第四十七話 白虹日を貫けり

「ったく……店が終わるまで待ってたんだがな――」

「あ、あなたは……!」


 そのフードの下に隠されていた悪びれもない笑顔に、驚き、うろたえたのはスミルだった。興奮を抑えきれず、知れずと言葉がせきを切ったように次から次へと溢れ出た。


「《グレイフォークのまもり手》、《十傑じゅっけつ》のひとり、《勇弟》のミサーゴさんですか!?」

「まあ、そう呼んでいる奴もいるってことは知ってるさ」



 男臭さを放つぼさりと顔をすっかり覆ってしまいそうな前髪の下で、まぶしそうに細められた切れ長の目が苦笑する。そのもみあげからぐるりとがっちりしたあごを覆い隠しているのは精悍な顔立ちを際立たせるひげだ。陽に灼けた肌もあいまって、嫌が応にも歴戦の風格を感じさせる。



「にしても、リューリッジがあれほど恋しがっていた一杯を味わえるとは思ってもみなかった」

「そいつは、ギンジローの『こーひー』のことかね?」

「ああ。そのとおり」



 リューリッジと言えば、のちに王となるグレイルフォークとともにこの地に巣食う魔物たちを一掃し、元の世界へ去っていった伝えられる《十傑》のひとり、『異界びと』でもある《双剣》のリューリッジに違いない。



 その旅の仲間には、グレイルフォーク王の弟であるミサーゴも同行していたのだろう。もうすっかり冷めて冷たくなってしまった飲みしを、ちびり、とめてからこう続けた。


「この世界も仲間たちも実に素晴らしいのですが、唯一心残りは、あの『珈琲』が二度と飲めないことでしょうね、と、ことあるたびに言っていてな? 死ぬ前に一度でいいから、あいつがそこまで恋焦がれていた一杯を、せめてひと口だけでも、って思ってたんだが……はははっ」


 ミサーゴは笑うと、太い指をカップの中に突っ込んで、ぐるり、とでまわしてから、かすかに付いた珈琲を、ちゅう、と舐めた。下卑げびた振舞いだが、自然とゆるせてしまう愛嬌がある。


「……ふう、空っぽになっちまった」


 子どもじみた顔でしょんぼりしているミサーゴに、シーノが嬉しそうに忠告してやる。


「なら、もう一杯頼めばいいじゃない? なんたって、ギンジローの『こーひー』は、大盤振る舞いの、一杯たったの鉄貨五枚ぽっちなんだから!」

「いやあ……その……ぜにがないんだ」

「はぁ!? たった鉄貨五枚が!?」


 さすがのシーノも仰天して、顎が、かくん、と開きっ放しになった。シーノは決して裕福ではないけれど、銀次郎の珈琲くらいは好きに飲めるくらいの稼ぎはある。シーノは続けた。


「ない、って言ったの? 嘘でしょ!? あなた、《十傑》なんじゃないの? だったら――」

「いや、面目ない……」

「もう、ここにいる常連が一杯くらい奢るわよ。ほら、スミル! あんたも一枚出しなさい!」


 す、す、す、す、す、とたちまちグレイル鉄貨五枚がカウンターの上に並べられ、銀次郎は少し困った顔をしながらも、ミサーゴのカップを下げると、新しいカップを取り出して注いだ。



 そして、かちゃり、と目の前に置いてから、こう尋ねる。



「――で? まさか、わざわざ一杯恵んで貰いにここに来たワケじゃあるめえ。用件を言いな」

「し、しかしだな――?」

「あの連中なら問題ねえよ。俺が『異界びと』だってことも知ってらあ。他にもいろいろな?」


 途端、ミサーゴの目つきが鋭く細められ、品定めするように常連の四人――シーノ、スミル、ゴードンとその妻シリル――を見つめ、続けて香織子かおりこと少しおびえたようにその背中にすがりついているシオンを見つめた。


 たっぷりと時間をかけてそうしてから、ミサーゴはうなずいた。


「では、話そう。この一切は他言無用で願いたい。守られなければ……






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「――と、言う訳なのだ」


 ミサーゴはたっぷりと時間をかけて話を終えると、すっかりぬるくなった珈琲を、ぐい、とあおった。そうして乾いてしまった口を湿らせてから、すっかり言葉を失くしてしまった聴衆に向けて改めてこう付け加えた。


「まあ、正直なところ、打つ手なし、だ。たとえ《十傑》が再び揃おうとな。相手が……悪い」



 それは誰もが同じ思いだった。



 人間に対して宣戦布告してきた『魔性の者たち』は、圧倒的な力を持っていた。武力で勝り、数でも勝る。その狡猾こうかつさや老獪ろうかいさは、人間とは比較にならない年月を生きてきた者ゆえに勝てようはずもなかった。そのことは、ミサーゴの語る言葉からですら、十二分に理解できた。



 でも、とシーノは喰い下がる。


「で、でも……だからって……」


 シーノは、ちらり、と振り返って、うつむき、肩を震わせている哀れな魔族の少女を見る。


「だからって、シオンを引き渡すなんてこと出来る訳ないよ! シオンは物じゃないんだよ?」


 その悲痛な叫びに、びくり、と震えた肩を、香織子がぎゅっと抱きしめる。そしてこたえる。


「当たり前でしょ? だって、シオンはあたしの大事な妹で、マスターの可愛い孫娘なんですからね。……そうだよね? マスター? そうだって言ってよ!!」

「……」

「どうして……どうして何も言わないのよ!?」


 香織子は、ぎり、と歯を喰いしばって口を引き結んだままひと言も喋らない銀次郎を責めた。


「シオンは俺の孫娘だ――あれって嘘だったの? 信じられない! ねえ、何とか言ってよ!」

「………………うるせえ、黙ってろ、小娘」

「結局、銀じいもパパも一緒じゃない!? あたしには何も教えてくれないで! 大人の事情だとか偉そうなこと言っちゃってさ! あたしの気持ちなんてどうでもいいんでしょう!?」

「黙ってろっつったろ、香織子!」


 はじめて見る銀次郎の本気の怒りに、香織子が、びくり、と身体を強張こわばらせ、じわり、と涙ぐんだ。その瞳からは、あきらめと信じてきた者に裏切られた後悔の念がありありと見てとれた。



 結局――大人なんて。

 身勝手で、傲慢で。


 自分より弱い人間には威張いばり散らす癖に、強い者には尻尾を振るしかないじゃない。



 そう、目を伏せたその時だった。


「……言いたいことはそれだけかね、金剛石ダイヤモンド級の大冒険者、《十傑》のミサーゴとやらよ?」

「そ、そうだが――?」

「じゃあ、とっととけぇんな。……おい、香織子。塩、持ってこい」

「な――!?」


 はなから無理な頼みだと思っていたミサーゴではあったが、予想外の言葉に一瞬ほうけた顔つきになる。そこで、まだカウンターに陣取ったままのミサーゴを銀次郎は容赦なく睨みつけた。


「俺ぁ、けぇれっつったんだぞ、聞こえたろ? それとも、まだ言いてえことでもあるのかい?」

「だ、だが――!? その魔族の娘を引き渡さなければ、我々は――!!」

「シオンは、渡さねえ」


 銀次郎は、有無を言わさぬ口調で言い切る。


「相手が誰であろうが、だ。やりたきゃ、俺をからにしな。それと――これは忠告だが」


 銀次郎はミサーゴを睨みつけると、ひょこり、と片方の眉を吊り上げてこう告げる。


「遊び人を真似まねてるつもりらしいが、まるでなっちゃいねえぞ、『』気取りの王様よ?」



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