誰かにとってはどうでもいい――そんなのおかしい、あなたはその時そう叫ぶはずです。けれど、それは今の自分の選択が招く未来なんです」



 だからこそ、誰も、何も、言えなくなってしまった。

 そこで、声を、か細い声を絞り出したのは――シオンだった。



「あ、あたしは――!」



 もっと大きく声を上げる。



「あ、あたしは! 八十海やそがい銀次郎の孫娘の、八十海紫苑しおんです! 魔族だとか人間だとか、そんなの! あたしにはちっとも関係なくって! 分からなくって! その――あ、あのう――!」



 その背に。


 銀次郎と。

 香織子の。


 暖かな手を感じて、シオンはなおも声を張り上げた。



「でもっ! あたしはあたしでしかなくって! お前は魔族の子だから、なんて言われても、絶対に、ぜーったいに! あたしは生きていたいんです! 銀じいとおねえちゃんと一緒に!」



 ぼろぼろと涙が出てくる。

 しかしそれは、背に置かれたふたつの手が暖かすぎたからで。



「だ――だからっ! 勝手に! あたしの人生を決めるな、このどもめっ!」

「ばぁか。それを言うんなら、『すっとこどっこい』だ」



 銀次郎は苦笑しつつ、シオンを優しく抱きしめてやった。

 それを満面の笑みで眺めつつ、グレイフォーク一世はさらりと告げる。


「さて、と――」


 だが、続く言葉はなんとも頼りないものだった。


「それでは、どうしたモンかねぇ……いっそ、連中におうかがいでも立ててみるか――」


 そこで銀次郎は、さも当然と、こう応じたのである。


「おうよ。俺ぁが行って、いっちょ蹴りをつけてやるぜ。……ついて来な、『』」



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